七 一報

「ベルンツァが奪還されただと?」


 レンド公国東の街道沿いで野営中だった、ウグルーシュ帝国第5軍司令アレスト少将は、天幕内にて緊急の報を受けて思わず聞き返した。


「公国の海軍が乗り込んできたのか? クルーザ大尉には精兵3千を預けてきたのだぞ。そう簡単に敗れるとは思えんが」

「い、いえ、それが……かろうじて生き残り合流した兵らによりますと、海から現れた凄腕の少女一人に駐留部隊が壊滅させられたとのこと……!」


 伝令自身も入ってきた情報を信じられぬといった表情で告げる。


「少女一人……誤報ではないのか? クルーザ大尉はどうした!」

「はっ……クルーザ大尉は件の少女へ一騎討ちを挑み、一撃で首を取られたという目撃証言が上がっております。それを見ていた兵らはパニックを起こし、まともな精神状態ではないとも……」

「あの武勇名高いクルーザ大尉が、一撃で……?」


 アレストの脇に立ち、共に報告を聞いていた第5軍参謀、グリンディール大佐が呆然として呟く。


「にわかには信じられんな……大佐はどう見る」


 未だ懐疑的なアレストに話を振られ、グリンディールは顎に手をやりしばし考え込む。


「……精神に異常をきたしたとはいえ、複数の目撃証言がある以上、誤報と断じることは早計かと。何より、ベルンツァが落ちたという事実は重く受け止めるべきでしょう」

「そうだな……今回の作戦はベルンツァの兵站あって成立するもの。一度進軍を止め、本国の指示を仰ぐべきか」

「それがよろしいでしょう。早速手配致します。……報告ご苦労だった。下がってよい」


 グリンディールは伝令を退去させると、天幕の入り口を見張らせていた近衛兵に早馬を出すよう言伝ことづてた。


「それにしても……我が帝国軍を相手に単身で挑み、あまつさえ壊滅させるだと? どんな悪い冗談だ……」


 ぎしぎしと音を立てる固い椅子に顔をしかめつつ、アレストは深い溜め息を吐いた。


「悪い冗談……であってくれれば良いのですがね……事実であれば凄まじい化け物と言う他ありません。文字通りの一騎当千でしょう」


 グリンディールは眩暈めまいを覚えたかのように首を振ると、天幕の天井を仰いだ。


「その少女が公国の手の者かは不明ですが、いずれ密偵が何らかの情報を掴むかと。それまでは迂闊に動かぬのが賢明かと思われます」

「うむ……しかし公国側が猶予を与えてくれれば、だがな」


 ベルンツァを出発してから一週間程。幾つかの砦を落とし、兵站線を築きながらの行軍のため、まだ内陸深部には至っていない。


 情報を集めるにせよ、その間に公国軍が何の手も打たずにいるとは到底考えにくかった。


 もしこのタイミングで海上よりベルンツァ解放のため海軍が動いていたとしたら、最悪敵国の中で孤立、完全包囲されることになろう。


 現在連れている兵は、第5軍の半数に当たる3万程。

 公国軍の動かせる兵数を考えれば多少持ちこたえることは可能であろうが、今後の作戦行動においても、決して無駄にしてよい兵力ではない。


「これは作戦続行より、撤退を視野に入れておくべきか……?」


 アレストは机上の地図を見やり、思案に暮れる。


 彼は必要とあらば果敢な決断を下すが、無益な交戦は好まない。猛将揃いの帝国軍においては珍しい理知的な将だった。

 それを臆病とそしる者も多い。だがその選択は常に何が帝国の利益に繋がるかという理念が根底にあり、綿密な計算の上に成り立っている。


 そもそも今回の作戦は、ベルンツァを陥落させて公国の補給路を減らすと共に、東部戦線を押し上げることが肝であった。

 手持ちの物資は潤沢とは言え、肝心のベルンツァが奪還されてしまったことで計画の基盤は瓦解しているのだ。


 東部南下の第二目標である公国の守りの要、ランツ要塞まではあと一歩というところまで来ているが、要塞攻めの最中にベルンツァから後方を突かれれば一たまりも無い。


 現状をかんがみれば、作戦続行はリスクが高いと言わざるを得ないだろう。


 幸い現在進行している公国東の街道からは、帝国への国境は近い。


 国境沿いに布陣するか、物見の砦に身を寄せれば、いざという時に離脱は容易である。


「南方戦線との足並みが乱れることになりますが、不測の事態です。第4軍のゴルトー司令も理解して頂けるかと」

「だといいがな……」


 グリンディールが肯定の意を示すが、アレストは曖昧あいまいに頷いた。


 出世欲に目が眩んだ同僚のむさくるしい髭面ひげづらを思い出すと、ずんと憂鬱な気分になった。


 ゴルトー少将は、30半ばと若くして出世したアレストを疎んじている節がある。


 かの者であれば、今回の自分の失態を槍玉にあげ、失脚の火種に使うこともいとわないだろう。


 同じくつわを並べる者同士で、足を引っ張り合っている場合ではないというのに。


 今更ながらに、帝国も一枚岩ではないことが悔やまれた。


「……ちっ、気に食わん。大佐、一杯付き合え」

「は。喜んで」


 何はともあれ、今は情報が圧倒的に不足している。

 すぐに行動に移れない苛立ちを紛らわせるために、アレストは敢えて度数の高い酒を選んで手に取った。

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