六十 闘争と逃走

「この、離しなさい! 不届き者!」


 珍しく声を荒げて暴れるクレベールにも構わず、厩舎に駆け込むハリス。


 馬が残っているのを確認すると、部下に馬を引かせて厩舎の裏手へ回る。


 果たしてそこには、物資輸送用の馬車が残されていた。


「失礼!」


 ハリスがクレベールを乱暴に馬車に押し込むと同時に、近衛兵が数人乗り込み見張りに付いた。


「少佐殿を頼むぞ」

「はっ! 隊長もご武運を」


 以心伝心。

 無理やり馬車に乗せてクレベールを逃がすという案は、見事に部下にも伝わっていた。


「何を考えているのですか、あなた達……むぐ……!」


 クレベールを託された近衛兵は馬車内で彼女を拘束すると、一つ敬礼を残して扉を閉める。


 そして馬を繋いで御者台に付いた者が即座に手綱を握り、馬車を急発進させ、一目散に北へと向けて走って行った。


 それを見送ったハリスは己の役目を全うするため、指揮本部へと戻り、出番を待つ後詰あとづめの兵を目の前の広場へと招集した。


 物見台へ登ったハリスは、すでに残り半数以下となっていた兵らに向けて声を張る。


「私は近衛隊長ハリス大尉である! たった今我等が女神、クレベール少佐を後方へ逃がし、指揮権を委譲された! よって諸君らに命ずる!」


 どよめく兵らを気にせず先を続けるハリス。


「我が軍はこれより遅滞戦闘に入り、敵の進軍を阻んで、少佐が無事に逃げおおせるよう時間を稼ぐ! 現在交戦中の隊を殿しんがりとし、その指揮は私が執る! 死にたくない者、やる気のない者は直ちに後退してよろしい! そのような軟弱者は、はっきり言って邪魔でしかない!」


 一度言葉を切ると、ハリスは兵らを眺め回した。

 すっかり静寂が訪れ、誰もがぎらつく瞳で自分を睨むように見詰めている。


 それをよしとし、ハリスは再び口火を切った。


「しかし私は、栄誉の戦死をされたゴルトー閣下の意志に殉じ、最後まで踏みとどまる覚悟を持ってここに立っている! そして栄えある第4軍の歴戦の勇士である、諸君の奮戦に期待するものである! 死をいとわない者だけこの場に残れ! 以上だ! 敵が来るまで最早時間はない。すぐに答えを出すように!」


 両手を広げて高らかに響き渡ったハリスの演説が止むと、兵の困惑は完全に消えていた。


 数秒後、割れんばかりの雄叫びが広場を埋め尽くし、兵らが武器を天へ一斉に掲げた。


 元々士気は高かったのだ。ここまで煽られて乗らない臆病者は一人としていなかった。


「脱落者はいないようですな」

「隊長も人が悪い。あのような言い方をされて、逃げ出す者が第4軍にいるはずがないでしょう」


 脇を固めていた近衛兵が、笑いを噛み殺しながらハリスを責める。


「これも閣下の人徳あってのものだろう。それと少佐のな。残り2万弱の命で、我等が女神を救えるなら安いものだ」

「違いありません」

「閣下の受け売りですね。良い女を守るために死ねるなら本望だと」

「その通り。まあ……私はあたら兵を無駄にした無能だと、後世に伝えられるかも知れんが、な」


 ふと自嘲気味に呟くハリスに、近衛兵らは目を伏せ敢えて声をかけなかった。


 そうこうしている内に、広場の南の人垣が突如ざっくりと抉り取られた。


「お見事な演説。そして良い気迫です。覚悟の決まった兵ほど好ましいものはありません」


 崩れた人垣の向こうから、涼し気な声音と共に、黒衣の少女がおもむろに現れた。


「……悪魔め、もう来たか」


 ハリスは息を大きく吸うと、三度声を張り上げた。


「今からここが最前線だ! 皆、覚悟を決めろ!」

『おおおおおおお!!』


 第4軍のときの声が広場を揺るがし、少女をも呑み込んでいく。


「ふふ。威勢が良くて何より。それでは皆様。お命頂戴致します」


 優雅な一礼を見せてから、屍を超えて兵の群れへ向かう少女。


「やってみろ悪魔めが! 第4軍の諸君、今こそ存分に帝国の威を示せ!」


 ハリスが声を振り絞り、帝国兵が死力を尽くす。


 そして少女による殺戮の宴が始まった。




 長くもあり、あっという間であった気もする。


 次々と肉塊と化す同胞。血の海と成り果てる広場。それでも止まぬ闘争と狂騒。


 しかしそれも永遠には続かない。


 近衛隊も全滅し、最後の一兵となったハリスは少女に剣を向けて対面していた。


「一兵たりとも逃げ出さなかった軍は、この大陸では初めて会いました。実に見事な勇猛さ。大将首の方も鼻が高かったでしょうね」


 ころころと鈴の音を転がすような笑い声を響かせる少女に、ハリスも乾いた笑みを張り付けて応じる。


 結局自分が生きている間、増援は現れなかった。


 時間は十分に稼いだ。

 恐らくはクレベールを護送した馬車が途中で出会い、撤退を指示したのだ。


 増援の情報は公国には漏れていないはず。


 となれば自分を斬れば終いと思い、少女が追撃に向かうこともないだろう。


 つまりこれは、戦としては大敗だが、第4軍としては作戦の成功を意味していた。


「ははは、はっはっはっは……!」


 ハリスは込み上げる歓喜が抑えきれず、自然と笑いを漏らしていた。


「はて。何かおかしなことを言ったでしょうか」


 こてりと愛らしく小首を傾げる少女に、ハリスは大きく左手を振って否定した。


「いや。そうではない。これだけ盛大にやられては、笑うしかないだろう」


 迂闊なことを言えば何かを感付かれるかも知れぬと思い、ハリスはとっさに嘘で装った。


「負けは負けだが、最期に貴様のような強敵と戦えるのは戦士の本懐だ。いざ尋常に勝負」


 話す内容からして、少女は堂々たる武人を好むものと見当を付けていた。


 ハリスはなるべくそれらしく見えるように振る舞い、剣を構えて少女を見据えた。


「よき覚悟です。では一手、お相手願いましょう」


 上手く誤魔化せたようで、少女は一礼の後、姿を消した。


 痛みもなく全身に切れ目が入ってゆく中で、ハリスは密かな勝利の余韻に浸り、そっとその意識を閉じた。

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