百十 先遣隊到着
氷漬けだったグルーフ要塞跡が何とか復旧し、再開した駐屯地設営作業が佳境を迎えた頃、ワーレン要塞から出撃した本隊の先遣隊2万が到着を果たした。
部隊を率いる指揮官はコルテス少佐。キール中将直属の部下の中でも、特に真面目で信任
設営部隊の歓迎を受けながら下馬し、寄って来た兵に馬を任せると、真っ直ぐに指令本部の天幕へと向かうコルテス。
その入り口には遠目にも目立つ、彼のよく知る人物がいた。
「お疲れ様です、ユーゴー少佐。アッシュブール奪還作戦先遣隊、只今到着致しました」
コルテスの丁寧な報告と敬礼を受けた、太鼓腹の大男──ユーゴー少佐は、睨んでいた書面から視線を上げると、途端に相好を崩した。
「おお、コルテス少佐か! 待ちかねたぞ。遠路遥々ご苦労だった」
「いえ。先んじて陣地構築をされていた貴殿らに比べれば、何のことはありません。我々の任務はこれからですので」
ユーゴーの返礼を受けたコルテスは
階級は同じだが、年長であるユーゴーに対してしっかり敬語を使う辺り、彼の生真面目な性格が覗えた。
「ああ、そうだな。我々に代わり、前線での活躍を期待しているぞ。要塞跡の北側に宿営地を設置してある。ひとまずそこへ落ち着いて、長旅の疲れを取ってくれ」
「ご配慮に感謝します」
コルテスは礼を述べると、背後を振り返って部下達に移動を促した。
その際周囲を
「それにしても、この度は災難でしたね。三騎将の襲撃を受けて、一時壊滅の危機に陥ったとお聞きしましたが」
「ああ……敵襲は警戒していたが、まさか三騎将自ら出張って来るとは想定外だった。突然現れたと思えば、一瞬にしてここら一帯を部隊ごと凍らされてな。文字通りに肝が冷えた。紅少佐相当がいなければ、今頃氷像としてここに立っていたかも知れん。むう、思い出しただけでも寒気がする」
自分の言葉に身震いするユーゴーに、コルテスは同情の眼差しを向けた。
「三騎将とはそれ程のものなのですね。それを撃破した少佐相当には、敬意と共に驚きを禁じ得ません」
「まったくだ。帝国側もその脅威を認識したのだろう。あれ以降の襲撃はなく、安心して陣地構築に専念できている。少佐相当様様という訳だ」
「その少佐相当はどちらへ? 挨拶も兼ねて、お渡しするものがあるのですが」
「北側で見張りについているはずだが、もうじき昼だからな。そろそろ戻って来るかも知れん。……お、噂をすればだ」
コルテスの質問を受けたユーゴーが周辺を見渡すと、遊撃隊を連れた紅が要塞跡を抜けて駐屯地へ入って来るところだった。
「紅少佐相当! 良いタイミングだ! こちらへ来てくれないか!」
ユーゴーに大声で呼びかけられた紅は、隊員に解散を命じ、カティアを伴って歩み寄ってきた。
「はてさて。どのようなご用件でしょう」
「貴官に来客だよ。先程到着した先遣隊の指揮官、コルテス少佐だ」
「救国の英雄殿に再びこうして会えて光栄だ。カティア中尉も健在のようで何より」
コルテスの取った敬礼に、カティアが代わりに返礼する横で、紅はこてりと首を傾げた。
「はて。どなたでしょうか。とんと記憶にないのですが」
「ちょ、隊長……! ワーレン要塞の祝勝会で、キール中将と一緒におられた方ですよ!」
「そんなこともありましたか」
慌てた様子でカティアが耳打ちするも、紅はぴんと来ていない様子。
それも無理はない。
紅とは確かに祝勝会の席にて顔を合わせているが、コルテスは他の重鎮に気を遣って出しゃばらなかったこともあり、印象に残らなかったのだろう。
しかしコルテスは、存在を忘れられたからと言ってへそを曲げるような器の小さな男ではなかった。
「覚えていないなら構わない。改めて自己紹介をさせて頂くまで。この度アッシュブール攻略隊の先遣を仰せつかった、キール中将
「努力致しましょう」
そうあくまで穏やかな物腰で名乗りを上げるコルテスに、紅は小さく頷き微笑んだ。
「それと、用件は挨拶だけではなく、キール中将より辞令を預かって来ている。受け取ってくれ」
「拝領致します」
コルテスが差し出した書状を、カティアが代わりに手に取って内容を検める。
「これは……!」
驚愕したカティアがコルテスへ目配せをすると、頷いて読み上げるように促した。
「それでは僭越ながら……此度のミザール原野制圧及び、三騎将討伐の功績を評価し、紅少佐相当を一階級昇進とする、とのことです。おめでとうございます、隊長!」
「なんと、それはめでたい!」
カティアの感極まった声に続き、ユーゴーも惜しみない拍手を送っていた。
「いや、まったく。こんな短期間で追い抜かれてしまうとは思いもしませんでした。それも文句のつけようのない戦果を叩き出されているのですから、小官としては立つ瀬がありませんな!」
途端に態度を上官へのそれへ切り替える辺り、根っからの軍人である。
「おめでとうございます、紅中佐相当殿。そういう訳ですので、只今をもって先遣隊の指揮権を委譲致します。存分に我々をお使い下さい」
同様に口調を改めたコルテスがびしりと敬礼を取るも、紅の反応は薄かった。
「はてさて。困りましたね。これ以上余計な責任を抱える器量は、私にはないのですが」
そうこぼす紅は明らかに迷惑そうであったが、しばし思案した後、悪戯を思いついたように口を開く。
「それでは、あなたへの最初の指示はこうしましょう。部隊の指揮権を預けますので、私の代わりに運用して下さい。元の鞘に納めてしまえば万事解決ですね」
「な……!?」
さも名案であるかのように、にっこりと輝く笑みで言い放つ紅に絶句するコルテス。
現場の最高権力を握った者が、こうもあっさりと指揮権を放棄するなど、職業軍人である彼にはまったく理解が及ばなかったのだ。
「少佐殿。お気持ちは痛い程理解できるつもりです。現状でも、遊撃隊の指揮は小官に投げっぱなしですから……まさか一軍単位でもやるとは思いませんでしたが……こうなると隊長は何を言っても聞きませんので、観念なさって下さい」
カティアがこめかみを押さえつつ、コルテスへ言って聞かせる。
「あ、ああ……いえ、中佐相当殿がそう仰るならば、小官に異論はありません。しかと拝命致しました」
カティアの同情を受けて我に返ったコルテスは、色々言いたいことを全て飲み込んで不動の敬礼を取った。
「はい。良いように計らって下さいませ」
満足そうに紅は頷くと、しばしコルテスの出方を覗う。
「な、何か?」
じっとりと観察されている気分になったコルテスが問うと、
「その様子では、今回はお土産はないようですね」
紅はあからさまにがっかりとしたように息を吐いた。
「ええと……これまで昇進の度に甘味を頂いていたので、それを期待したのだと思います……」
カティアが申し訳なさそうに紅の代弁をして見せると、ユーゴーが噴き出した。
「ぶはは! 昇級などより、甘味の方がよほど重要であると。さすが中佐相当殿!」
「あ、ああ、これは気が利きませんでした。申し訳ありません」
慌てて頭を下げるコルテスだったが、紅はすでに興味を失ったようだった。
「いいえ。あなたに落ち度はありません。こちらが勝手に期待しただけですから。それでは昼食を取りますので、これにて失礼致します」
冷淡にそれだけ言い残すと、返事も待たずに紅はくるりと背を向け、カティアを伴って炊事場へと立ち去った。
「……これは何とも……自由な方ですね……」
敬礼で見送ったコルテスは、思わずそう呟いていた。
「くっくっく。そうだろう? これまでは俺が振り回されていたが、今度は貴官の番という訳だ」
仲間ができたとばかりに意地悪く笑うユーゴーに、早速紅の奔放さへ触れて困惑したコルテスは、返す言葉が見付からなかった。
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