百八十四 暗雲

 アトレットの機転とリュークの活躍によって、遊撃隊の乗る船は沈没の危機を免れ、魔の海域からの離脱に成功した。


 全ての元凶である怪物を退治したことで呪歌は止み、次第に吹き始めた風に漂流することしばし。やがて男性陣の意識も回復しだした。


 目覚めた船員達は、これまで安全だった海域へ突如出現した怪異に困惑を隠せなかったが、恐らく紅が近海に与えた影響の一つだったのだろうと乱暴に結論付け、慌ただしく操船作業に取り掛かった。


 すでに片付いた問題をあれこれ議論するより、速やかに元の航路へ戻ることを優先したのだ。


 船員達が手慣れた動きで帆を張り直し、巧みに風を読んで舵を取る。


 しばらくして、遠ざかっていた陸地が姿を見せると、船内は安堵の溜め息が溢れた。


「大佐相当殿。どうにか予定していた航路に戻って来れました。不幸中の幸いと言うべきか、船は東に流されていたので、日程の遅れはそれほどありません。陸の地形を見るに、間もなく目的地のサステロス評議国の領海へ入ります」


 船長が双眼鏡を片手に紅の元へ報告をしに来た頃には、切り立った断崖で覆われていた沿岸が徐々に高度を下げ、緩やかな平地に変化し始めていた。


「はて。目当ての港はウィズダームのものではないのですか」


 また聞き慣れぬ地名が出て来たことで首を傾げる紅に、カティアが呆れ顔を見せた。


「……やっぱり作戦概要をちゃんと聞いてなかったんですね。ウィズダームは内地の国なので、途中に他国を経由する必要があるのです。今回はサステロス評議国の港を借り、領内を横断して行くルートを予定しています」


 そこまで言ってから息を整え、紅に問われる前につらつらと解説を添える。


「ちなみにサステロスは貿易を主産業とした商業国家で、公国の半分に満たない面積の小国です。建国してまだ50年ほどの新興国ですが、各地からやり手の商人や職人が集まって急成長しているため、その経済力は侮れません。君主制度を撤廃し、複数の豪商からなる評議会が国政を担っているのが特徴です」

「民による自治制度ですか」

「はい。ただ、結局一部の人間が権力を握っている点では、他国とさほど変わりないと思われます」

「貧富の差はどこへ行っても尽きない命題ですが、あの国ではそれが特に顕著ですからね。商売の競争は激しく、事業に失敗して無一文になることもざらだとか」


 紅と共にカティアの講義を聞いていた船長が、訳知り顔で頷いて見せた。


「商人が牛耳る国だけあって、何でも金銭で解決しようとする傾向もあります。例えば、お抱えの軍隊はほとんどが傭兵で構成されている点がわかりやすいでしょう。実力が給料に反映されるため、かなりの腕利きが集まっているともっぱらの噂です」

「それは気になりますね」


 外国へ出向く船乗りだけあって事情通な船長の言葉に、紅がぴくりと反応する。


「隊長、公国とも取引のある友好国です。余計な騒ぎを起こさないで下さいね。貴方も妙なことを吹き込まないように」


 カティアが咳払いをして釘を刺すと、紅と船長は揃って肩をすくめた。


 その時、見張りについていた船員から大声で報告が上がった。


「船長、港が見えました! それと、前方より巡視船と思われる船が接近中。こちらに停船を求めています!」

「速度を落とし、要求に応じろ」


 手旗信号を読み取った船員へ指示を返すと、船長は紅とカティアに向き直る。


「恐らく検問でしょう。まずは私が対応します」


 そう船長が自信たっぷりに胸を叩いてからしばらく経って。


 いかりを降ろした船に横付けしてきたのは、硬貨を意匠にしたサステロス評議国の旗を掲げた軍船だった。


 船の間に分厚い板を渡し、数人の軍人がこちらへ乗り込んでくる。


「航行中失礼。我らは評議国の沿岸警備隊です。現在戦時下につき、入国制限をしております。公国所属の船とお見受けしますが、ご用向きをお聞かせください」


 青色の軍服に身を包んだいかつい男が代表して口を開くと、意外にもその物腰は丁寧なものであった。商業国家らしい愛想の良さだと言える。


「我らはレンド公国リーゼンシュタイン家傘下の者。客人を首都テロッサまで送る途中です。通行証も、しかとここに。ご確認を」


 船長は堂々と返答し、警備兵に手の平ほどの木版を手渡した。


「ふむ……確かに。正規の手形のようですね。リーゼンシュタイン家の御高名は存じております。我が国のお得意様ですから。ただし、お客人については別途詳細をお聞かせ願います。何を目的に我が国へ?」


 通行証の真贋しんがんを見定めて船長に返した後、警備兵は抜かりなく質問を飛ばす。


「それは……」

「私からお話しいたします」


 どう伝えたものかとわずかに言いよどんだ船長に代わり、カティアが前に踏み出した。


「我々はレンド公国軍より派遣された使節団です。ウィズダーム王国との同盟締結の任務を帯びております。つきましては、貴国の領内を通行する許可を頂きたいのです。詳しくはこちらをご覧下さい」


 カティアは臆することなく述べると、参謀本部が用意した書状を差し出した。遊撃隊の身元保証と、侵略の意思がないことを示すための公文書である。


 遊撃隊は寡兵かへいとは言え、れっきとした公国の正規軍であり、他国で活動する以上は全てが軍事行動とみなされる。

 それが例え、他国へ向かうために横断するだけだとしても、無断で行えばいらぬ軋轢あつれきを生んでしまう。


 そんな事態を回避するためにも、入国には丁寧な手続きを踏む必要があった。


「なるほど……目的については理解しました」


 書状に目を通した警備兵は、深々と嘆息した。


「しかし、わざわざおいでになったところ残念ですが。一足遅かったようですね」


 くるくると書状を丸めてカティアへ返しながら、彼はばつが悪そうに告げる。


「ウィズダームは、すでに陥落しました」

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