四 剣鬼、大陸に立つ

「ぎ……ぎゃあああああ!?」


 腕を斬り落とされてややあってから、兵の悲鳴が響いた。


 少女は気にした風もないまま立ち去ろうとしたが、流石に精鋭である帝国兵の動きは早かった。


 周りにいた兵が素早く抜刀して囲みを作り、少女の逃げ場を断ったのだ。


「貴様、我等に手を出してただで済むと思うのか!」

「はて。どうにも臭うと思えば、野犬の群れでございましたか」


 こてり、と首を斜めに傾げた姿は愛らしい。


 しかし、ことこの場面で見せる仕草ではあるまい。小馬鹿にした台詞といい、美しくとも違和感は拭えなかった。


「うおおおあああ! 腕、俺の腕がああああ!!」


 喚き散らす兵は残った片手で剣を抜き放ち、すさまじい形相で血潮を振り撒きながら少女に向かい走り出す。


「畜生があ! てめえも同じにしてやる!!」


 怒りが痛みを凌駕りょうがしたのか、思い切り振りかぶった一撃が少女を襲う。


「痛みますか。ならば楽にして差し上げます」


 少女が微笑むと同時、いつの間にかに抜き放たれた紅色の刀が陽光を反射した。


 すると斬りかかった兵は少女を逸れて走り抜け、囲みの兵へ激突したではないか。


「お、おい、何してんだ! 平気か!?」


 味方の兵が肩を揺すると、腕を斬られた兵の首がごろりと落ちる。


 それを見た兵達からどよめきが沸き起こった。


 先の腕にしても、誰の目にも止まらぬ速さで剣を振るったというのか。


 盲目とは思えない、恐ろしい程の腕前。


 クルーザが思わず戦慄する間にも、兵達が仇を討つべく果敢に攻勢に出る。


 しかし少女は焦り一つ見せずに言い放つ。


「あなた方も、抜いたからにはお覚悟なさいませ」


 直後に、一方的な殺戮が始まった。


 精鋭であるはずの帝国兵が、どこの誰とも知れぬ、しかも年端もゆかぬ小娘に、剣を交えることも許されずに首を刎ねられ、胴を断たれ、四肢を飛ばされてゆく。


 ふと気付けば周囲の部下が全滅していたことに、クルーザは背中が冷たくなっていくのを感じた。


 久しく無かった、強敵との出会い。

 だと言うのに、全く高揚感が無い。


 怯え。否……この震えは、武者震いだ。


 そう己に言い聞かせ、クルーザは酒瓶を投げ捨てると、大剣を抜き放って少女の前に立った。


「よう、お嬢ちゃん。部下が世話になったな」


 慎重に間合いを計りながら、声を掛ける。

 他の兵同様、問答無用で攻撃されるかと身構えていたが、意外にも少女は律儀に会話に応じた。


「いいえ。どういたしまして。塵掃除のお役に立てましたか」

「俺の部下がゴミだと言いてえのか……?」

「ふふ。自覚がおありのようで何より」


 言動こそ過激だが、袖を口に当ててくすりと笑う姿は歳相応の仕種に見える。


 痛烈な皮肉にいきどおりを感じたクルーザは、ふと名も知れぬ花のかぐわしい香りが鼻孔を横切る感覚に見舞われ、つい毒気を抜かれそうになった。


 ……気を強く持たねば。あの美貌に心を奪われてはならない。


 クルーザはぎりっと奥歯を噛み締め踏み止まり、部下達の無念を晴らすべく己を奮起ふんきさせた。


「ところで」


 静かに覚悟を決めつつあったクルーザの出鼻をくじくように、少女はマイペースに声を上げる。


「私はたまたまここへ漂着した身。よろしければ、この地の名をお教え願えませんか」


 唐突に世間話じみた話題を振られ、クルーザは困惑した。

 しかし、今更悠長に話に付き合う義理は無い。部下を無残に殺されているのだ。


 そして更に続いた少女の言葉は、ついにクルーザの逆鱗に触れた。


「教えて頂ければ、あなたは見逃して差し上げます」

「……これでも上官なんでな。部下を殺されて、はいそうですかとお喋りなんざできねえんだよ。それに俺も腕に覚えのある身。ここまでこけにされて、見逃される筋合いはねえ……!」


 最早クルーザの胸中には怒りの一点のみ。大剣を隙無く構え、少女を睨み付けた。


「そうですか。残念です」


 ふう、と少女が息を吐き、無造作に一歩踏み出した。


 ──ここだ。


 クルーザは己の間合いに少女が入ったのを見逃さず、ためらいなく大剣を上段から振り下ろす。


 これまで幾人もの腕自慢を真っ二つにしてきた無二の剛剣である。

 今回もそうなると信じ、全力で繰り出した。

 過去一番の冴えであると自負できる渾身の一撃。



 ……のはずだった。



「これが大陸の剣ですか。思ったより大きく、変わった形をしていますね」


 クルーザの幅広の大剣をしげしげと観察し、首を傾げる少女。


 己の全てを込めた剣は、少女の人差し指と中指の間に容易く受け止められていた。


「ちっ……! なっ……動かん……!?」


 クルーザはとっさに身を退こうとするが、それは叶わなかった。


 少女は剣先を軽くつまんでいるだけのように見える。しかしその実、万力まんりきに挟まれたかのようにびくりともしない。

 その事実がクルーザの胸に恐怖となって押し寄せた。


「見せて頂き、ありがとうございました」


 少女はにっこりと柔らかく微笑むと、ひょいと大剣をクルーザの手からいとも簡単に取り上げ、海の彼方へ放り投げた。


「ば……化け物か……!?」

「鬼、とはよく呼ばれております」


 思わずへたり込んだクルーザを見下ろし、少女は微笑を浮かべたままおっとりと言葉を返す。


「あなたが頭目のようでしたので、一手見せて頂きましたが。やはり私には有象無象の区別は付きませんね」


 ちゃきり──


 鍔鳴りと共に納刀した少女は、クルーザの横を悠々と横切って町へ向かってゆく。

 その行く手には、巡回中だった他の兵が慌ただしく駆け付けて来ていた。


「まあ、些細なことです。人間など掃いて捨てる程いるのですから。案内は他の方にお願いしましょう」


 少女は舌舐めずりを一つして、増援を迎え撃つ。

 そしてきっと、帝国兵は皆殺しにされるのだ。


 クルーザには最早それを止めることはできなかった。


 何故ならすでに胴から首を切り離され、こと切れていたのだから。

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