百七 悪魔の所業

 ウグルーシュ帝国第6軍分隊の占領下にある城塞都市アッシュブールは、今日も表向きは平穏を保っていた。


 もちろん水面下での反抗勢力狩りは続き、それに付随する見せしめの拷問や処刑は連日行われているが、数ヶ月に及ぶ弾圧によりその規模は着実に小さくなっており、火種が消えるのも時間の問題と思われる。


 庁舎前の広場から響く悲鳴も、新たな支配者と言う現実を受け入れた住民達にとっては最早日常茶飯事となっていた。自分が標的にならなければいい、という諦観が反抗する気力を奪ったのだ。


 住民の反抗心を削ぐことと並行して、兵站線を確立させた現在、横行していた町からの略奪も徐々に減らし、治安を安定させる時期へと移行している。


 これは司令官ダルザック少将の采配で、近く勃発するであろう防衛戦にて、内部で反乱が起きないように配慮したものだ。


 恐怖政治からの解放により、住民の暮らしは以前のものを取り戻しつつある。


 この飴と鞭の巧妙な使い分けこそ、ダルザックをやり手と言わしめる要因であった。




「うむ。今日もいい天気じゃないか。視察日和……と言うには少々暑くなってきたが」


 初夏の午後の陽気の下を、護衛を引き連れて町中を練り歩くダルザックが、手の平越しに太陽を見上げた。


「ほんのこてな。帝都は山ん上やったで、余計にぬくう感ずっど」


 ダルザックの横をふらふらと歩くカネヒサが気だるそうに同意した。

 その体調不良は暑さだけが原因ではなさそうだったが、それでも片手には酒瓶をぶら下げているあたり、無類の酒好きなのだろうと覗わせる。


「ああ、君は帝都から到着したばかりだしな。標高差もあるが、公国は大陸最南端でもある。気温差には参るだろう」

「まったくじゃ。こげん時は呑んに限っわい」


 同情の視線を送るダルザックの目の前で、豪快に酒瓶を逆さにするカネヒサ。


「酒は余計に体温を上げると思うが……まあ個人の嗜好に口は挟むまい」


 肩を竦めたダルザックは、酒に夢中なカネヒサを放置して視察を続けた。


 ここまで歩いて来た範囲では、彼の命令は兵に行き渡っており、無理な略奪行為も暴行場面も目にしていない。

 通りが閑散としているのは変わりないが、住民が屋内で大人しくしてくれている分には管理が楽でいい。


 己の政策が順調なことに満足したダルザックは、別の懸案に思考を傾けた。


「さて。フィオリナ大佐が出撃してから丸一日は経ったか。かの氷竜ならば、もうグルーフ要塞に到着していてもおかしくない頃だが」

「ああ。あん別嬪べっぴんどんか。上手くいっちょっとよかねぇ」


 ダルザックの呟きに、カネヒサがげふうと酒臭い息を吐いて反応した。


「大佐のことだ。もう悪魔を倒して、公国軍も制圧し終えているかも知れんな」

「ほお。そげん強かとな」

「それはそうだよ君ぃ。帝国の誇る最強の一角だぞ? 何と言っても帝国でも三頭しか乗り手のいない希少種を従えている上、本人も竜と同等の力を持っているのだ。これまでも多くの国を単身で落としている。負ける要素がどこにあると言うのかね」


 ダルザックは我がことのように胸を張るが、カネヒサは酒をぐびりと一口含んで静かに一言を吐き出す。


「戦は何があっかわからん。じゃっどん、あん娘には死んでもらいとうはなかねぇ」

「がっはっは! あの大佐が死ぬものか! 明日にでも、あの綺麗な尊顔を見せに戻って来てくれるとも!」

「じゃとよかね。別嬪が死ぬんは世界ん損じゃ」

「うむ、違いない!」


 そうこう言い合う内に、一行はあらかたの視察を終え、町の南門へ差し掛かった。


 その時。

 ずどん、と大きな衝撃音と共に地面がかすかに振動した。


「む、地震か?」

「いや。そいにしてはみじかか」


 揺れは一瞬だったため、カネヒサがすぐさま否定する。


「……あちらが何やら騒がしいな」


 門に面した大通りに、大勢の兵が集まって慌てている様子をダルザックは視認した。


「こりゃ、血ん匂いじゃな」


 鼻をひくつかせて顎に手をやるカネヒサの言葉に反応し、ダルザックは手近にいた兵を捕まえて問い質す。


「おい貴様! 何があったか説明しろ」

「こ、これは少将閣下! それが、その……」


 突如声をかけられた兵は委縮し、二の句を告げられず。辛うじて兵の集まる輪を指差した。


「そうか。見た方が早いと言うのだな」


 乱暴に兵を突き飛ばすと、ダルザックとカネヒサは人垣をかき分けて中へ入り込んで行った。


「……何と言うことだ……!」


 目に飛び込んで来た光景に、ダルザックは戦慄して足を止めた。


「かあ~……挑発にしてん、酷かことをすっもんじゃ。もったいなか」


 同じく足を止めて溜め息をつくカネヒサ。


 二人が目にしたのは、大通りの真ん中を塞ぐようにして路面に深くめり込んだ、巨大な青い竜の頭であった。


 そのすぐ側には、今や見る影もなくなったフィオリナ大佐の半壊した首が転がっていることから、彼女の愛竜であることは間違いないだろう。


 氷竜の広い額には、刃で付けたのだろう文字が刻まれていた。

 「さらなる強者をほっす」との一文が。


 三騎将が破れたことに加え、わざわざその首を届けに外壁一枚を隔てて悪魔が訪れていたと言う事実が、兵を恐慌状態に陥れていたのだった。


 この野蛮な所業は、いつでも都市内に攻め込める、という意思表示にも感じられ、余計に兵の恐怖を煽った。


「あああ、あり得ん……あり得んぞ……大佐が破れるなど、まったく想定しておらん! 至急本国に連絡し、増援と物資の手配を急がせねば……!」


 フィオリナが悪魔に負けたということは、公国軍も健在であるはず。

 いずれ北上して来るだろう敵への備えを、顔を真っ青にして震えながら思案し始めるダルザック。


「おい、そこん。こん首、いつからあった?」


 そんなダルザックを他所に、カネヒサは近くで呆けていた兵に尋ねる。


「え、あ……ついさっき、城壁の向こう側から投げ込まれたようで……」


 そこまで聞くと、話の途中でカネヒサは猛然と駆け出していた。


 先程の衝撃が、首が地面に叩き付けられた音だったのならば、犯人はまだ近くにいるかも知れないと踏んだのだ。


 たちまち南門まで辿り着くと、勢いのままに決して低くない外壁の上まで駆け昇る。


 しかし高みから見渡した視界一面は、無人の平原が広がるばかりであった。


「ちっ。もうおらん。なんちゅう足ん速さじゃ」


 気配すら残さず逃げ去った相手に舌打ちすると、やけ気味に酒をあおるカネヒサ。


「強者を欲す? 上等じゃ。次はここん攻めて来っちゅうなら、おいがそん首取ってやっでな。別嬪を殺したつけを払わせてやっど」


 袖すり合うも多少の縁。カネヒサは一度とは言え杯を交わしたフィオリナの仇討ちを心に決める。

 空になった酒瓶をばきんと握り割り、異国の傭兵は遥か遠方を睨み付けた。













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