五十九 残された希望

 帝国第4軍は、司令官であるゴルトー少将が戦死したにも関わらず、依然高い士気を保って徹底抗戦を行っていた。


「閣下の無念を晴らせ! 決して悪魔を許すな!」

「攻撃の手を緩めるな! 間を空けず攻め立てて疲弊させろ!」


 各隊長の指示が飛び交い、怒りに燃えた帝国兵が次々と黒衣の少女へ殺到する。


 そのことごとくが攻撃へ移る以前に斬り散らされて行くが、後続の者達は怯むことなく突撃を継続していった。




「被害状況報せ!」

「出陣した重装騎兵隊含め、現在の損害は約4割程! しかし全軍今だ士気旺盛! 被害は出しつつも、悪魔の進撃を緩めております!」

「そのまま現状を維持せよ! 間もなく増援部隊が到着するはずだ! 何としてもそれまで持たせろ!」


 陣地後方に設置された指揮本部では、亡きゴルトーに代わって近衛隊長ハリス大尉が状況に対応していた。


 それと言うのも、本来指揮権を預かるクレベール少佐は、ゴルトー戦死のショックから放心状態となってしまい、指揮本部の端で魂の抜け殻のように椅子へ腰かけているからだった。


 無表情なのは元々だが、今は色彩までが抜け落ちてしまったように顔色が褪せ、絶世の美貌が見る影も無かった。


 これまで常に気丈で冷静だったクレベールの変貌ぶりに近衛隊も大いに慌てたものの、多くの将が討ち取られた状況がそれを許さず、止む無くハリスが指揮を執ったのだった。


 駐屯地内で暴れている悪魔に気を取られがちだが、物見の報告によって公国軍の包囲も完成し、徐々に狭まっていることが判明している。


 悪魔を完全に押し留める手段が無い以上、戦況は悪くなるばかりであった。


「報告します! 重装歩兵隊、1番隊から6番隊まで全滅! 残りの4隊が一斉投入されました!」

「ちい、なんという殲滅速度だ! こちらの攻勢が追い付かん!」


 ハリスは舌打ちしつつ、被害状況を照らし合わせる。


「このままではすぐにも残存兵が半数を切る……増援到着まで持つのか……?」


 思わず弱気な呟きを漏らしたハリスは、その軟弱な思考を振り払おうとかぶりを振った。


 と、その拍子に視界の端で動くものを捉えた。


 いつの間にか、椅子に座って呆けていたクレベールがゆっくりと立ち上がろうとしていたのだ。


「少佐殿! 気が付かれましたか!」


 駆け寄ったハリスには反応を見せないまますっと背筋を伸ばしたクレベールは、不意にばちん、と両の掌を自分の頬へ叩き付けた。


 気合を入れた結果、赤く染まった頬に涙目になりつつも、きりりと表情を引き締めたクレベールは、ようやくいつもの居住まいを取り戻していた。


「……ハリス大尉、不甲斐ない私の代わりにこれまでご苦労様でした。以降は私が指揮を執ります」

「は! 指揮権をお返し致します!」


 クレベールの平静な声を受け、ハリスは勇んで敬礼を取った。


「呆けてはいましたが、状況は耳に入っていました。説明は不要です」


 言いながらハリスの脇を通り抜け、直に戦場を見るべく指揮本部の天幕を出て、手近な物見台へ登るクレベール。


 そして一通り戦場全体を眺めると、後に続いていたハリスへ告げた。


「……この陣地は最早維持不可能と判断します。よってこれより前衛は遅滞戦闘に移行しつつ、全軍後退。増援と合流した後、速やかにグルーフ要塞まで撤退します」

「兵の士気はまだ高く、総力を挙げて迎撃中のこのタイミングで、ですか?」

「だからこそです」


 釈然としない顔を見せるハリスだったが、クレベールはさも当然のように断言した。


「閣下が勝てなかった相手に、残された我等が敵う道理がありません。事実、どれだけ束になって攻めようが、あの悪魔を消耗させることすら出来ていないのです。しかし血気に逸った兵達は、その事実が頭から抜け落ちています。このままでは増援を迎えるまでもなく全滅するでしょう。無駄に兵を死に追いやるのは、閣下も望むところではないはず」


 すらすらと現状を読み解いたクレベールの言に、ハリスは舌を巻いた。

 とても先程まで消沈していたとは思えない判断の早さである。


 自分など、刻々と変わる戦況に急かされ、その場しのぎの指揮しか出来なかったと言うのに。


 ハリスは改めて美しき上官に尊敬の念を抱いた。


殿しんがりの部隊には私が残ります。近衛隊も早く後退を」

「な!? それは承服しかねます!」


 無表情で危険な役目を買って出ようとしたクレベールに、ハリスは激しく反発した。


「何故ですか。指揮官がいなければ兵も立ち行かないでしょう」

「それは少佐殿でなくともよいはずです! 少佐殿はご謙遜なさるかと思いますが、閣下が戦死された今、あなたは第4軍に残された希望なのです! 先程の的確なご判断をお聞きし、小官はそれを確信致しました! 少佐殿が残ることは断固として反対します!」


 ハリスが猛然と異議を唱えると、周囲にいた近衛隊も揃って賛同を示した。


「しかし、指揮権は私が閣下から拝領したもの。私には最後まで部隊を導く義務が……」

「きっと閣下も! 少佐殿の死は望んでおられないでしょう!」


 クレベールの弁を途中で遮り、ハリスはその細い両肩を掴んで動きを止めた。


「何をするのです」

「最早問答無用! 御無礼致します!」


 ハリスは疑問を浮かべるクレベールを肩に担ぎ上げると、近衛隊を伴って駐屯地の北側へと走り出した。

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