三十五 難癖

 紅とカティアが参謀本部に出向いている間、暇を持て余した隊員達は軍本部の食堂に集まって雑談に興じていた。


「……って感じで、勲章を押し付けられた少尉が怒りだしてね。文句を言われた紅様は勲章をがらくた扱いして、『あなたの笑顔が曇るくらいなら、こうしてしまいましょう』、って言って馬車の窓からぽーいって捨てちゃったんだよ! どう? どう?」


 椅子の上に立って熱弁を振るうアトレットに視線を集中させていた隊員達から、やんやと喝采が沸き起こる。


「うおお、かっけえええ! 部下を思って勲章を捨てるとか、できるか普通!?」

「いや無理無理! 勲章なんぞ捨てたと知られた日にゃ軍法会議ものだろ! どこまで怖いもの知らずだよ!」

「いやー、隊長に罪を問うったって、誰が捕まえられるよ? 全員返り討ちに遭うのがオチだろ」

「だよなー。前から思ってたんだが、隊長って綺麗な顔の割に無鉄砲というか、無法者だよな?」

「違いねえ! やりたい放題してるよな。そこがまたいいんだが!」

「女神は自由であるべき……何者にも縛られない……」


 口々に興奮した感想が漏れる中、アトレットが薄い胸を張って得意げに頷いた。


「うむうむ。皆にも紅様の素晴らしさが伝わったようで何よりだよ。第一の子分として、あたしも鼻が高い!」

「おい、いつの間に子分になってんだ。それを言うなら、おれはファン第一号を名乗るぜ」

「つーか全員部下なんだから子分と変わらんだろ」

「むきー! 子分にも序列があるっつーの! あたしが一番先に紅様の元に馳せ参じたんだからね! これは譲れないよーだ!」

「喧嘩はよしなさい……女神の元では我等は皆平等……共に信仰を捧げるのみです……」

「お、おう……お前、何かキャラ変わって来たな……」


 遊撃隊の面子がわいわいと賑やかにしているところへ、不意に廊下からどかどかと複数の軍靴の音が鳴り響いてきた。


「──どうにも今日の食堂は騒がしいな。いつからここは場末の酒場に成り下がったのだ?」


 食堂の入り口を潜って姿を現したすらりと背の高い男は、内部を見渡して居丈高いたけだかに鼻を鳴らした。


 しわ一つない清潔な軍服をびしりと着こなした様は気品が漂い、軍帽を乗せた煌めく金髪がさらりと揺れる。


 隊員達も思わず魅入る、文句の付けようもない美男子であった。


「ん。見慣れん面があるな。奴らか、騒音の元凶は」


 男は冷淡さを宿す青色の瞳で、遊撃隊を見下したように眺める。


「大佐。彼らが例の特務部隊のようです」


 後ろに着いていた取り巻きの一人が耳打ちすると、男はふっと小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「東部から来た部隊か。道理で田舎臭い訳だ。しかも子連れとはな。特務とは子守りのことか?」


 遊撃隊が居座る一角に取り巻き共々近寄ると、男はアトレットを見下ろして嘲笑する。


「むかー! 子供じゃないですー! アトレット一等兵ですー!」

「はっ! 貴様のような小娘が兵を名乗るとは。いよいよもって辺境は人材が尽きたらしいな」

「ぐぬぬ……!」


 人材不足は事実のため言い返せず、アトレットは唸るしかなくなった。


「おい、兄さん。誰だか知らんが、子供相手に大人気なくねえか?」


 隊員の一人がアトレットを庇うように男の前に立つと、取り巻きが素早く間に割り込んだ。


「貴様、無礼だぞ。この方は王家の血を分けた由緒正しきリーゼンシュタイン家のご子息、フォルツ大佐である。貴様ら一兵卒如きが気安く接してよい御方ではない」

「何だとお?」


 威圧的な態度に喧嘩腰になる隊員を、他の隊員達が止めに入る。


「落ち着けよ。ここで目を付けられたら隊長に迷惑がかかるだろ」

「失礼しました、大佐殿。こいつにはよく言って聞かせますので、勘弁してやって下さい」


 深々と一礼して席に戻る隊員達を、フォルツは鼻で笑った。


「ふん。一度は見逃してやる。理解したら端で静かにしていろ」

「大佐殿の寛大さに感謝するのだな」


 そう言い捨てたところへ、見た目に華やかな二人の少女が食堂へ入って来る。


「わーん、紅様ー!」


 アトレットが目聡く見付け、フォルツ達の脇をすり抜けて紅に抱き着いた。


「何かありましたか、アトレット。はて。皆様殺気立っていますね」


 しがみついたアトレットをそのまま引き摺って、フォルツを無視する形で前を横切り隊員達の元へ向かう紅。


「おい、貴様ら……」


 行く手をさえぎられて顔を引きつらせたフォルツだが、紅の後を追っていたカティアと目が合った。


「あ……フォルツ大佐……」

「誰かと思えば、カティアか」


 途端に硬直するカティアに、冷たい視線を投げるフォルツ。


「お前も貧乏くじを引いたな。こんな連中と同じ隊に回されるとは。何なら遠縁のよしみで、別の隊へ転属するよう口添えしてやってもいいぞ」

「……いえ、お気持ちだけで結構です」

「ふん、そうか。せいぜいクローゼン家の名をけがさんようにな。しかし、噂の特務部隊にはがっかりしたぞ。しつけがまったくなっていない。こんな山猿どもに国の命運を賭けるなど、参謀本部はどうかしている。我々王都守備隊をこそ前線へ出すべきなのだ」

「仰る通りです、大佐殿」


 フォルツと取り巻きとのやり取りを、うつむき歯噛みしながら聞くカティア。


「らしくありませんね、カティア。何も言い返さないのですか」


 その時、隊員達から事情を聴いた紅がフォルツの背後に立った。


「話は聞きました。我が隊の有能な斥候をいじめて下さったようですね」


 腰に抱き着いたままのアトレットの頭を撫でながら、紅は微かに笑みを浮かべる。


「貴様が隊長か。ほう……確かに新聞の似顔絵通りの美貌だな。他の猿どもとは一味違うようだ」


 振り返ったフォルツは紅を上から下まで舐め回すように眺めると、にやりと口角を上げた。


「部下の不始末の責任は、隊長である貴様に取ってもらうとするか。光栄に思え。今宵のディナーのパートナーに指名してやる。こんな食堂より豪勢な食事を取れるぞ」

「大佐! それは職権乱用では……!」


 とっさにカティアが叫ぶも、フォルツに一睨みされると口をつぐんだ。


「口を挟むな。この私が誘っているのだぞ。断る理由はあるまい」

「お断りしますが」


 確信に満ちたフォルツの言葉を、紅は真向から否定した。


「……何だと?」

「貴様、大佐の温情を無駄にするとは何事か! この方は──」

「ええ、聞きました。どこぞのぼんぼんなのだとか。ですが、産まれはあなたの力ではないでしょう」


 フォルツの疑問と取り巻きの叫びを、ばっさりと斬り捨てる紅。


「ぼ、ぼんぼんだと? この身の程知らずめ! これは上官命令だ! 黙って着いてくればよい!」


 苛立ち始めたフォルツが紅の肩を強引に掴もうと迫る。


 が。


 次の瞬間、フォルツの長身は天井近くまで浮き上がっていた。


「──がっ!?」


 気付いた時には頭から床に無様に叩き付けられ、受け身すら取れなかったフォルツはその場で失神した。


「た、大佐殿!? 貴様、何をした!」

「そ、それより医務室だ! 急げ!」

「貴様ら、覚えておけよ!」


 取り巻きが慌ててフォルツを担ぎ上げ、捨て台詞と共に退散していった。


「やったー! 紅様さいこーう!」

「さすが隊長! すかっとしたぜ!」

「やはり女神……女神は全てを解決する……」


 隊員達の拍手喝采が紅に降り注ぐ。


「さて。それでは夕食を頂きましょうか」


 振り向いた紅は何事も無かったかのように笑みを浮かべた。

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