十八 束の間の休息

 夜明け前に砦の後始末を終えた遊撃隊は、最低限の見張りだけ立て、空いている兵舎で各自休息を取る事になった。


 まだ砦全体の探索という仕事が残っているが、このままでは徹夜になる上、どの道明るくなってからの方が効率が良いだろうとのカティアの判断である。


 ここまで森の中での行軍と野営続きだった遊撃隊にとっては、久々のまともなベッドに個室とあって、皆昼頃まで泥のように眠りこけた。


 そうして束の間の惰眠だみんを貪った後、井戸に殺到して身体を清める男衆達を他所に、紅、カティア、アトレットの女子三人は、贅沢にも大浴場を占領していた。




「……あ~極楽極楽ぅ……帝国軍めー。こんな立派なお風呂を砦に作るなんて、けしからんですな~……」


 そのまま湯に溶けていきそうなふにゃふにゃとした表情で、仰向けに湯舟に漂うアトレット。

 無遠慮に晒された肢体は見事に凹凸がないが、野外活動をするだけあって、随所にしなやかな筋肉がついているのが見て取れた。


「兵舎の部屋も快適でしたし、こうした生活水準の高さが、帝国軍の強さの源なのでしょうか……」


 カティアも湯舟のへりにもたれかかるようにして、ほうと息を吐く。

 真面目な分析をしてはいるが、その声はとろけ切っており、桜色に染まった頬が艶めかしい。


 紅の手前、アトレット程あけっぴろげになる訳にもいかず、遠慮がちに胸元を腕で隠している。


 何しろ着物を脱いだ紅の肢体は、女のカティアから見ても生唾ものであった。


 あれだけの神業を振るうのが嘘のように細く白い腕や脚。

 折れそうな程にくびれた曲線美を描く腰回り。

 極めつけに、普段控えめに見えていた胸元は、帯とさらしできつく締め付けられていたらしく、予想外に豊かに実っていた。


 まさに女神を体現したかのような官能的な肉体美。


 カティアも体型には気を遣い、それなりの自信があったが、比較にならないとはこのことであった。


 そんなカティアの羨望の眼差しなど一切気にした様子もなく、紅はゆったりと湯に浸かっていた。

 普段結っている黒髪を下ろした姿は新鮮にして妖艶で、カティアは思わず目を奪われた。


「隊長~! 湯加減はいかがですか~?」


 そこへ壁越しに風呂を炊いている隊員の声が響き、カティアははたと我に返る。


「ちょうど良いわよ! 火の番ご苦労様!」


 顔の半ばまで湯に浸かり、答える意志のない紅に代わって返事をするカティア。


「いえいえ、このくらい大したことじゃねえですよ! 今回一番働いたのは隊長ですし、存分に疲れを癒して頂かないと! カティア准尉も全体の指揮、お疲れ様でした。じゃ、ごゆっくり!」


 それっきり声は途絶え、再び火加減の調節に専念したらしい。


 紅のカリスマもあってのことだろうが、曲者揃いの隊員の中で、こうも気遣いのできる者がいるのは大きい。


 カティア達は好意に甘えて、優雅な入浴時間を堪能した。




 湯上りのカティア達を待っていたのは、食堂にずらりと並んだ料理の数々だった。


 食糧庫を担っていた砦だけあり、厨房の設備は上々、在庫は豊富。それらを使い、料理の心得がある者が腕を振るって用意していたのだ。


「昨日から全員夜通し何も食べてないでしょう? どうせなんで祝勝会も兼ねてぱーっとやりましょうや!」


 料理を担当した者が音頭を取ると、隊員達も拍手喝采で宴コールを始めた。


「はあ……まだ仕事が残っているのですが……」

「ふふ。いいではないですか。腹が減っては戦はできぬ。雑務においても言えることでしょう?」


 溜め息をつくカティアに、紅も乗り気で隊員達の肩を持つ。


「……わかりました。その代わり、羽目を外しすぎないように! そして気が済んだらきっちり任務に励みなさい!」

『イエッサー!』


 ここぞとばかりに連帯感を発揮して、お手本のような敬礼を取る隊員達。


 そして宴が始まった。




 隊員達の馬鹿笑いが食堂に響き、騒がしい中食事を摂るカティアは、彼らほど楽観的にはなれずにこっそりと溜め息をついた。


「元気がありませんね、カティア。しっかり食べていますか」


 豪快に肉ばかりを大盛にした皿を前にした紅はそれを聞き留めたようで、一時食事の手を止めてカティアに声をかけた。


「あ、はい。食べてはいますが……昨晩発見した作戦書がどうにも気にかかってしまって」


 書面にざっと目を通したところ、概要としてはこの砦を経由して帝国の増援が派遣されるというものだった。

 その数、実に3万。公国内に陣取る先発隊と合わせれば6万の大軍となり、公国の東の要、ランツ要塞を総攻撃の対象とする可能性は十分考えられた。


 もしランツ要塞が落ちたとなれば、ベルンツァを含む東部地域の勢力図は盤上ごと引っ繰り返され、まとめて帝国の支配下となるだろう。


 この情報は砦に残っていた馬を使ってすでに伝令に出したが、ここからベルンツァまで早くとも数日かかる。

 その後イスカレルが対策を講じるにせよ、ランツ要塞へ伝書鳩を飛ばして判断を仰ぐにせよ、更に数日を要するはず。


 帝国の増援も大所帯故、多少の猶予はあると思われるが、あまり悠長に構えていられる状況ではないとカティアは考えていた。


「ふふ。カティアは心配性ですね」


 そんな焦りを見透かしたかのように、紅はふわりと微笑んだ。


「敵の出方が掴めたのは大きな収穫。まずはそれを喜びましょう。対策を練るのはお偉方に任せればよいのです」

「しかし、それが間に合わない場合は……?」


 それでも拭いきれない不安を吐露するカティアに、紅は自信満々に言い切る。


「増援部隊を、ここで撃退します」


 その後極厚のベーコンを噛み千切った紅の笑顔には、一点の曇りも無かった。

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