十三 遭遇
「総員
カティアの鋭い号令が沢に響き渡り、休憩を取っていた隊員達が一斉に跳ね起き武装した。
紅の元へ集まり円形陣を組むと、程なくして辺りに猛烈な獣臭が漂い始める。
「囲まれましたね」
「はい。足音は……10……20……」
状況を理解しているのは紅とアトレットだけ。
カティアと隊員達は二人の判断を待ちつつ周囲の警戒に当たる。
すると隊員の一人が木々の合間を走り抜ける影を見付け、素早く声を上げた。
「敵影発見!
それと同時に森の各所から野太い遠吠えが響き、沢を轟音で震わせた。
気の弱い生き物はこの遠吠えだけで気を失ってしまいかねない圧力。
しかし隊員達は戦を潜り抜けた選りすぐりだけあって、一人として恐慌状態に陥らなかった。油断なく剣や槍を構え、寸部の隙もなく陣を形成している。
これには紅も多少感心した。
「どうやら皆様、肝はそれなりに据わってらっしゃるようですね」
刀に手をやりながら呟くと、アトレットに質問を飛ばす紅。
「だいあうるふとは?」
「えっと。でっかい狼です!」
この上なく雑で的確な説明を受け、紅は微笑んだ。
「要は狼と習性は同じということですね。では私が囮になります」
狼の群れの狩りは、狙った集団を掻き乱し、はぐれた者を集中して襲う。
紅は敢えてその役を引き受けると言ったのだ。
「ですが隊長。円陣を組んで一体ずつ対処していく方が確実では……」
「あれだけ巨躯の狼です。持久力は相当でしょう。休憩をした分、ゆっくり相手をしている時間はありません」
狼とは獲物が疲れ果てるまで、しつこく追いたてるものだ。根比べとなると分が悪い。
カティアの意見を却下し、紅は円陣を割って外に出る。
「何。食後の軽い運動です。合図をしたら全員すぐに地面に伏せて下さい」
集団から離れ際に命令を下し、首だけ振り返ってにこりと笑みを見せる。
「遅れたら死にますよ」
『りょ、了解であります!』
隊員達の慌てた声を背に、紅は沢を下って隊から離れて行く。
果たして予想通り、一人はぐれた個体に目を付け森の中の影が並走してくる。
そして再度遠吠えが響いたと思うと、人より巨大な狼が複数森から飛び出し、猛然と紅に襲い掛かった。
「今です」
紅の合図に隊員達が地へ伏せるのと同時に、紅の手先が一瞬消える。
わずかな静寂の後、地を蹴った狼達の身が横一文字にずれていき、同時に周囲の森の木々が一斉に放射状に倒れて轟音を立てた。
居合一閃。
森の中で群れが一直線になるのを見計らい、木々ごと一刀のもとに斬り払ったのだ。
憐れダイアウルフの群れは断末魔すら上げる間もなく両断され、木々の下敷きとなった。
「い……生きてる……か?」
「すげえ……何も見えなかったけど、一瞬で全滅させた……?」
「これが隊長の力……」
口々に隊員の感嘆が漏れる中、紅の戦闘を間近で見たことがあるアトレットだけが、得意げに腕組みし頷いていた。
「当然の結果ですね! このくらい紅様にかかれば楽勝ですよー」
ベルンツァの帝国軍を一人で壊滅させたと言う話が、尾ひれの付いた噂だと思っていた隊員達は、否応なく意識を変えざるを得なかった。
「すごい、すごいぞ。これなら帝国相手でも余裕なんじゃないか!?」
「おう! やたら報酬がいいから死地送りかと思ったが。生きて帰れそうじゃねえか!」
「紅隊長万歳! 公国万歳!」
「おお……女神はもう一人いらっしゃった……勝利の女神だ……!!」
にわかに沸き立つ隊員達を尻目に、紅の元にカティアとアトレットが歩み寄る。
「お疲れ様でした、隊長。その……凄かったですね……」
明らかに驚愕しているカティアは、紅が部下など不要と断言した理由に納得がいった様子だった。
「いやーさすが紅様です! 私は信じてました!」
対照的に溌剌としたアトレットは、紅の回りをくるくると飛び跳ねる。
が、ふとその動きを止めてこてんと首を傾げた。
「あー、でも紅様、何かおかしいです。こいつらの縄張りはもっと西だったはずなんですけど」
「肉の匂いで呼び寄せてしまったのでしょうか?」
「いやー、匂いが届く程近くじゃないんですよー。風向きもちゃんと見てましたし」
カティアの疑問に、ぶんぶんと手を振り否定するアトレット。
「西ですか。……隠し砦を作った際に、森の勢力図が変わった可能性は?」
「あ! それはあるかもですねー。さすが紅様!」
「なるほど、あり得ますね」
紅の言葉に二人が頷く。
「ということは、アトレット。ここから先は貴方の知る森ではない。偵察任務が、より重要性を帯びたことになるわ。気を引き締めて頼むわね」
「りょーかいです!」
カティアの言葉に元気よく敬礼を返すアトレット。
「他にも斥候の心得がある隊員がおります。彼らも動員し、これより先は十分警戒して進むべきでしょう」
「手配は頼みます、カティア」
「はっ!」
早速隊員の元へ走るカティアを見送ると、紅は刀の柄を撫でつつ、一人ぽつりと呟く。
「どうせ斬るならば、早く人を斬りたいものですね」
その物騒な言葉は誰の耳にも止まらず、沢の流れに乗って消えて行った。
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