二十四 戦の理
帝国第5軍は、今や完全に統制を欠いていた。
各指揮官の命令は悲鳴と怒号にかき消され、情報伝達は麻痺し切っている。
兵の波はあちらこちらと振り回され、現在地や方角などを把握できている者は誰一人としていない。
それは司令官たるアレストも同様であり、馬上で憤りながら困惑するしかなかった。
「何なのだあいつは! 一体何だと言うのだ!? 一騎当千どころではないぞ!」
たった一人の少女に、3万の兵がいいように翻弄されるなど、あり得ない、あってはならない!
普段の冷静さの面影をすっかり失い、乱暴に手綱を引くアレスト。
馬も主の混乱が伝染したかのように落ち着かず、思うように動いてくれなかった。
それもアレストの感情を逆撫でする一因となっていたが、この状況で馬を失うのは得策ではないと最後の理性の欠片が繋ぎ止め、必死に馬をなだめていた。
「閣下! ご無事でしたか!」
その時、別の場所から馬を調達してきたのだろうグリンディールが、兵の波をかき分けながら近寄って横に並んだ。
「大佐か! よく戻った! 状況は!?」
「詳しくは不明です。しかしあの娘は明らかに異常でした。我が軍では最早対処は不可能でしょう」
「つまり、我々の負けということか……」
半ば受け入れていたことではあったが、言葉にすると重い事実としてアレストにのしかかった。
思えば、ベルンツァが落とされた時から歯車が狂っていったのだ。
あの悪魔が公国に味方したことで、隠し砦を落とされ、増援も退路も断たれた。
全てがあの小娘一人の手の平で転がされた気がしてならない。
せめてベルンツァが落ちた時点で、無理を通してでも退却していればと悔やまれるが、今更な話だった。
「すでに戦線は崩壊した。後は奴に殺されるのを待つばかりなのか……?」
「閣下……それは……」
弱気に呟くアレストに、グリンディールもかける言葉を見付けられない。
「……まだ兵の半数は残っていよう。せめて私の首一つで済むよう交渉してみるか」
「閣下! 何を言うのです!」
「この事態を招いたのは指揮官の私だ。その責任を取るのは当然だろう」
「いいえ! 閣下がおられなくば、それこそ真の終わりです! 断固として反対致します!」
覚悟が決まったのか、毅然とした態度を取り戻したアレストだが、グリンディールは激しく抗議した。
「では他に手があると言うのか、大佐! このまま黙って蹂躙される以外の、反撃の策が!!」
「ぐ……そ、それは……」
アレストの剣幕に圧されグリンディールは言葉を濁す。
「敗軍の将に出来ることなどたかが知れている。潔く首を差し出すことがその少ない一つだと知れ」
「──素晴らしい覚悟です。将の鑑ですね」
アレストが馬首を巡らせ兵の囲みを脱しようとしたその時、涼やかな言葉と共に、周囲の兵が切り刻まれ視界が拓ける。
「あなたが大将ですか。そっ首、頂きに参りました」
血刀を手に現れた少女が、優雅な一礼をして見せた。
「くっ! 近衛隊! 閣下をお守りしろ! 奴を近付けるな!」
グリンディールの怒声に呼応して、兵の死骸を乗り越え結集した近衛の騎士達が、雄叫びを上げて紅に殺到する。
「やめろ! やめてくれ!!」
アレストの叫びも虚しく、一瞬で肉片と化してゆく近衛隊。
「降伏だ! どうか私の首一つで終わりにしてくれ! これ以上部下を殺さないで欲しい! 頼む!」
目の前で散って行った側近達に涙し、アレストは思わず馬から飛び降り、土下座までして懇願していた。
「はて。これは異なことを仰いますね」
少女は不思議そうに首を傾げると、信じがたい台詞を口にする。
「あなたの首はもちろん頂きますが。それが兵を助ける理由になりますか?」
「なん、だと?」
慈悲の欠片もない言葉に、アレストが硬直する。
「一度剣を取ったら、どちらか滅ぶまでやり合うのが戦です。逃げるだの見逃せだの、
さも当然のように言ってのける少女に、アレストとグリンディールは戦慄した。
「捕虜すら認めんと言うのか……!!」
「悪魔……本物の悪魔だ……」
それきり絶句した二人を見て、少女は満足そうに微笑む。
「ご理解頂けたなら何より。それでは
そう言って足を踏み出そうとした少女は不意に、大きく後ろへ飛び退いた。
その直後、少女がいた地面を灼熱の炎が舐めるようにして通り過ぎて行った。
炎はその後も少女を追い回し、アレストから遠ざける。
「──アレスト少将閣下、ご無事ですか!」
そして多少の猶予が生まれた隙に、天上から凛と響く声が降り注いだ。
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