百十一 進軍開始

 アッシュブール奪還作戦先遣隊が到着したことで、いよいよ公国軍の前線押し上げが開始された。


 グルーフ要塞跡北部にはまだ多量の雪が残ってはいたが、除雪作業によって街道を掘り起こし、雪原の切れ目までの経路は確保してある。軍が通行する分には不都合はなかった。


 兵の全体指揮は、早々に紅から指揮権を押し付けられたコルテス少佐が執り、今のところ滞りなく行軍は進んでいる。


 一定の間隔を置いて兵站用の陣地を確保しつつ、帝国の斥候や防衛部隊を発見した場合はこれを撃退し、露払いを済ませることが先遣隊に課せられた任務であった。


 とは言え、紅を含む遊撃隊が斥候として先行しているが、敵影はまるで見えず。

 雪原を抜けた先の、街道沿いに点在する物見の塔すら、もぬけの殻の有り様。


 どうやら近辺の帝国部隊は完全にアッシュブールへと撤収し、公国軍の迎撃のため都市の守備に専念する方針のように見受けられる。


 そのような経緯もあって、グルーフ要塞跡からアッシュブールまでの全三日の行程の内、二日目までが何事もなく過ぎ去っていた。




「どうにも順調すぎて、怖いくらいですね」


 夜を迎え、野営地で火を囲んでいる時、カティアがぽつりと呟いた。


「そうですかー? 敵がいないならいないで、楽でいいじゃないですかー」


 小枝に刺した干し肉を焚火で炙りながら、アトレットが能天気な声を出す。


「貴方は斥候として、もう少し緊張感を持ちなさいよ……」


 じとりとカティアが睨みつけても、アトレットはどこ吹く風。


「ずっと気を張り続けてもお肌によくないですよー。あー、ほらほら中尉、目元にしわが!」

「ええ、嘘!? そんなはずは……!」


 カティアは思わず顔に手をやるも、アトレットはそれを見てにまりとほくそ笑んだ。


「うっそでーす! やーい、引っかかったー!」

「ああもう、この子は! 今は真面目な話をしてるのよ!」

「いひゃいいひゃい!」


 声を荒げたカティアに両側から頬を引っ張られて悲鳴をあげるアトレット。


「毎度毎度余計なことを言うのはこの口!?」

「だえかたひゅけて~!」

「自業自得だ阿呆」

「今のはお前が悪い」

「ぴっちぴちお肌の中尉殿になんてこと言いやがる」

「ちんちくりんが美容について語るなんざ10年早え」


 周囲の隊員に助けを求めるも、誰も味方する者はいなかった。


「それはさておき、中尉の感じてることもわかる気がするぜ。嵐の前の静けさって言うのか?」

「ここまで何もないのも不気味だよな」

「こっちが攻めるのはわかってんだから、見張りくらいは置くだろ普通」


 隊員達も違和感を覚えていたようで、口々に感想を言い合う。


「隊長はこの状況をどうお考えですか?」


 ひとしきりアトレットにお仕置きを済ませたカティアが、黙々と食事を取っていた紅へ話を振る。


「そうですね。あちらへご挨拶に伺った際、必要以上に怖がらせてしまったのかも知れません」

「は? 挨拶……?」


 さらりと口にした爆弾発言に、カティア以下隊員達が凍り付いた。


「おや。言っていませんでしたか」


 紅は首をこてりと傾け、アッシュブールへフィオリナと氷竜の首を届けて、実質的に宣戦布告した経緯を簡単に説明してみせた。


「ちょ……何を勝手に先走ってるんですか!?」

「首を投げ込んで挑戦状を叩き付ける! さすが紅様! かっこいい~!!」


 カティアとアトレットが、同時に真逆の反応を見せて叫ぶ。 


「あの日の内にそんなことまでやってたのか……えげつねえ……」

「いやあ、納得だわー。普通三日かかる距離を半日で走破する化け物がいると知ったら、見張りを置いても無駄だと思うよな」

「早馬にせよ狼煙のろしにせよ、速攻で潰されるのは目に見えてるもんな……」

「……女神の侵攻は疾風のごとし……何者も阻める道理はなし……」

「そりゃあびびって全軍拠点に引っ込める訳だ」


 合点が行ったとばかりに、頷き合う隊員達。


「何でそういった重要なことをお話し下さらないのですか!?」

「はて。現地に着けば知れることですし」


 思わず詰め寄るカティアだが、紅は何故責められているのかさっぱりわからないといった様子で不思議そうにしている。


「それと、結果的には敵戦力を一カ所にまとめることに繋がりました。何の問題がありましょうか」

「それは……そうかも知れませんが……!」


 逆に冷静な一言を返されて言葉に詰まるカティア。


 これからアッシュブール方面へ進出し、最終的には包囲をするにあたって、紅の指摘した条件は実に都合がいい点であるのは確かだった。


「……はあ……済んでしまったことですし、もういいです……」


 釈然としないまま、カティアはそれ以上の追及を諦めた。


 そして、紅がとことん集団行動に向いていない性格なのだと改めて実感する。


 同時に、何の相談もせずに突っ走っていく紅の背中を見ることしかできない己が、至極不甲斐なく感じられた。


「もしかして……隊長にとって、私達は単なる足手まといでしかないのでしょうか……?」


 思わず、常々胸に秘めていた心情を漏らしてしまうカティア。


「そのようなことはありません」


 その言葉を拾い上げた紅は、断固とした口調で言い切った。


「本当ですか……? 先日の三騎将襲来の際も、助けて頂いただけで何もお役に立てませんでしたが……」

「私と皆様は役割が違います。戦は私の担当です。皆様がその他の世話を焼いて下さるからこそ、私は万全の状態で戦に臨めるのです。邪魔だと思う訳がないでしょう」


 紅は優しく語り掛け、不安げな表情のカティアの手を取る。


「そうですよ! 中尉は深く考えすぎです! あたし達は紅様の子分! 無心でお仕えすればいいだけです!」


 その後ろに立ったアトレットが、気合を入れようと尻をぱしんと叩く。


「お前は考えなしすぎるけどな。だが良いこと言った!」

「イスカレル大佐にも最初から召使い扱いされてたしな」

「隊長からすれば、戦では誰だって足手まといですよ。俺達は隊長の支援隊だと割り切っていきましょうや。適材適所ってやつです」

「……貴方達……」

「いひゃいいひゃい」


 再びアトレットの頬を引っ張りながら、自分を元気付けようとする隊員達の言葉に感じ入るカティア。


「ふふ。このように良い関係を築いている皆様を軽んじる理由がありません」


 紅は微笑みながら、カティアの肩を抱き寄せた。


「以前にも言いましたが、私は人の心の機微に疎いので。気になることがあれば、こうして直接言葉にして下さい」


 紅の美貌が間近に迫り、カティアは一瞬で赤面するも、その温もりに身を委ねるように目を閉じた。


「はい……それではこの際なので、もう一つよろしいですか」

「どうぞ」

「今後は独断専行をせずに、まずはご相談して頂けませんか」

「それは確約できませんね」

「……やっぱり……」


 悪びれもせずに言い切る紅に、カティアはがっくりと肩を落として嘆息する。


 彼女の苦労はまだまだ続きそうであった。

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