八 対面
「失礼致します。イスカレル大佐、只今到着致しました」
ベルンツァ解放の数日後。
アルフレドの執務室に訪れ完璧な敬礼を取ったのは、軍服をこざっぱりと着こなした金髪の優男であった。
「思ったより早い到着だな、大佐」
「はっ。ベルンツァの兵を速やかに補充すべく、海軍でも足の速い船を用意させた次第であります」
にこやかに歓迎の意を示すアルフレドに、イスカレルもまた微笑んで敬礼を崩した。
イスカレルは公国海軍所属であり、普段は王都に駐留して近海の防衛にあたっている。
しかし今回ベルンツァ解放の一報が届いたことで、早急にベルンツァ復興、及び守備隊の再編が求められることになった。
本来であれば東部のランツ要塞より派兵すべきであったが、間近にベルンツァを落とした帝国本隊が迫っていることもあって、兵を割く余裕がない。
そこで発案されたのが、王都から海路で直接増員を送り込むこと。
陸路より早い上、帝国軍も迂回できるという良案の提示者であり、その船団の指揮を任されたのがイスカレルであった。
「大佐が自らやってきたということは、やはり救世主様が気になったのかね」
「仰る通りです、ベルンツァ公。報告通りの強者であれば、喉から手が出る程欲しい人材。上層部からも、小官の裁量で軍に引き込んで構わないと言われております」
「その判断は正しい。では早速引き合わせよう。今時分は確か、中庭で日課の鍛錬をされているはず」
アルフレドが執務机から立ち上がると、イスカレルと連れ立って中庭へ向かった。
程なくして中庭に着くと、アルフレドは一点を指差した。
「あの少女がそうだ。私では口説き落とせなかったが、大佐には期待している。頼んだぞ」
「は。しかと拝命致しました」
こちらの肩を叩いて、来た道を引き返すアルフレドを敬礼で見送ると、イスカレルは改めて少女を注視し、激しい衝撃を受けた。
色とりどりの花が植えられた花壇で飾られた中庭の中央に、艶やかな黒髪を高く結い上げた少女が自然体で立っている。
瞑想でもしているのだろうか。その身は微塵も揺らがない。
ただそれだけの光景が、何物にも代えがたい至高の美術品に思えてしまう。それほどの美貌を備えた少女だった。
報告書によれば、公国でも悪名高い「暴風」クルーザを一撃で仕留め、町を占拠した帝国軍をただ一人で斬殺して回ったとあった。
そのためどんな筋骨隆々の猛者であろうかと想像していたイスカレルは、完全に虚を突かれた。
「なんと可憐な……」
思わずそう漏らしてしまったのも仕方あるまい。
しかしその小さな呟きを、少女は聞き逃さなかった。
「どなたでしょう」
その美貌に見合う涼やかで凛と通る声で
声の美しさもそうだが、この距離の小声を拾うとは。
イスカレルは内心舌を巻きながら、笑顔を作って少女に近寄った。
「鍛錬中失礼。私はレンド公国海軍所属、イスカレル大佐。貴殿の活躍は伺っている。是非お話ししたいのだが、よろしいかな?」
イスカレルも容姿には多少の自信はある。この手の言葉をかければ、大抵の女性は頬を赤らめたものだ。
しかし、
「どうぞ」
一言返って来たのは感情の無い平坦な声。
そこで報告書に盲目の少女とあったことを思い出し、イスカレルは苦笑混じりにベンチへと誘った。
隣に並ぶと、体格差が余計に浮き彫りになる。
イスカレルより頭二つ分は低いだろうか。それでいて、和国の民らしく童顔のため、余計に幼く見える。下手をすれば15歳前後かと思える程だ。
無遠慮にじろじろと見回してしまったが、少女は気にした風もなく歩む。
「それで。士官の件でしょうか」
ベンチに座すと、開口一番少女は核心を突いた。
「あ、ああ……話が早くて助かる。そう。私は貴殿を勧誘に来たのだよ」
先手を取られた形だが、余計な世間話をせずに済むとわかり、イスカレルも単刀直入に返した。
「領主殿より待遇について聞き及んでおりますが。私は生来、群れたり規律に縛られることをよしとしません。正式な軍属には抵抗があります」
「それは……傭兵、客将扱いとして、ある程度融通が利くようにしよう。よほど常識から外れたことをしなければ、だが」
「さて、どうでしょう。私は外の国より来たる身。こちらの常識に対応できるかは保証しかねますが」
「
「ふふ。たかが一剣士を、随分熱心にお誘いなされますね。それ程戦況は苦しいのですか」
こちらの心中を見透かしたような大人びた笑みを浮かべ、少女は問う。
「……ああ。苦しいどころではない。崖っぷちもいいところだ。一年前に開戦して以降、戦線は押されっぱなし。隣国の援助がなければすでに敗北していただろう」
戦場に出ればすぐに知れること。イスカレルは誤魔化さずに返答した。
「なるほど。沈没しかけの船に乗れと。正直なお方」
皮肉とは裏腹に、くすくすと歳相応に顔を綻ばせる少女。
事実故に、イスカレルには言い返すこともできず地面に視線を落とす。
しかし、続いた少女の言葉は意外なものだった。
「武者修行としては、劣勢の方が好都合。人探しの片手間でよろしければ、しばらくお手伝い致しましょう」
「本当か! 助かる!」
「いや、ありがたい! 貴殿がいれば百人、いや千人力だ! 帝国軍を押し返すことも夢ではないだろう! 恩に着る!」
興奮から思わず少女の手を取り、ぶんぶんと上下に振るイスカレル。
ふとその視界がぐるりと回転し、気付けば地面へ背中から叩き付けられていた。
「っつ……!?」
呼吸が止まったイスカレルの頭上から、少女の笑い声が降って来る。
「落ち着きのない殿方は嫌われますよ」
「あ、ああ……そうだな、すまなかった……」
手首を返すだけで投げられたのだと気付き、驚嘆しながら起き上がるイスカレル。
自らも武を磨いているつもりだが、技の起点が全く読めなかったのだ。
「では私は鍛錬に戻ります」
「ああ。時間を割いてもらって感謝する。契約内容の子細はまた後程詰めるとしよう」
イスカレルは強く打った背中をさすりながら、少女の後ろ姿を見送る。
身をもって知った実力の一端を噛み締めて。
こうして紅という名の剣士が、公国軍に助力することとなった。
後のエウロア大陸の情勢を大きく左右する歯車が、ゆっくりと回り出す──
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