六 招待
領主の館と言うだけあって、内部はかなりの広さであった。
一面白亜の壁で統一された豪奢で眩い内装に、ふかふかの赤い
そして長い廊下をひたすら進み、幾度目かの角を曲がった先に、他の部屋とは一線を
クレントは扉の両脇にいた兵士と敬礼を交わし、
「救世主殿をお連れした。領主様に取次ぎを頼む」
と、兵士の片割れに願い出た。
兵士はしばし待つよう言い残してノックの後に部屋へ入ると、すぐに顔を見せて扉を開け放つ。
「お入り下さい」
「ご苦労」
クレントは一つ頷くと、紅へ振り返って共に入るよう促した。
「では参りましょう、紅殿」
「はい」
二人が横に並んでも十分な大きさの入り口を潜ると、見事な調度品に囲まれた事務机の前に立つ、身なりの良い男の姿があった。
「領主様。この度の英雄、紅殿をお連れ致しました」
クレントの言葉に男は鷹揚に頷き、紅の前に立つと、すっと
「初めまして、救世主殿。本来ならばこちらから出向くべきところを、ご足労頂きありがとうございます」
老境に差し掛かったと見える
仮にも一領主が、素性の知れぬ小娘に接する態度ではない。
それだけ今回の功績に感謝しているということなのだろう。
「クレント曹長も案内ご苦労だった。下がってよろしい」
「はっ、失礼致します」
びしりと敬礼を一つ残し、クレントは退室した。
「では紅様。立ち話もなんですので、こちらへお掛け下さい」
立ち上がった領主は応接用のテーブルセットを指し、紅を誘った。
そして紅がソファに座したのを確認すると、自らも対面に着席する。
「失礼。名乗るのが遅れました。私はこの港町ベルンツァを預かる、アルフレド・フォン・ベルンツァと申します。以降、お見知りおき下さい」
アルフレドが自己紹介をする間に、部屋の奥にあった扉が開き、メイドが給仕用の台車を運んで来る。
「漂着からこちら、ずっと戦闘をされていたと伺っております。さぞやお疲れでしょう。大したもてなしも出来ませんが、せめてくつろいで頂ければ幸いです」
「ええ、お言葉に甘えます。正直、人の多い場所は苦手でしたから」
紅は言葉通りに身体から力を抜き、柔らかなソファへ身を委ねた。
「ははは……町の者達も悪気があってのことではないかと。帝国の支配下にあった抑圧から解放され、少々羽目を外してしまったのでしょう」
アルフレドは紅が住民達にもみくちゃにされる様でも想像したのだろう。苦笑を浮かべて住民を擁護した。
そう話を交わしている間にも、メイドは慣れた手つきで紅茶を入れ、二人の前へカップと茶請けを差し出した。
初めての芳しい香りが、紅の鼻孔をくすぐる。
「良い香りですね。私の祖国には無かったお茶です」
カップを取り上げ一通り香りを楽しむと、紅は一口琥珀色の液体をすする。
「おいしい……」
「お口に合ったのなら何よりです。恥ずかしながら、多くの物資を略奪された後でして。これくらいしかすぐにお出し出来ないものですから」
「十分です」
喧噪から解放され、美味なお茶を振る舞われた紅は、精神的な疲労が
「それでは改めまして……この度は危機にあった我が町をお救い頂き、誠にありがとうございました。領主として、全住民を代表してお礼申し上げます」
紅が落ち着いた頃合いを見計らい、アルフレドは謝辞と共に再び深く頭を下げた。
「いいえ。皆様にも申しましたが、賊を討ったのは私が好きでやったこと。大袈裟にお礼を受けることではありません」
「なんと謙虚なことを仰る。しかし貴方には大したことではないかも知れませんが、失意の底にあった我々にとっては、まさに天の使いとも思える奇跡でした。どうか我等が謝礼を受け入れて頂きたいのです」
こうまで言われて、別段固辞するものでもない。
「そういうことであれば」
紅は軽く頷き礼を受け入れると、すぐに興味を失い紅茶の続きを楽しんだ。
「ありがとうございます。……ところで紅様は海から小舟でいらっしゃったと伺いました。お召し物から見て、和国の方かと存じますが……どういった事情でいらしたのか、お聞きしてもよろしいですか?」
アルフレドの声にわずかな緊張が混ざったのを紅は感じた。
恐らく礼はついで。本題はこちらなのだろう。
町を救った英雄と言えど、領主としては素性を把握しておきたくもあろう。それが密入国者であれば、尚更。
どう答えたものか思案する紅に、アルフレドは安心させるためか努めて穏やかな声音で先を続けた。
「いえ、仮に密入国だとしても貴方はこの町、ひいては国の大恩人。その件は不問と致します。私が気になるのは、そうまでして大陸に渡ってきた理由です」
密入国を咎めたとて、武力で紅を拘束することなどできない。そう悟った故の処置のようにも思える。
何にせよ、面倒ごとにならずに済むならそれに越したことはない。
「人を探しに参りました」
紅茶を飲み干し、ほうと息を吐いた紅はさらりと一言。
「人探し、ですか……しかしこのエウロア大陸は広い上、現在ほぼ全土が戦争中です。お一人での行動には限界があるでしょう」
思案を巡らせる表情で、豊かな白髭を撫でるアルフレドの目に、決意の光が灯る。
「紅様。提案、いえ、お願いがございます。貴方の
メイドに紅茶のおかわりをもらいながら、紅は無言で先を促した。
「現在我がレンド公国は長い戦により疲弊し、かき集めた兵の三分の一は志願兵と徴兵した学徒、傭兵など非正規の者が占めております。対するウグルーシュ帝国は大陸でも有数の軍事国家。数も質も、とてもではありませんが比較になりません。しかし貴方ほどの実力者に手をお貸し頂ければ、まだ逆転の目はある、と判断致しました」
「お話はわかりました。ですが、私には何の利がありましょうか」
淹れたての紅茶の香りを吸い込みながら、平坦な声で質問する紅。
偶然立ち寄った場で賊に行き会った故に処分した。紅としてはそれだけの話であり、この町や国に特に思い入れがある訳でもない。
正義感、などとは最も縁遠い生き方をしてきたのだ。情に訴えるだけ時間の無駄である。
その思考を察したのか、アルフレドは紅が食い付くであろう条件を提示することを強いられた。
「……貴方はこの大陸に来たばかりで、何かと不便がおありではと存じます。衣食住の保障と、当然ながら報奨金を進呈致します。そして、軍の諜報部を通せば、尋ね人の情報も得やすくなるかと」
紅にとって衣食や金は興味の対象ではないが、情報の面では悪い話ではない。
何より、合法的に戦に参加できるとなれば。
「もちろん、今すぐにお返事をされずとも結構です。現在海路にて我が軍がこちらへ向かっているとのこと。その船には私より現状に詳しい者が乗っております。その者の話を聞いて頂いてからでも構いません」
「そう致しましょう」
「ええ、ええ。是非! それまでは当館にご滞在頂き、ご自由にお過ごし下さい」
安堵したアルフレドがメイドに部屋の用意を命じる横で、紅の心はすでに固まりつつあった。
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