十二 講義

 ウォール森林はレンド公国とウグルーシュ帝国の国境にまたがる、常緑樹を主とした大森林地帯である。


 高低差の多い急峻きゅうしゅんな地形に加え、狂暴な獣も多数生息する、人にとっては過酷な環境が広がっている。


 そのため基本的に人の手は入っておらず、林道などの整備もされていない。地元の猟師などのガイドなしに立ち入るのは自殺行為であった。


「そういった事情もありまして、これまで帝国の侵攻を阻んできた天然の要害とも言える森なのです」


 紅がカティアの進言を受け入れ、隊員たちが思い思いに休憩を取る中。

 その時間を利用し、紅はカティアから大陸のことを教わることにした。


 何せ士官学校主席の才媛。知識量だけで言えば隊随一を誇る。


 今は手初めてとして、現在進軍中のウォール森林の概要について学んでいるところであった。


「確かに獣の気配の多い豊かな森です。しかし敵意を向けて来る者はいませんね。危険と言われるからには、多少の人数がいようと襲って来るのでしょう?」

「はい。大型の肉食獣は人数に関わらず襲ってきますね。ですが今回はアトレット二等兵のルート選びが巧妙なのだと思われます」


 カティアは紅の隣に座って得意げな顔をしているアトレットを見やった。


「その通りですよー。やばい奴らでも、縄張りにさえ入らなければ平気なので。この森を知り尽くしているあたしだからこそ、うまく全部避けてきたって訳です!」


 薄い胸を張ってふんすと鼻を鳴らす様は子供同然だが、その手腕は認めざるを得なかった。


「見事な土地勘です、アトレット殿」

「わーい! 紅様に褒められた~!」


 紅の一言で、踊り出さんばかりに無邪気に喜ぶアトレット。


「帝国はこのような意外な場所に砦を築くことで、ベルンツァの盲点を突いたのですね」

「仰る通りです。森林を抜けて大軍が攻めて来るはずがない、という思い込みの裏をかいた、敵ながら見事な奇襲だったと言えます」


 紅の指摘にカティアが悔し気に唇を噛む。


「しかしこの度隊長のご活躍でベルンツァが解放され、今頃帝国は泡を食っていることでしょう。密偵も捕らえ、情報が渡っていない今が逆襲のチャンスです」

「隠し砦を潰し、公国内に陣取っている帝国軍の退路を断つ、と」

「はい。帝国軍の作った林道は使わず、敢えて森を抜けて行く理由がそこにあります」

「即ち。奇襲には奇襲をもって返礼し、秘密裏に鏖殺おうさつあるのみ」


 くすり、と紅の形の良い唇から笑みがこぼれる。


「実に私好みの作戦です」

「紅様にかかれば、砦の兵士なんかちょちょいのちょいですよね!」


 すっかり懐いたアトレットが紅にすり寄り褒めちぎる。


「見てみないことにはなんとも。ところでカティア。帝国は何故公国を狙うのですか」


 アトレットの乱れ髪を指でいてやりながら紅が問うと、カティアは表情を引き締めた。


「レンド公国は肥沃な平地が広がり、農作物の栽培が盛んです。対して帝国は領土こそ広大ながら、ほとんどが高山のため食料自給率が低いのです」

「なるほど。食料目当てですか」

「はい。ですが公国は西に隣接する大国ヘンツブルグ聖王国の庇護下にあり、これまで帝国が直接手を出して来る事はありませんでした。それが数年前に先帝が病死すると、跡を継いだ新たな皇帝は過激な政策を取るようになり、周辺国家の侵略を始めたのです」

「頭がすげ代わると、暴走を始める国はままありますね」

「それが大陸でも有数の軍事国家ですから、尚更性質が悪いと言うか……」


カティアは頭痛を抑えるように眉間を揉んだ。


「聖王国の援助がありながらも、一年足らずで正規軍の三分の一が瓦解。お陰で私のような学徒まで動員される始末……戦況は思わしくありません」

「ふふん。それをこれから引っ繰り返すためにあたし達が動いているんでしょう?」


 アトレットが不敵に笑って言い放ってみせた。


「そんなことより紅様! お肉がいい感じに焼き上がりましたよー! 難しい話はここまでにして、熱い内にどうぞどうぞ!」


 そして焚火で焼いていた串焼きを取り上げると、紅に手渡した。


 アトレットは水場を探すついでに野兎を仕留めてきており、慣れた手つきで捌いて串焼きにしていた。猟師の本領発揮といったところだろう。


 紅に憧れて入隊しただけあって、アトレットは何くれと紅の世話を焼いていた。その様はまるで本物の召使いのように甲斐甲斐しい。


 紅も別段拒む理由はなく、されるがままに好意を受け取っていた。


「頂きます。……おいしい。環境の差でしょうか。和国の兎より脂が乗っているように感じます」

「えへへ、よかったです! おかわりもありますので遠慮なく!」

「じゃあ私も一本……」

「ふしゃー!」


 カティアが串を取ろうとすると、アトレットは猫のように威嚇した。


「何で!?」

「カティア准尉は人使いが荒いのでダメです。自分の糧食でも食べててください」


 紅との扱いの差に愕然とするカティア。


「アトレット殿。カティアは職務に忠実なだけ。悪気がある訳ではないのです。意地悪しないであげて下さい」


 紅にそう言われると、アトレットは途端にしゅんと表情が暗くなる。


「……じゃあ、あたしも准尉と一緒で呼び捨てにしてください! そしたら考えます」

「わかりました。アトレット」


 名を呼ばれると、ぱっと顔を輝かせて飛び上がるアトレット。


「うへへへ。しょうがないなー。紅様のお優しさに感謝して食べて下さいよ、准尉」

「何様なのよ貴方……」


 愛らしい顔をでれでれとだらしなく緩めて串を渡すアトレットに、カティアは呆れ気味に呟いた。


 しばし他愛ない話をしながら食事をする三人であったが、ふとアトレットが真面目な顔を作って話題を変えた。


「そうだ。ここまではあたしの庭でしたけど、この沢を超えたらもうすぐ帝国領に入ります。そこから先はあたしも行ったことがないので、偵察に出ますねー」

「お願いね、アトレット二等兵」

「准尉も呼び捨てでいいですよ? アトレット二等兵って、長いじゃないですかー」

「そ、そう? じゃあ公の場所以外ではそう呼ばせてもらうわね、アトレット」


 カティアが若干照れつつ呼び捨てると、アトレットは満足気に頷いた。


 二人のやりとりに和んでいた紅だったが、不意に立ち上がり周囲の気配を探る。


「カティア。皆を集めて下さい。休憩は終わりです」

「は、はい。どうかなさいましたか?」


 カティアも慌てて立ち上がると、紅はにこりと笑って一言。


「お客様です」

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