十五 浸透

 紅はまず手近にあった東側の倉庫らしき建物に近寄り、入り口に立つ見張り兵へ気安く声をかけた。


「こんばんは。一つお尋ねしますが、こちらの建物は食糧庫でしょうか」

「は? なんだお前……は……」


 突如現れた、場に似つかわしくない和装の美少女に思わず見惚れる兵士だが、それも束の間。


「……っ!? し、侵入──」


 本来の職務を思い出し、呼子笛を吹こうとした兵士の首が笛を持った腕ごと宙に舞った。


「残念。もう少しお話をしたかったのですが。騒がしくされるのはまだ困ります」


 崩れ落ちた兵士の死骸を省みず、紅は建物の扉を調べる。


 貨物の搬入口なのだろう。紅の背丈の倍はあろうかという高さの両開きの扉である。


 しかし頑丈な鍵がかかっており、扉はびくともしなかった。


 たった今始末した見張りの懐もあらためたが、それらしきものは見つからず。


 しかし紅は気にせず早々に侵入を諦めた。

 今現在、食糧庫に用がある訳ではないのだから。


 兵が寝泊まりしている場所にわざわざ鍵などかけないだろうし、全てが片付いてから部下に捜索させればよいことだ。


 となれば話は簡単。

 同じ列に並ぶ似た建物は倉庫だと想定し、見張りだけ片付けてしまえばいい。


 紅は早速行動に移し、中庭を風の如く走り抜ける。


 倉庫は他に四つあり、見張りの首も四つ飛んだ。


 そして紅は南の門へ辿り着くと、そこにも設けられた門脇の小部屋の門番も斬り伏せ、先程と同じように奪った剣でレバーを固定した。


 これで城壁から飛び降りでもしないかぎり、この砦から脱出は不可能となった。


「さて。それでは本丸へと参りましょうか」


 紅は舌なめずりを一つしながら、兵舎と思われる西側の大きな建物へ向かう。


 入り口の篝火の下では、槍を持った兵が二人、眠そうに槍にもたれかかっている。交代の時間が近いのだろうか。随分な気の抜けようだった。


 それでも紅が明るみに堂々と姿を晒すと、途端に目が覚めたようでがばりと姿勢を正した。


「こんばんは。よい夜ですね」

「何者だ! ……って、なんでこんなところに女の子が?」

「馬鹿野郎! 誰だろうが侵入者に決まってんだろ!」


 寝惚けた相棒の尻を蹴飛ばし、真面目な見張りはすぐに呼子笛を高らかに吹き鳴らした。


「ふふ。判断が早くて何より」


 紅は敢えて止めず、兵舎の窓に明かりが灯っていくのを感知して満足そうに微笑んだ。


「ありがとうございます。これで大分手間が省けました」

「何を言って……まさか一人じゃないのか?」

「いいえ。一人です。だからこそ、ですよ」


 紅はくすりと一つ笑みを漏らすと、さも名案かのように考えを披露する。


「寝静まっている兵をいちいち斬っていくより、起こしてまとめて相手をした方が早く済むでしょう?」


 得意げに満面の笑顔を浮かべる少女の案に、兵士二人は思わず顔を見合わせた。


「……本気か? 一人で俺達全員相手にするつもりだと……」

「もちろんです。そのお膳立ては済みましたので、あなた方にはもう用はありません」

「ちっ! 舐めるな!」


 兵士の片割れが激高して槍を突き出すも、突如半ばから斬り飛ばされて槍とは呼べない代物と化す。


「な……!?」


 驚愕に目を見開いた顔面が、斜めにずれて鮮血を噴き出した。


「うお!?」


 それを見て仰け反った相方の首も、一声いっせいを残してごろりと地に落ちる。


「眠たかったのでしょう? 存分におやすみなさいませ」


 血飛沫を上げて倒れる二人の合間を抜け、兵舎の扉を開け放つ紅。


 するとホール内にはすでに数十人の兵が集まっていた。


 鎧をまとう間も惜しんで、武器だけを帯びて迎撃に出た者達だろう。


 通常の鼠、密偵の類が入り込んだ程度の事態では、まずは人数をかき集めて包囲するのが最優先であり、正しい判断だと言えた。


「皆様、訓練の成果が出ていらっしゃるようで何よりです」


 兵の鑑とも言える行動を目にして頬が緩む紅を他所に、帝国兵は寝起きにも関わらず速やかに隊伍を組んで距離を詰めてきていた。


「いいか、できるだけ生け捕りにしろ! 所属を吐かせねばならん!」


 上官らしき者の命令が飛ぶ。これも普段であれば的確な指示である。


 そして中庭からも複数の足音が響いて来た。兵舎の裏口から回り込んできた兵士達だろう。


 呼子笛が鳴ってから、何分も経たずに紅はすっかり帝国兵に包囲されていた。


「素晴らしい動きです。かような辺境の砦でくすぶっているのは、さぞかし退屈でしたでしょうね」


 紅は場違いにも賛辞と拍手を送り、帝国兵を戸惑わせた。


「何を言っている? この人数相手にまったく動じてないぞ……」

「気を付けろ。何か策があるのかも知れん」


 どよめきながら、紅の動きに警戒する兵士達。


「ふふ。策などありませんよ」


 紅が大刀を一振りしつつ一歩前に出ると、兵士達の輪も合わせて下がる。


 と同時に、前衛の兵士十数人が、全身から鮮血を噴き出してばらばらに崩れて行った。


「な、なんだ!?」


 事態を飲み込めずに上官が狼狽うろたえる。


「ただ前進し、鏖殺おうさつあるのみです」


 紅の口元が美しくも歪んだ弧を描く。


「さあ。存分に死合いましょう」


 こうして逃げ場のない閉所にて、容赦なき蹂躙が始まった。

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