二十七 少女の望み


「うお! 貴官、いたのか!?」

「はい。あなたがおいでになる前からおりましたが」


 全く気配を感じられず驚愕したイスカレルとは対照的に、優雅にティーカップを傾ける紅。


 その相変わらずな居住まいに、イスカレルは頬が緩むのを感じた。

 伝言で聞いたとはいえ、やはり実際に会って無事を確かめられたのは素直に嬉しいものだ。


「まったく、無茶をしてくれる! 一人で帝国軍に突っ込んだと聞いた時は冷や汗をかいたぞ!」


 イスカレルが喜色を浮かべた文句を言うも、紅は首を傾げるばかり。


「はて。心配をされるようなことがあったでしょうか」

「はは! 3万の軍に単騎で挑むのが大したことではないと言うか! 貴官の腕は大分高く評価していたつもりだったが、まだ見積もりが甘かったようだな」


 胸のすく思いでイスカレルは笑い声をあげた。


「うむうむ。まったく大したものよ。しかもな、大佐。わしなんぞ援軍を送って文句を言われたのだぞ? 後から来て獲物を奪うのですか、とな」

「そ、そんな失礼なことを!?」


 シュベールの言に慌ててイスカレルは紅を睨むが、話題の少女は素知らぬ顔で焼き菓子を頬張っている。


「いや、よいのだ大佐。何しろ斥候が戦闘開始を報告してからすぐにも出撃したと言うのに、援軍が到着した時点で帝国軍は1万も残っとらんかったと聞いている。彼女の言う通り、一人でも全滅させていたのかも知れん」


 それを聞き、今度こそイスカレルは度肝を抜かれた。


 3万の軍を相手に立ち回ったと言っても、要塞からの援軍が来るまで時間稼ぎをしていた程度に考えていたのだから。


 それですら常人には無理だろうに、まさかたった一人で3万の軍を壊滅に追いやるなど、誰が想像しただろうか。

 紅の力を見たはずの遊撃隊の面々ですら、道中心配し通しだったのだ。


 一体どれ程の実力を持つのか、皆目見当も付かない。


 つくづく実際に戦う姿を見られなかったのが悔やまれた。


「まあそう言う訳でな。大佐らベルンツァの部隊には無駄足を踏ませてしまったが、被害が少なく済んだのはよいことだ。久々の大勝利に、年甲斐もなく心が躍ったわい」

「大将首は逃してしまいましたが」


 機嫌よく語るシュベールに反して、紅は不服そうに漏らす。


「まあ仕方あるまい。相手は竜騎士だったのだろう? 空を飛ばれては手出しできまいて。むしろ、増援が到着する前に追い払ってくれて助かった。奴ら、弱卒と見れば容赦なく襲って来るからのう」

「此度はお喋りが過ぎました。次は飛ばれる前に、問答無用で斬るとしましょう」


 シュベールの慰めも半ば聞き流し、闘志を垣間見せる紅。見た目は涼やかだが、やはり内心悔しいのだろう。


 それよりも、大軍に加え竜騎士まで相手にして無傷でいる少女に、改めてイスカレルは舌を巻いた。


 シュベールの言う通り、竜騎士は帝国でも最強の一角を担う猛者達だ。

 諜報部によれば、現在は帝国の北方国家群を攻略中につき、公国側に割く人員はないだろうと見積もっていた。


 その憶測を裏切って出現した竜騎士に、下手をすればランツ要塞共々蹂躙されていたかも知れない。

 それを思うと背筋が凍ると共に、紅を味方に付けられて心底良かったとイスカレルは痛感した。


「ま、司令官を逃したとは言え、第5軍はしばらく動けまいて。そういう訳で、此度の紅殿の功績はとてつもなく大きい。上層部からも何らかの褒章は出ると思うが、わしも個人的に褒美を贈りたい。紅殿、何か欲しいものはあるかね?」

「閣下、鼻の下が伸び切ってますよ。公私混同は控えて下さい」


 初孫に接するかのようにでれでれとだらしない顔を見せるシュベールの脇で、イスカレルが咳払いをする。


「固いのう、大佐。こんな見目麗しき少女が、どえらい手柄を立てたのだぞ。褒め称えたくもなろう!」


 そう力説され、イスカレルは眉間を抑えた。


 かつては猛将と呼ばれたシュベールをここまで骨抜きにするとは、別の意味でも末恐ろしい。


「ほれ。とりあえず言うだけ言ってみなさい。このシュベールが、できる範囲で叶えよう」

「褒美ですか」


 焼き菓子を食べる手を止め、紅は即答した。


「では、更に苛烈な戦場いくさばを所望します」

「なんと!」


 この返答には将二人も顔を見合わせた。


 うら若き乙女が、褒美に戦を欲するなど前代未聞である。


「今は戦時下、まして押されているからな。激戦地はいくらでもあるが……本当にそんなことでよいのか?」

「もちろん。私は修行を兼ねてこの地へ参ったのですから」

「ふむう……そこまで言うなら、参謀本部に伝えておこう」

「ありがとうございます」


 白髭を撫でながら言うシュベールへ、軽く頭を下げる紅。


「しかしのう。それだけではわしの気が晴れん。……そう言えば紅殿は菓子が好きと見える。よし、厨房に頼んで特別スペシャル甘味スイーツを作らせるというのはどうか!」

「喜んで頂きます」


 閃いたとばかりに声を弾ませるシュベールの案に、紅は歳相応の輝く笑みで食い付いた。

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