十九 吉報と凶報

「そうか! 紅少尉相当がやってくれたか!」


 遊撃隊からの伝令を受けて、イスカレルは思わず立ち上がって快哉かいさいを叫んだ。


 ベルンツァ守備隊は、先の帝国軍の侵攻により上級士官が軒並み戦死したこともあり、兵の補充に来たイスカレルら海軍の将校がそのまま後任に着くこととなった。


 そして守備隊長として慣れない書類仕事に追われているところへ、吉報が届いたのだ。イスカレルの気分が晴れやかになったのも頷ける。


 今回の作戦は、参謀本部としては眉唾物の名剣の試し斬りのつもりだったのだろう。だからこそ、全滅しても構わない非正規の兵と、経験の浅い士官一人しか付けなかったのだ。

 しかし彼女らは見事、たったの30人程で砦を落としてみせた。これで紅、ひいては遊撃隊の有用性を認めざるを得まい。


「よしよし。私の見る目に狂いはなかったな」


 彼女らの任務成功は称賛に値するものであるし、参謀本部に紅を推挙した自分の株も上がろうというものだ。


 そう気分が高揚したのも束の間。


 伝令のもたらしたものは良い知らせだけではなかった。


 帝国軍3万の増援。


 ベルンツァから略奪した物資が潤沢な内に、公国内の先遣隊と合流して一気にランツ要塞を落とすつもりなのだと思われた。


「……報告ご苦労だった。部屋を用意させよう。しばし休め。またすぐに走ってもらうことになるだろうからな」


 遊撃隊の伝令を退室させると、イスカレルは執務机に座り直して頭を抱えた。


「どう動いたものでしょうね、大佐」


 部屋の隅で共に報告を聞いていたイスカレル付きの補佐官、ディオール大尉が、上官の苦悩を見透かしたように声をかけた。

 彼は王都近海守備の任に着いていた頃からの腹心の一人であり、イスカレルに面と向かって発言できる数少ない人物だった。


「私は海兵だぞ。陸のことなどわかるものか。……と突っぱねられれば、どんなに楽だったろうな」


 皮肉げに口元を歪めると、イスカレルは椅子の背もたれに体重を預けた。


 そもそも公国は人的資源に乏しい。


 便宜上陸軍と海軍とに分けられてはいるが、海軍の規模は圧倒的に小さく、陸軍のおまけのようなものだ。

 そのため海軍希望だとしても、士官学校にて陸軍の基礎をみっちりと叩き込まれることになる。


 有事の際──この度のイスカレルのように、突発的に陸軍へ配置転換されることなど日常茶飯事であるからだ。


 皮肉にも、その背景があるからこそ、現状に対応できている訳だが。


「大尉の意見を聞こうか」


 机から葉巻を取り出して火を付けると、冷静沈着な部下はゆっくりと口を開いた。


「すぐにベルンツァの兵を動かし、増援が合流する前に先遣隊をランツ要塞まで追い立て、挟撃するのはいかがでしょう」


 先日王都から輸送してきた補充兵は1万5千。

 それに、帝国の暴挙に怒り、新たに志願してきた民兵を加えて2万の兵をベルンツァは擁している。


 そしてランツ要塞に詰めている部隊は5万。


 上手く要塞まで誘導できれば、数の暴力ですり潰せる公算は高い。


「問題は、民兵混じりの2万の兵で、帝国の精兵3万を動かせるか、だな」


 この作戦を遂行するには速度が命。もたついていれば増援が到着し、逆にこちらが挟撃されてしまう。


 紫煙を吐き出し、問題点を指摘するイスカレルに、ディオールは意外そうな顔を見せた。


「それこそ、遊撃隊の使いどころではありませんか」

「……どういうことだ?」


 単調な書類仕事ばかりで頭が鈍っているのか、イスカレルは皆目見当が付かずに聞き返した。


「隠し砦を制圧したと言っても、わずか30余りの兵。さすがに3万の軍をその砦一つで食い止めろと言うのは酷でしょう。せっかくですが、砦は適度に破壊し撤退させ、我等と合流するのです。そして紅少尉相当には前線を担ってもらい、存分に暴れさせればよいのでは」

「ふむ……」


 イスカレルは葉巻を咥えたままで思考に耽る。


 帝国軍の生命線である隠し砦を放棄するのは、正直惜しい。


 しかし砦の機能を奪い、食料の備蓄を失くしてしまえば、それを見込んで進軍しているはずの増援部隊にとっては痛手となろう。これだけでも一定の成果は上げたと言える。


 そしてディオールの言うように、遊撃隊のみで3万の軍勢を相手取らせるのは、死ねと言うのも同義だろう。


 あの紅という少女ならばもしやという期待はあるが、この局面で試すにはリスクが高い。


 それよりはすぐにでも自軍に合流させ、前線で剣を振るって貰った方が堅実である。


 ベルンツァに駐留していた帝国兵が一人の少女に一蹴されたという噂は、逃亡した敵兵を通じて先遣隊にも届いているはず。

 少なくとも、千単位の兵を相手取ることが出来る猛者が前線に現れたとなれば、いくら帝国軍でも浮足立つに違いない。


 そしてランツ要塞の部隊と協力して速やかに先遣隊を撃滅出来れば、後続の増援も余裕を持って迎え撃てるだろう。


「……よし。大尉の案を採用する」

「ありがとうございます」


 考えがまとまったイスカレルは、書面に走り書きをしてディオールへ差し出す。


「至急ランツ要塞のシュベール中将宛てに伝書鳩を飛ばせ。それと、代理の伝令を遊撃隊に向かわせろ」

「はっ。すぐに手配致します」


 ディオールが執務室を出て行った後、イスカレルは葉巻をくゆらせ、薄く笑みを浮かべた。


「崖っぷちには違いないが……少し楽しみになってきたじゃないか」


 隊を同じくすれば、紅の剣技を間近で見ることができる。


 イスカレルは戦を前に不謹慎にも、胸が高鳴るのを抑え切れなかった。

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