百九 杞憂を願う

「何という圧倒的な戦果! 本当に大したものだ、あの少女は!」


 レンド公国軍参謀本部部長ロマノフ中将は、執務室にて紅による帝国三騎将撃破の一報を受けて歓喜の声を上げた。


 帝国最強との呼び声高い三騎将の一角を単独で潰したとなれば、計算上は帝国が今後どのような刺客を差し向けようが打ち勝つ見込みがあると言える。


 今後前線を押し上げる際に、強力な敵の襲撃を恐れることなく、大胆に部隊展開をできるようになった点は非常に大きい。


「グルーフ要塞を失ったのは残念だったが、その損失を補って余りある功績だ。これはまた昇進をさせねば、兵から苦情が出てしまうな」

「そうですね……」


 上機嫌で葉巻をくゆらせるロマノフを前に、報告書を届けに訪れた情報部のエヴァン少将は物憂げに同意した。


「む、どうした少将。このような朗報が届いたと言うのに元気がないな」

「いえ、そのようなことは」


 ロマノフに指摘され、エヴァンは慌てて居住まいを正し、否定しようとするも断念した。


「……閣下の目は誤魔化せませんね。実のところ、紅少佐相当の動きが早過ぎるあまり、連日情報の整理に追われているのです。その疲れが出たのかも知れません。お見苦しいところをお見せ致しまして、申し訳ありません」


 エヴァンが深く一礼するも、ロマノフは労わるように笑みを浮かべたままだった。


「それも仕方あるまい。よもや一日でミザール原野を制圧するなど誰が予想できたものか。カーレル大尉が直々に見ていなければ、誤報かと疑う程のあり得ん進撃速度だからな」

「はい。彼女の能力は常人から遥かにかけ離れたものであります。最早我々では量り知れません」


 だからこそ恐ろしい、との一言を、エヴァンは辛うじて飲み込んだ。


 実際にエヴァンを悩ませているのは、先日カーレルより上がってきた、和国滅亡の要因が紅であるという情報だった。


 紅が異常な戦果を上げれば上げる程、その話が信憑性を増して行くことに、エヴァンは一人危機感を募らせていたのだ。


 しかし公国軍の次なる目標は、元公国領地最北限の都市アッシュブール。

 ここさえ取り戻せば、帝国を完全に公国領から追い出すことができる、言わば正念場である。


 現時点でロマノフへ戦喰らいの件を相談しても、余計な混乱を呼び込み、作戦遂行に支障をきたす可能性が高いだろう。それだけは避けねばならない。


 だからこそ、今すぐ吐き出してしまいたいところを堪えて胸の内に仕舞っているのだが、日に日に神経が摩耗していくのを胃痛を通して自覚していた。


 そんなエヴァンの苦悩を知ってか知らずか、ロマノフは話題を切り替えた。


「そんな紅少佐相当のお陰で、いよいよアッシュブール奪還に乗り出せる訳だが。現状の進捗しんちょくはどうなっている?」

「は。先行した部隊による兵站線構築は順調。ワーレン要塞を発った本隊も近日中に現地へ到着する見込みとなっております」


 これ幸いと、エヴァンは会話に集中して気を紛らわせることにした。


「うむ、結構。三騎将すら破った少佐相当が防衛についている以上、帝国から迂闊に手を出してくる心配はあるまい。今頃は大慌てでアッシュブールの防備を固めているだろうからな」

「同感です。しかし逆説的に、攻略難度が上がってしまう可能性も否定できません」

「確かに。ただでさえ住民を人質に取られている形であるしな。犠牲を出さずに陥落させるのは難しいか」


 ロマノフがため息交じりに紫煙を吐き出す。


「少佐相当の武力をちらつかせて、撤退勧告を出すのはどうだろうな」

「……試す価値はあるかと思われますが……」


 ロマノフの提言を受け、エヴァンはしばし思案する。


「……拒否される公算が高いと予想致します」

「ふむ。根拠は?」

「一つに。閣下が仰られたように、住民を盾に強気な姿勢で出て来る可能性があること。そして二つに、アッシュブールは公国領への最後の足掛かりであると同時に、聖王国への牽制にも利用していることが挙げられます。帝国としてはそう簡単に手放す訳にはいかない重要拠点です。仮に小官が帝国将だったとしても、死守を厳命するでしょう」


 アッシュブールは四方に街道が伸び、様々な地域へ行き来ができる交通の要所である。


 特に西側は公国の支援国であるヘンツブルグ聖王国の国境へと繋がっており、帝国軍はそちらへも部隊を展開して睨みを利かせ、側面を突かれないようにしているのだ。


 逆に言えば、アッシュブールさえ解放すれば聖王国の増援と合流でき、国境線の守備を固められるため、帝国と公国、双方にとって譲れない拠点であった。


「そして三つに。これは私見となりますが、三騎将を破られた帝国が、何の手も打たずに守りに徹するだけとは到底思えません。通常の軍では紅少佐相当を止められないことは思い知ったはずなのですから。恐らくは三騎将に匹敵するような奥の手を投入して来る可能性も考慮するべきかと愚行致します」


 理由を指折り数え上げて見せたエヴァンに、ロマノフは深く頷いた。


「となれば、やはり正攻法しかないようだな。至急現地の見取り図を手配し、資料をまとめてくれたまえ。次の軍議までに頼む」

「了解致しました」


 エヴァンが敬礼を返すと、ロマノフは椅子の背もたれに体重を預けて葉巻を咥え直す。


「しかしまあ、そう悲観的になることもなかろう。我々には勝利の女神がついているのだからな」


 にっと口角を上げるロマノフの言葉に、エヴァンは一瞬言葉を詰まらせた。


「……そうですね。彼女であれば、単身都市内に乗り込んで制圧をしかねません。心配があるとすれば、帝国軍ごと、住民も斬ってしまわないかという点ですが……」


 思わず本音をこぼしてから、エヴァンははっとして慌てて言い繕う。


「ああ、いえ、他意はありませんので! 失言でした、どうかお忘れ下さい……」

「は、ははは……少しばかり、性質たちの悪い冗談だったな、少将。いくら戦好きの少佐相当でも、分別というものはあるだろう。……あるはずだ、うむ」


 葉巻を取り落としそうになったロマノフが、乾いた笑いを響かせた。


「え、ええ。仰る通りですとも」


 互いに言い聞かせるように頷き合うも、気まずい空気はしばし消えなかった。

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