五 救世主

 ベルンツァの町から帝国兵を一掃した紅は、瞬く間に住民達の熱烈な歓迎に呑み込まれた。


 帝国兵の支配下から解放された住民達は、これまでの鬱憤うっぷんを晴らすように歌い、騒ぎ、踊り回る。


 紅はその中心に据えられ、いつの間にやら手近な酒場に引っ張り込まれて歓待を受けていた。


 住民達に次々と手を取られては礼を述べられ、供え物のように料理や酒を押し付けられてゆく。


「いや~、あの威張り腐った帝国野郎どもをぶっ殺してくれてありがとよ! すかっとしたぜ!」

「本当に! こんな小さな身体なのにもの凄く強いなんて、素敵ねぇ!」

「今日は大放出だ! 何でも好きなもん頼んでいってくれ! おかわりもし放題だぜ!」


 人を斬って恐れられこそすれ、このように感謝された覚えのない紅は、住民の熱狂ぶりに面食らっていた。


 山のように積まれた見知らぬ料理に手を付けることもなく、ただ流されるままに喧噪へ耳を傾けていると、人込みを割って近寄って来る気配を察知した。


「ああ、すまんな皆、道を開けてくれ。救世主殿に大事な話があるんだ」


 そう言って人込みをかき分けて来る壮年の男は、身なりこそ他の住民と大差ないが、服の上からでもわかる筋肉の隆起を誇っていた。


 加えて、住民達の押し合いへし合いもものともしない体幹の強さ。

 まず間違いなく戦闘訓練を受けた兵だろうと察しがつく。


 やがて男はようやく紅の目前に辿り着くと、その手を取って、見えているかもわからない相手に向けて深々と頭を下げた。


「お初にお目にかかります、救世主殿。小官はレンド公国ベルンツァ守備隊所属のクレント曹長であります。この度は町をお救い頂き、誠にありがとうございました」


 ようやく丁寧で落ち着いた物腰の人物が現れたことで、紅はほっと胸を撫で下ろし、対話に応じることにする。


「いいえ。私が好きでやったこと。礼など不要です」

「いえいえ、とんでもない! 我々守備隊は帝国軍の奇襲に対応できず、わずかな生き残りで地下に潜って反撃の機をうかがっておりました。しかし帝国兵との戦力差は絶望的で、これまで全く手出しならなかったのです。それをいとも容易く解決して下さって、まことに感謝の念に堪えません。よろしければ、是非お名前をお教え願えませんか?」

べにと申します」

「ありがとうございます。紅殿ですね」


 紅が名乗ると、クレントは刻み込むように反芻はんすうした後、本題であろう話を切り出した。


「ところで紅殿。実はこの町の領主様も直接お礼を申し上げたいと仰っているのです。よろしければ、館までご足労願えませんでしょうか?」


 そこで一旦言葉を区切ると、クレントは未だ興奮冷めやらぬ店内を見回した。


「少なくとも、よりは落ち着けると思われますよ」


 人々の熱狂の渦中にあって軽い疲労を感じていた紅にとって、それは魅力的な提案に聞こえた。


「わかりました。ご招待をお受けします」

「おお、ありがとうございます! それでは早速ご案内させて頂きます」


 クレントは姿勢よくびしりと敬礼を一つすると、再び人垣を割って店から紅を連れ出した。

 町を救った英雄を連れていかれることに住民達は一時不平を漏らしたが、やがて解放感が勝ったのか、元のお祭り騒ぎに興じて行った。




「ここが領主様の館になります」


 町の丘の上に位置する立派な館を指して、クレントは門の前で立ち止まった。


「クレント曹長、お疲れ様です。その方が例の救世主殿でありますか?」


 門番であろう兵士がクレントに敬礼をしつつ尋ねる。


「そうだ。門を開けてくれ」

「了解であります! 開門!」


 門番が一つ叫ぶと、内部で操作する者がいるのだろう、巨大な両開きの門扉がごりごりと重い音を立てて開いていった。


「頑強そうな良い門ですね。有事の際はこの館が砦の役割を果たすのでしょうか」


 クレントに続いて館の敷地へ入った紅は、再び閉まった門扉をちらりと振り返って問う。


「ええ、館内に兵舎が併設されているのです。ただ恥ずかしながら、今回の帝国の奇襲に我々は全く対応できませんでしたので、この館が機能することも無かったのですが」


 クレントは自嘲気味に苦笑すると、館までの広い庭を横切る小道を先導し始めた。


「ところで紅殿は、その……目が見えていらっしゃるのでしょうか?」


 ふとクレントは紅を見やると、遠慮がちに質問した。


 港から領主の館まで徒歩で二十分程度。その行程は激戦の後も生々しく、足の踏み場も危うい箇所がいくつもあった。

 しかし紅はクレントの手を一切借りずに易々と移動し、今まさに館の防衛力をも推察して見せた。

 実は目が見えているのではという疑念は当然のことである。


「いいえ。見えてはいませんが、気配で大体のことは分かります」


 紅は何でもないことのように言い、変わらず手を引かれずともクレントの後を自然に追う。


「……小官自身は未熟ながら、武の極致に心眼というものがあると聞き及んだことがあります。もしや紅殿はその使い手でいらっしゃるのですか?」

「ふふ。どうでしょうね」


 かすかに震えるクレントの問いに対して、紅は否定も肯定もせず。ただ悪戯っぽく微笑むのみ。


 クレントはその美貌に見惚れそうになるのを堪え、慌てて前を向いて先導に専念する。


 しかしその動揺もどこ吹く風で、今度は紅の質問が飛んだ。


「ところで。戦があったとなれば、領主など真っ先に首を取られそうなものですが。何故生きていらっしゃるのでしょう」

「は、小官も政治に詳しい訳ではないのですが……領主様は爵位持ちの貴族でして。帝国も人質として、何らかの交渉材料に使うつもりだったのではないかと推測します。そのお陰で、使用人共々監禁こそされましたが、大きなお怪我は負っておりません」

「それは何より。なるほど。大陸ではそういった戦の作法もあるのですね」


 クレントの説明によって、早速新たな知見を得られたと笑みを深める紅。


 そうこうやり取りをしている間にも、二人は館の入り口まで辿り着いていた。


「クレント曹長と、救世主殿に敬礼!」


 入り口の両側に立った兵士がびしりと敬礼をするのに対し、クレントも返礼する。


 そして兵士が開けた扉を潜って、紅とクレントは領主の館内へ踏み入った。

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