十一 特務
紅と顔合わせを済ませた特務遊撃隊は、数日後にはベルンツァ北西のウォール森林地帯を行軍していた。
密偵であったクレントが吐いた情報から帝国の隠し砦が浮上し、これを制圧するよう早速の指令を受けたのだ。
遊撃隊の面子は30名。正式な士官はカティア准尉のみ。残りは志願兵と傭兵上がりで成り立っており、精鋭とまでは行かずとも、それなりの手練れが揃っていた。
そのため紅の後ろを省みない進軍速度にもある程度着いてきていたが、数日目にして皆疲労の色が濃くなり始めた。
何しろ地図を読めない紅は、指示された方角へ真っ直ぐ突き進む。
谷があろうが岩山があろうがお構いなしに、ひょいひょいと乗り越えていってしまうのだ。
もちろん遊撃隊の面々はそうはいかない。迂回路を必死に走り追いすがっては、また距離を離されを繰り返していた。
その上ろくに休憩もしないため、各々行軍しながら食事を摂らねばならない。
ようやく一息付けるのは、野営の時だけという有様。しかも朝は夜明けと共に出発するため睡眠も不足していた。
「……隊長は本当に人間か……?」
その類の台詞を聞くのも何度目だろうか。
疲労
カティアも同様の思いで、遥か先を行く紅の背中を恨めし気に見詰めた。
士官学校にて行軍訓練は経験済みだったが、それでもここまでの苦行ではなかった。
目標地点までは想定の倍以上の速度で踏破している。しかし、辿り着く前に皆が倒れてしまうのではないだろうか。
そんな危惧がカティアの胸中を満たす。
それでなくとも、疲れ切った状態で作戦行動など取れるはずもない。
ここは副官である自分が進言する場面だろう。
そう決意したカティアは、少し前を先導する小柄な軽装兵に声をかけた。
「アトレット二等兵!」
その呼び声に耳をぴくりと動かした軽装兵は、振り返って後ろ向きに歩きながらカティアに敬礼を寄越す。
「お呼びですかー、カティア准尉ー」
カティアや紅より更に背の低い赤毛の少女兵は、敬意のまったくこもっていない軽薄な態度で返事をした。
ベルンツァの住民であり、先の紅と帝国兵との戦いを間近で見て憧憬を抱き、遊撃隊に志願したという。そのためまだ軍規に馴染んでいないのだ。
平時であれば小言の一つも飛ばすところだが、今はそれどころではない。
カティアはぐっと堪えて命令を下した。
「先行して、紅隊長を呼んで来なさい。なるべく急いで」
「りょーかいでーす」
命令を受けたアトレットはくるりと前を向き、軽快な足取りで森を走り出す。それこそ紅にも劣らない身軽さで。
それもそのはず。
彼女は元々、この森で猟師を営んでいたという。
子供の頃から駆け回り、庭のようなものだと豪語していただけあって、他の隊員に比べまだまだ体力に余裕が見える。
そして猟師の経験から斥候として、森林の案内を買って出た。
ここまで安全なルートを通って来られたのも、彼女の存在あってこそ。
紅と同じく、見た目で判断ならない有能な少女であった。
アトレットが伝令に向かった後、カティアは後続の隊列を停止させ、紅達が引き返して来るのを待った。
「どうかしましたか」
さほどの時間もかけずに紅がアトレットを伴って姿を現すと、カティアは意を決して言葉を振り絞った。
「紅隊長。僭越ながら、後続の隊の惨状をご覧下さい」
カティアが示した先には、膝から崩れ落ちて息を切らした隊員達が、死屍累々と呻き声を発していた。
「はて。この程度で、もう音を上げたのですか」
不思議そうに首を傾げる紅に、カティアはくらりと眩暈を感じた。
「お言葉ですが! 皆が皆、隊長のように超人ではないのです。隊の状況を確認することも隊長の仕事に含まれております」
「そういった雑事こそ、あなたがやって下さるというお話だったのでは?」
「はい。ですのでこうして進言させて頂いております。こうまで疲労していては、作戦行動に支障が出るでしょう。ここで一度休憩を取る事を提案致します!」
「仕方ありませんね。わかりました」
カティアの剣幕に押し切られる形で不承不承紅が頷くと、隊員達から喝采が上がった。
「いやっほう~! やっと休めるぜ~!」
「カティア准尉が俺達のことを心配してくれていたなんて……!」
「お堅い貴族のお嬢様かと思ってたけど、本当は優しい人だったんだな!」
「女神……おお、女神よ……」
終いには崇拝する者まで出る始末。皆相当この現状に参っていたらしい。
失礼な言動も聞こえたがこの際不問とし、カティアは己の判断が正しかったことにほっと胸を撫で下ろした。
「アトレット二等兵、水場を探してきてちょうだい」
「あいあいさー」
カティアの指示に、素早く獣道へと飛び込んでいくアトレット。
「やはり身一つの方が楽ですね。軍隊の引率とはかくも難しいものだとは」
「……いえ。私達こそ不甲斐なくて申し訳ありません……」
カティアもついに力尽き、ふにゃりと全身から力が抜け落ち膝が折れる。
すると、正面にいた紅がそっとその身を支えて微笑した。
「あなたもお疲れのようですね」
「あ……こ、これは失礼を……!」
「いいえ。さ。そちらの切り株に」
紅の手を借りて、カティアは切り株に腰を下ろした。
触れられた部分が熱い。顔も火照っているだろう。
意識しないようにしていた紅の顔を、間近で見てしまったのだ。
同性すらも魅了する真白き美貌に、頭の中が蕩けてしまいそうになる。
カティアは心臓が跳ねる音が紅に聞かれているのではないかと身を固くした。
「カティア殿。あなたの進言は勉強になります。これからも何かあれば遠慮なくお聞かせ下さい」
紅はそんなカティアの緊張などどこ吹く風で、輝くばかりの笑みを見せる。
「は……はい! ご信頼に報いるべく、精一杯尽くす所存です! それと、敬称は要りません。カティアと呼び捨てて頂いて結構です!」
カティアは疲労も忘れて勢いよく立ち上がると、びしりと敬礼一つ披露した。
「そうですか。ではカティア。これからよろしくお願いします」
「こ、こちらこそ!」
見目麗しい少女二人の初々しいやりとりは、男所帯の隊員達のよき清涼剤となった。
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