十 待遇

 翌朝、紅はイスカレルに呼ばれて事情聴取を受けていた。


 昨晩の侵入者殺害とクレント曹長捕縛の件についてだ。


 クレントは未明の内に目を覚まし、すでに尋問を終えていた。

 終始怯え切っており、拷問をするまでもなく帝国の密偵だと自白し、情報を洗いざらい吐いたという。


 すでに情報の裏も取れており、紅は侵入者を発見した経緯を確認されただけだった。


「なるほどな……館の中からでも密談を聞き取れるとは、大した聴覚だ」


 調書に走り書きした内容を見返し、イスカレルは感嘆の声を上げた。


「私は目がこうですので、耳が命なのですよ」


 出された紅茶の香りを楽しみながら、紅はあっけらかんと言い放った。


「それにしても限界があると思うが……まあいい、お手柄だった。しかし、密偵とは本当に思いもよらないところにいるものだな。クレント曹長はベルンツァに配属されて、もう数年経つベテランだったというのに」

「それだけ前々から戦争の計画を練っていたということでしょう」


 イスカレルのぼやきに素っ気なく返し、茶請けの菓子に手を伸ばした紅は、一口頬張りその顔を輝かせた。


「このお菓子はとてもおいしいですね。何と言う名前なのですか?」

「ああ、和国では無いものなのか。これはクッキーという、小麦粉を練って焼いた菓子だ。大陸ではありふれたものだな」


 童女のようにきらきらとした笑顔でクッキーを貪る紅に面食らいながら、大雑把に説明してみせるイスカレル。


「かようなものがありふれているのですか。料理もそうですが、大陸の食文化は侮れませんね」


 こくこくと頷きながら、あっという間に皿を空にする紅。


「あーあー、朝食前にがっついちゃって」

「食前に鍛錬するので問題ありません」


 年相応の少女の振る舞いを見てにやけるイスカレルの前で、紅はすまし顔で口元をナプキンで拭う。


「ところで、事情聴取とやらはもうおしまいですか? でしたら早速鍛錬に向かいたいのですが」

「ああ、ちょっと待ってくれ。ついでと言ってはなんだが、ここで辞令を下しておこうと思う」


 イスカレルは机の引き出しから書類を取り出すと、形式的に読み上げる。


「あー、本日付けでレンド公国軍と紅殿の契約を正式に締結する。階級は少尉相当。よって貴官には部下が付く。──入れ!」


 イスカレルが叫ぶとほぼ同時に、ずっと扉の裏で待機していたのだろう人物が部屋に入ってきた。


 透き通った青い瞳に、眩しい金色の髪を波打たせ。

 すらりとした身で、軍服を見事に着こなした美しい女性士官。

 年頃は紅と同程度だろうが、背が高い分大人びて見える。


「失礼致します。カティア=クローゼン准尉、ご命令により参上致しました」


 びしりと様になった敬礼をし、はきはきと口上を述べる少女。


「これより紅少尉相当には、特務遊撃隊を率いてもらいたい。彼女はそのための副官だ。好きにこき使ってやってくれ」

「よろしくお願いします、紅少尉相当殿!」


 イスカレルに呼応するように、カティアは敬礼を崩さず元気よく挨拶を飛ばした。


「はて。私は一傭兵として参加するつもりでしたのに」

「いやあ、上ともかけあったのだが。貴官ほどの実力者をただ雑兵として使うのはもったいないとごねられてな。指揮官として、せめてある程度自由の利く遊撃隊という形にしたのだ。まあ、参謀本部直属の傭兵団だと思ってくれればいい」

「私は兵の指揮など経験がありませんが」

「指揮はカティア准尉に頼るといい! これで士官学校主席のエリートだからな!」

「卒業前に徴兵されましたけどね……」


 ばしばしとイスカレルに肩を叩かれ、陰のある表情でカティアがぼそりと呟く。察するに学徒動員兵なのだろう。


「何か言ったかね、准尉」

「何でもありません、大佐殿!」


 じろりとイスカレルに睨まれ、再び綺麗な姿勢の敬礼に戻るカティア。


「そもそも、部下などいても邪魔です」

「いや、そんなことはない」


 うんざりした表情の紅に、イスカレルが食い下がる。


「カティア准尉、軍隊として動くメリットを少尉相当殿に説明して差し上げろ!」

「はっ!」


 カティアは一歩大きく踏み出し、紅の目前へと立った。


「僭越ながら。まず一つに、荷物の運搬が挙げられます。糧食、装備、矢弾、野営器具等、戦争のためには非常に多くの物資が必要となります。それを手分けして運ぶことが出来る点は考慮に値します」

「身一つで動いた方が早いのですが」

「二つに!」


 紅の反論を遮るようにカティアは声を張った。


「紅少尉相当殿の勇名は聞き及んでおります。しかし、戦闘後に敵の死体を晒してはおけない事態も想定されます。その時こそ人海戦術で、迅速に隠蔽することが可能となります。恐らく遊撃隊では隠密任務も多いはず。こういった作業は必須であると考えます」

「はて。そうなのですか」

「そうなのです! そして三つ!」


 紅の態度が揺らいだところを見計らい、カティアはここぞとばかりに畳みかけた。


「集団で行動するということは、その分手の届く範囲が広がることを意味します。監視の目を増やせますし、斥候を出しての情報収集も基本です。地理に詳しい者も同行させます。何より、紅少尉相当殿は大陸に来て日が浅いと伺っております。案内人は必要でしょう?」

「それは。確かに」


 紅が頷いたところへ、カティアはにっこりと微笑んだ。


「部下と申しましても、あまり大袈裟に考えないで下さい。少尉相当殿が憂いなく戦闘に臨めるように、身の回りのお世話をさせて頂くのが我々の務めだと小官は思っております。遠慮なくご命令下さい」

「まあ、そういうことだ。召使いとでも思って便利に使ってやってくれ」

「仕方ありません。修行の一環だと思いましょう」


 根負けした紅はため息を付き、残っていた紅茶を飲み干した。


「では、快く引き受けてもらったところで……仕事の話に入ろうか」


 紅がカップを置くと同時に、イスカレルが書類の束を机上へばさりと広げだした。

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