百八十六 提案

 唐突な求婚にも無反応を貫く紅だったが、シャトラークは気にも止めずに言葉を連ねていた。


「艶やかな髪は黒翡翠くろひすい。透き通る肌は真珠でしょうか。いえ、世にあるものでは貴方の美を余さず表現することなどできませんね」


 様々に紅の容姿を絶賛したかと思えば、


「自慢ではありませんが、我が商会はサステロスでも五指に入る規模。何不自由ない暮らしを約束しましょう」


 莫大な富をちらつかせて懐柔しようとする。


 あの手この手を繰り出して紅の気を引こうと試みるシャトラークを前に、カティアは唖然としていた。


 何しろこれまで、紅の美貌に見惚れる者はいても、こうも堂々と口説こうとした者は皆無だったからだ。


 加えて、外交の場で使者を口説くなど前代未聞。この男は為政者として、大分型破りであるようだ。


 淀みなく口説き文句が出て来る辺り、相当手慣れているように見える。

 彼の整った容姿と財力があれば、たま輿こしに目が眩む女性も多いことだろう。


「この広い世界で巡り合えた幸運を例えるならば、砂漠の中で一粒の金を見出すようなもの。それを得られた私の興奮を、ご理解頂けるでしょうか」


 自分に向けられたものではないとわかっていても、カティアが気恥ずかしくなるくらいの熱量でシャトラークは紅に語り掛ける。


 ふとその口上を、すぱりと断ち切る一言が放たれた。


「よく回る舌ですね」


 ずっと黙って聞き流していた紅が、不意に口を開いたのだ。


「これはお褒めに与り光栄です。商人は口先が命ですから」


 ようやく反応を得られたシャトラークが喜びを露わとするが、続く紅の言葉に笑みを凍らせる。


「友好国だと念を押されていますので、一度だけ警告します。あなたには興味がありません。今すぐ無駄話をやめ、本題に入って下さい。さもなくば、そのご自慢の舌を斬り飛ばして差し上げます」


 ちゃきり、と。紅はわざと鯉口を鳴らし、わずかに抜いた真紅の刀身を見せ付けた。

 するとシャトラークの頭を覆う布へ切れ目が入り、ぱらぱらと絨毯の上へ落ちる。


「……は……ははは。これは、なんとも手厳しい。失礼、つい舞い上がってしまいました。この話は一旦置くとしましょう」


 刹那の早業と、冗談に聞こえぬ脅し文句に気圧されたシャトラークは、乾いた声を漏らして引き下がった。


「では、改めまして……ウィズダーム陥落の経緯と、貴国の現状をお聞かせ願えますか」


 紅の強引なやり口に、我に返ったカティアは冷や汗ものだったが、話の筋が戻った好機を逃すまいと要望を切り出した。


「お安い御用です。ただ、ウィズダームが落ちたのはつい先日の話。私どもも、まだそれほど多くを把握しておりませんのであしからず」


 先刻までの浮ついた態度を収めたシャトラークは、ソファへ深く座り直して前置きをする。


「かねてより帝国の侵攻を受けていたウィズダームですが、我が国を含む近隣諸国にとって、その陥落は青天の霹靂へきれきでした。救援要請こそ受けていたものの、かの大国がこうも早く敗れるなど想像もしていませんでしたから」

「私達も、双方の戦力は拮抗していると聞いておりました。それだけに、急な戦況の変化に戸惑っています。一体何があったのですか?」

「このところ、帝国軍の武装が急激に増強されたのはご存じでしょうか」


 カティアの疑問に、憂鬱そうな顔を見せるシャトラーク。


「どうやら、新たに参入した武器商人が大量に新兵器をおろしているそうでしてね。それが我が国でも取り扱いのない逸品ですから、ウィズダームは対応できずに押し切られたようです」

「もしや、魔銃ですか?」


 恐らく、アッシュブールにて猛威を振るった兵器ではないか。


 そう思い至ったカティアが身を乗り出すと、シャトラークは苦々しく頷いた。


「そのように呼ばれているそうですね。魔法の素養がない者でも、同等以上の火力を振るうことができる恐るべき兵器です。特に竜騎士との組み合わせは凶悪の一言に尽きる。空から狙われればひとたまりもありません。我らも援軍派遣の際、奴らに阻まれ進軍を断念したのです。他の友好国も同様で、結局ろくな支援もできぬまま、ウィズダームを見殺しにする形となってしまいました」


 悔恨の念が滲むシャトラークに、カティアはかける言葉が見付からなかった。


 魔銃の脅威は直に目撃している。紅がいなければ、今頃公国も焼き払われていただろう。評議国が撤退を選んだことを責められようか。


 あれほどに強力な兵器が、他の地域でも続々と投入されているという事実は、カティアを戦慄させるに十分だった。


「帝国の次の狙いは我が国の港と見ていますが、議会では降伏派が多数おりまして。なかなかに紛糾しているのです」

「はて。精強な兵を集めていると聞きましたが。あらがわないのですか」


 消極的な発言に、紅が不思議そうに首を傾げると、シャトラークは肩をすくめる。


「個々の質は高いと言えましょうが、正面からでは帝国の兵力に及びません。勝てぬ戦で余計な損害を出すくらいならば、早々に和平交渉に持ち込み、少しでも有益な立場を確保するべき、というのが降伏派の主張です」

「戦においても金勘定が優先ですか。商人とは難儀なものですね」

「私も彼らの言い分は理解できるのです。命あっての商売ですから」


 紅の皮肉に苦笑するシャトラークだったが、ふと目に真剣さを宿した。


「しかし。このまま降伏するのもやむなしと思っていた矢先、公国の皆様がいらっしゃいました。これも何かの縁かと存じます。どうでしょう。一つ取引と参りませんか」

「内容次第ですね」

「皆様も、私からの聞きかじりだけではなく、直に詳細な情報を得たいことでしょう。つきましては入国を正式に許可し、ウィズダームに近い国境までご案内致します。存分に視察なさって下さい」


 紅が話を聞く姿勢を見せたことで、シャトラークはここぞとばかりにまくしたてる。


「代わりに、もしも滞在中に帝国の侵攻があった場合、我が軍にご助力願いたいのです。先程申し上げた通り、議会の意見はまとまっていません。後手に回って開戦する可能性は高い。その際、噂の英雄殿がいらっしゃれば安心できるというもの。いかがです。利害は一致しているでしょう」

「戦とあれば喜んで」


 前線への道が開かれるとあって、紅は間髪入れずに快諾した。


「おお、即答とは心強い! これなら、一つ博打を打つこともできそうです」

「博打、ですか?」


 勇んで柏手かしわでを打つシャトラークに、カティアが反射的に問い返した。


「ええ。帝国軍は強大ですが、ウィズダームと戦ったばかり。さすがに消耗しているはず。偵察の結果次第では、弱みの一つや二つは見付かるかも知れません。紅殿の協力を得られるなら、逆転の目はあるのではないかと。対抗の余地が見出せれば、降伏派も考えを変えるでしょう」

「あなたは戦争肯定派なのですね」


 紅が意外そうな声を上げると、シャトラークは不敵に口角を上げる。


「帝国の支配下になれば、自由な商いをできるか疑問ですからね。打つ手があるなら、例え勝算が低くとも賭けるべきだと思っておりますよ」

「良い気概かと。手を貸すに値します」


 若き指導者の猛る一面を垣間見て、紅はふわりと微笑んだ。

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