百六 飽くなき欲求

 紅の放ったかしいだ十字の斬撃が、軌道上の全てを薙ぎ払い、地面ごと雪原を抉り取って欠片も残さず無に帰してゆく。

 こうなれば霧氷を操る能力も形無しであった。


「なんて威力……! しかも剣を転移させた!?」


 側面に回り込んで難を逃れたフィオリナが、紅の右手に戻った大刀を認めて動揺の声を上げた。


「私とくれないは一心同体。呼べば応えてくれるのです」


 土中へ残していても心配一つしなかったのは、この手段があったからなのだ。


 紅は微笑みながら、なおも別角度から降り注ぐ氷剣の雨を見えざる斬撃にてすり潰してゆく。


「ふふ。やはり馴染んだ得物が一番ですね」


 紅い刀と脇差による神速の連撃が、襲い来る全てを微粒子単位にまで分解し、霧氷の発生すら許さなかった。


「まだ上のギアがあったなんてね……初手で斬り捨てられたと言うのも、はったりじゃなかったって訳か」


 盤面をあっさり引っ繰り返されても、フィオリナは勝負を投げずに魔剣を構えた。


「それだけの火力があって、何故初めから一気に勝負を決めなかったの?」

「言ったはずですが。じっくりと死合いたいと」


 フィオリナの問いに、二刀を無造作にぶら下げた紅は愛らしい笑みを見せる。


「あなたは見事に期待に応えて下さいました。ですので、本来の得物でお相手するのが筋だと思った次第です」

「そう。ここからが本気と言う訳ね」


 緊張感をにじませるフィオリナに対し、紅は不思議そうに小首を傾げた。


「はて。本気を出すとは言っておりませんが」

「……は?」


 思わず問い返したフィオリナの視界に打ち立てられた氷壁が、紅が近寄るだけで瞬時に分解された。


「大刀を使うに値すると認めただけです。これが私の常の型ですので。本気を出すかはあなた次第。是非とも引き出して見せて下さいませ」

「どこまでも上から目線ね。その慢心は身を滅ぼすわよ」


 フィオリナは破壊された氷壁の代わりに、氷剣を打ち合わせて霧氷を生み出すも、身を隠す間もなく紅の放った剣風にて吹き飛ばされていた。


「かくれんぼは十分堪能しました。ここからは鬼ごっこと参りましょう」

「ちっ。ああそう。でも正面勝負は趣味じゃないのよね」


 にこにこと微笑みながらゆっくりと歩み寄る紅を、フィオリナは覚悟を決めた様子で睨み付けた。


 二本の魔剣を真っ向から紅へ向けると、駆け出しながら次々と無数の氷剣を撃ち出してゆく。


 しかし紅の歩みを止めることは叶わず。

 まるで見えざる壁が立ちはだかっているかのように、紅に届きもせずに途中で消え失せて行った。


「豆鉄砲扱いとはね! でもこれならどう?」


 氷剣の射撃がもはや時間稼ぎにすらならないと悟ったフィオリナは、紅を中心として円を描いて駆け抜けながら、残っていた地面の雪を撃ち抜いて高々と巻き上げる。

 そして消し飛ばされる前に瞬時に結合させると、次々と巨大な氷剣を生み出した。


「本当に多彩な技をお持ちですね」


 全方位から振り下ろされる複数の氷の巨剣を前にしても、紅の笑みは喜びに輝くばかり。


 膨大な質量を伴った巨剣群をもってすら、剣の結界を破ることはできず。紅の間合いに入る端から、やすりに削られたように刀身が消失していく。


「まったく、どこまで速度が上がるのよあの剣は!」


 フィオリナは毒づきながらも攻め手を緩めない。


 紅の意識が頭上の巨剣に向いたと見るや、背後から魔剣を伸ばして振り抜いた。


 しかし紅を捉えたはずの瞬間、かつりと硬い音と共に剣が止まる。


 紅は右手一本で巨剣を斬り飛ばしながら、振り返りもせずに背を襲った刃を脇差の剣先で受け止めていた。


「残念」


 一言発した紅が脇差を滑らせると、剣閃が氷剣を真っ二つにしながらフィオリナの元まで達する。


 とっさに刃を切り離して難を逃れたフィオリナだが、跳んだ先にはすでに紅が回り込んでいた。


「つーかまーえた」


 フィオリナの正面に立って鼻歌交じりに宣言すると、魔剣を握った両手首が宙へ舞う。


「つう……!!」


 フィオリナは遅れてやってきた苦痛に顔を歪めるも、歯を食いしばって次の動きへ移っていた。


「腕の一本二本で、この私が止まるかって言うのよ!!」


 宙に浮いたままだった片手から口で魔剣を奪い取り、同時にもう片方を足で踏み付け刃を地に突き立てる。

 すると直後に地面が瞬時に凍り付き、紅の足元をも含む周囲広範を覆い尽くした。


 紅はとっさに後退して宙に逃れていたが、フィオリナが突き立てた魔剣を蹴り上げると、一面の氷がテーブルを引っ繰り返したかのように派手にめくれ上がったではないか。


「ふふ。豪快ですね。その気概はお見事」


 天地を逆さにしたような異様な光景の中、くすりと笑みを漏らした紅は、焦りも見せずに氷の盤面を容易く両断する。


 するとその正面には、刀の振り終わりを狙って飛び込んで来たフィオリナの姿。

 紅がそれを認めた時には、フィオリナの咥えた魔剣がこれまでにない速度で伸びて、その喉元を貫通していた。



 ──かに見えた。



 がらがらと大音響を立てて崩れ落ちる氷塊の中、紅の残像を突き抜けたフィオリナは静かに立ち尽くす。


 その背後には、五体無傷の紅の姿。


「久々に全力を出したって言うのに、締まらない結果ね……」


 その口から魔剣を取り落とし、フィオリナは力なく呟いた。


「私は愉しめました。ありがとうございます」


 すでに音もなく納刀した紅は、丁寧な一礼をその背に送った。


「本当、生意気……でもまあ、いいか。貴方みたいに、可愛くて強い子に負けるなら……」


 フィオリナが薄く笑いながら天を仰ぐと、全身に切れ目が入ってゆく。


「ヘルヘイム……今そっちに逝くわ」


 最期にそう言い残し、三騎将の一角フィオリナ大佐はぼろぼろと崩れ落ちて行った。

 主が死んだせいか、はたまた最後に魔力を使い果たしたのか、氷の魔剣も後を追うように溶けて形を失ってゆく。


「はてさて。かくも見事なり三騎将、と言ったところでしょうか。良い肩慣らしになりました」


 その散り際を看取った紅は、感じ入った様子で一人ごちる。


「しかし本気を出すには、あと一歩というところでしたね。他の方はもっと歯応えがあると良いのですが。早くお会いしたいものです」


 まだ見ぬ強者に想いを馳せて思案顔を見せた紅は、ふと悪戯を思い付いたような笑みを咲かせた。


「あちら様に、もっと危機感を持って頂ければ戦力を集中して下さるでしょうか。ちょうどいいお土産がありますし、一度ご挨拶に伺ってみるのも良いかも知れませんね」


 一計案じた様子の紅は、早速実行に移すべく作業に取り掛かった。

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