五章 激動

百八 雪中遊戯

 紅と帝国三騎将フィオリナ大佐との決闘の地となったグルーフ要塞跡の北側は、紅が抉り取った一部を除き、依然として一面白銀の世界が広がっていた。


 氷竜が倒れたことで吹雪こそ止んでいるが、降り積もった雪は本物らしく、すぐさま消える様子は見受けられない。


 季節は夏に差し掛かりつつあるとは言え、量が量である。自然に解け切るまでにはかなりの時間を要するだろう。


 氷竜のブレスを受けて凍り付いた仮設駐屯地も、未だ施設や資材の解凍が済んでおらず、兵らが沸かした湯をかけたり、火で炙ったりなどして復旧に当たっている。


 その間手の空いた紅はカティアの提案を受けて、雪中訓練と称して遊撃隊と連れ立って雪原へと赴いていた。




「うへえ。こんな大量の雪、見たことないぜ」

「あの氷竜だけでここまで地形を変えちまうとはなあ。改めて三騎将のやばさがわかるってもんだ」

「それを軽く捻っちまった隊長はやっぱりぱねぇな……」

「……女神の力は自然災害をも凌駕する……」


 大量の積雪に足を取られながら行軍する遊撃隊の面々が、思い思いの感想を口にする。


 大陸でも特に温暖な気候である公国では雪が降ること自体が珍しく、初めて雪に触れた隊員も多くいた。


「帝国は北の高山帯にありますから、仮に攻め込むとなれば雪中行軍をする場面もあるかも知れません。この機会に慣れておくのが良いかと思います」


 カティアも深い雪に埋もれた足を引き抜くのに悪戦苦闘しながら、平然と雪上を歩き前を行く紅に今回の訓練目的を説明し始める。


「いやっふうううう!! ゆっきだあああああ!!」


 その時一面の雪を見て興奮したアトレットが、豪快に全身を投げ出した。


「おおー! ふかふか~! ってあれ?」


 たちまちぼふんと人型の穴を作ってずぶずぶと埋もれて行き、身動き取れずにじたばたと暴れ出す。


「ふぎゃー! ちょま……! 足が届かないんですけどー!?」


 もがけばもがく程に深みへはまり、軽いパニックを起こすアトレットを、近くにいた隊員が二人がかりで引っ張りあげた。


「何してんだ、まったく。新雪を甘く見るからこうなるんだよ」

「はしゃぎ方が犬と変わらないんだよなあ。斥候らしく、もうちょい慎重になれ」

「あざました……」


 呆れながら説教する隊員達へ、珍しく素直に礼を言ってしゅんと頭を垂れるアトレット。雪が綺麗なだけではなく、危険を含むことを肌で体験したせいだろう。


「……ああいった事故も未然に防げるでしょうし、有意義な訓練になるかと」

「アトレットは今日も元気で何よりです」


 カティアが頭痛を抑えて続けると、紅はくすくすと笑みを漏らした。


「そうやって隊長が甘やかすから……ああ、いえ。もういいです」


 注意するだけ無駄だと悟り、カティアは話を元に戻す。


「まずはその辺りを哨戒がてら一回りして、全員を雪に慣れさせましょう。その後、本隊が到着した際に必要なスペースを確保するための除雪作業に入ろうかと思いますが、いかがでしょう」

「カティアが立てた計画であれば文句はありません。ですが、そうですね。敢えて言うなら、楽しくやりましょうか」


 紅は振り返ると、にっこりと笑みを広げた。


「と、仰いますと?」


 密かに嫌な予感を覚えるカティアだが、顔には出さずに問い返す。


「一面の雪。そして運動をするとなれば。相応しい遊び方があります」


 紅はしゃがんで雪をひとすくいすると、手の平で丸めて雪玉を作り出した。


「隊を分け、このように玉を作ってぶつけ合う。即ち、雪合戦です」


 紅は言いながら、作った雪玉を離れた岩山へと投げ付ける。


 手を離れた雪玉は一瞬で姿を消し、直後に岩山へどがんと轟音を立てて大穴を穿っていた。


「な、なるほど。聞き覚えはあります。雪国の伝統的な遊戯なのだとか」


 その威力に顔を引きつらせながらも、カティアは記憶から情報を引っ張り出した。


「確かにこのところ皆働き詰めでしたし、単に行軍をするより遊びながら雪に慣れるというのは、息抜きに良いかも知れませんね」

「でしょう? それに雪玉というものは、いざという時の投擲武器としても侮れません。和国にも豪雪地帯があったのですが、試しに雪だけで戦に挑んでみたところ、三万程度の兵は苦もなく蹴散らせましたし」

「それはそうでしょうね……」


 岩に穴を穿つ程の雪玉を受ければ、人の群れなど容易く貫通していくだろう。カティアはその標的となった軍に同情を禁じ得なかった。


「では雪合戦を実施するとして、隊はどう分けましょう」


 先程の轟音を聞いて何事かと集まってきた隊員達を見回して、カティアは紅へ尋ねた。


「はてさて」


 紅は小首を傾げてしばし思案顔を見せる。


「雪合戦ですか? いいですね、腕が鳴ります」

「お前経験者かよ。こっちは雪を見るのすら初めてだぞ。手加減しろよな」

「帝国が相手でもそう言うのか? 勝負は非情なんだよ」

「何だとー! 大人げないぞこらー!」

「おお、アトレットが正論を」


 どやどやと騒ぎ始める面々を眺めて、何やら閃いた様子で紅は口を開いた。


「経験者と初心者を均等に分けるのも面倒です。ここは私と皆様で分かれましょうか」

『げ』


 にっこりと笑みを見せた紅に、隊員達は一斉に固まった。


「ああ、私からは手を出しませんのでご安心を。動く的だとでも思って、遠慮せず投げて下さい」


 続く言葉で全員が安堵の息を吐くが、次の紅の一言がさらなる波紋を呼んだ。


「そうですね。皆様が全力を出せるように、景品を付けましょう。私に一発でも当てられた方には、私のできる範囲で何かご褒美を差し上げます」


 ざわり、と。一瞬のどよめきが隊員達の間を駆け抜け、浮ついた雰囲気が消し飛んだ。


「紅様、質問です! 何をお願いしてもいいんですか!! 例えばほっぺにちゅーとか!!」


 手を上げたアトレットがこれまでにない気迫を込めて問う。


「それくらいは構いませんよ」

『うおおおおおおおおおお!!』


 紅が安請け合いすると、たちまち隊員達の魂に火が付いた。


「添い寝……!」

「頭なでなで……!」

「膝枕……!」

「い、良いんですか? そんな約束をしてしまって」

「この方が盛り上がるでしょう。カティアも遠慮せず狙って下さいね」


 目をぎらつかせる隊員達の様子に危機感を覚えるカティアだが、紅はにこにことするばかり。


 かくしてよこしまな野望に燃える隊員達と、紅との熱い戦いが幕を上げた。




 詳細は語るまでもないが、敢えて言うなれば、雪の上を自在に移動する紅を相手に、足元すら覚束おぼつかない者達がいくら徒党を組もうが、まともに投擲を当てることなどできようはずがなく。


 しかし特に時間制限を設けなかったため、隊員達は全員疲労で動けなくなるまで奮闘し、結局丸一日を雪合戦に費やした。


 良い訓練、及び余興とはなったものの、予定されていた除雪作業を行う余力すら無くし、次の日には全員が極度の筋肉痛で身動き一つ取れなくなっていた。


 結果、その尻拭いとして駆り出され、除雪作業を火炎のブレスで見事に完了させたリュークが、紅から頭を撫でてもらう褒美を獲得したのだった。

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