九 露見
しとしとと霧雨が降る真夜中。
警備の途切れる時間帯を見計らって、クレント曹長はそっと兵舎を抜け出し、敷地の暗がりへと向かう。
普段とは違い、完全に足音を消して歩む様はまるで別人のようだ。
壁沿いの茂みに分け入り、館から死角になっている木陰へ潜り込むと、そこには先客がいた。
「定刻通りだな。ご苦労」
全身黒装束に覆面姿の、いかにも密偵といった風貌。
「は。恐れ入ります、イルス大尉」
「無論、気取られてはいないな? それでは報告を聞こう」
周囲を警戒して限界まで絞られた小声が、わずかに夜の空気を震わせる。
「まず何より確認したいのは二点。クルーザ大尉の生死と、駐留隊を壊滅に追いやった者の真偽だ」
クレントは上官に対する態度で敬礼し、声を潜めて話し始めた。
「クルーザ大尉の戦死は事実です。遺体を確認しましたが、見事に首を刎ねられておりました」
「奴程の男がな……それで、その相手が?」
「はい。紅と名乗る、和国の少女で間違いありません。直接会話も致しました」
そこでクレントは似顔絵の書かれた羊皮紙をイルスに手渡す。
「……まさか本当に少女だとはな。どう見積もっても15、6歳ではないか」
イルスが溜め息を漏らすが、クレントは真顔のままで進言した。
「見た目に惑わされてはなりません。かの者は盲目なのですが、まるで全てが見えているかのようにまったく動きに迷いがありませんでした。恐らく世に聞く武の極致、心眼を修めていると思われます」
「まるで現実味が無いが……しかし貴様の観察眼は馬鹿にできん。現場の意見として、上層部にはそのまま伝えておこう」
「ありがとうございます。それと、もう一つ重要な件が」
一礼して、クレントは更に話題を切り出した。
「何だ」
「かの少女が、どうやら公国に
「っ……!」
思わず声を上げそうになった口元を抑え、イルスは周囲を隙無く伺った。
「……それは、今後帝国に対してその少女が牙を剥くということか?」
「子細な契約内容までは知り得ませんでしたが、恐らくはそうなるかと」
「厄介だな……我が帝国に、対抗できる者がいるとしたら誰だ?」
こめかみを抑えながらイルスが発した問いに、クレントはしばし考え込む。
「……竜騎士……その中でも三騎将の方々なら、あるいは」
「それほどか……!」
予想だにしなかった実力者を引き合いに出され、目を見開くイルス。
竜騎士とは、帝国の擁する特殊な騎兵である。
国土の多くを高山が占める帝国では、飛竜の生息地も数多く、これを手懐けて馬のように騎乗する騎士が少数ながら存在する。
その戦闘力は並の騎兵とは比べ物にならず、帝国を強国たらしめている一因とも言えた。
そのエリート騎士と呼べる中でも、特に名高いのが三騎将と呼ばれる将軍達だった。
その強さは折り紙付きで、彼らが動けば勝利が決するとまで言われる猛者揃い。帝国最強の一角と言っても過言ではない。
逆に言えば、それに匹敵する駒を公国が得てしまったことになる。
イルスの受けた衝撃も仕方のないことだった。
「この情報は急ぎ持ち帰らねばならんな。ご苦労だった──」
「ふふ。密談をするには、とてもよい夜ですね」
クレント共々油断なく振り向くと、いつの間にか傘を差した和装の少女が雨の中佇んでいた。
目撃者は消す──
イルスは瞬時に判断すると、懐から取り出した黒いナイフを多数放っていた。
刃を焼いて艶消しした特注品で、夜闇に紛れて視認しにくい特性を持つ。
その上で複数の急所を同時に狙えば、さばき切れる者はそうはいない。
……というイルスの目論見は脆くも崩れ去った。
少女が傘をばさりと一振りしただけで、全てのナイフがあっさりと弾かれたのだ。
「なんだと!?」
「その恰好といい、今の投擲といい、さながら
イルスが愕然としている間に、少女はすでにその目前に迫っていた。
「手荒なご挨拶には、相応のお返しを」
いつの間にか閉じられていた傘の先端が、イルスの喉を容赦なく貫いた。
「ひっ……!?」
血泡を吹いて崩れ落ちるイルスを見て、クレントは思わず後ずさり、慌てて逃げ去ろうとする。
が、突如がくんとバランスを崩して前のめりに倒れ込んだ。
足に強い熱を感じて見てみれば、イルスの用いたナイフが両足の
「うぐあっ……!」
「良い投げ心地です。
少女は拾ったナイフをくるくると手中で弄びながら、クレントの元へ歩み寄る。
「あなたは確か、この館まで案内して下さった方でしたね。他の兵と鍛え方が違うと思っていましたが、密偵であれば納得です」
ひゅっと風を切り、クレントの頬を薄く裂いてナイフが地面に突き立った。
「ひっ!?」
「町への奇襲を手引きしたのもあなたでしょう。万死に値しますね」
続けてひゅんひゅんと身体のぎりぎりをかすめてゆくナイフの群れに、クレントは完全に腰を抜かした。
「あなたをこの場で断罪するのは容易いですが。それは私の仕事ではありません。ちょうど公国のお偉方がいらっしゃるので、引き渡して処遇を任せましょう」
少女は抵抗する気の失せたクレントの襟首を掴み、ずるずると館へ引き摺ってゆく。
両足からの出血と極度の恐怖によって、クレントの意識はそこで闇に呑まれた。
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