三十四 出頭

 王都に辿り着いた遊撃隊は、大通りを避けて移動し、人目を忍ぶようにして公国軍本部へ滑り込んだ。


 彼らは今や救国の英雄として祭り上げられている。

 民衆に見つかればたちまち囲まれて大騒ぎになるだろうという、カティアの配慮からだった。


 到着した各員にはすぐさま兵舎の部屋が与えられたが、紅とカティアは休む間もなく参謀本部へ出頭するよう命令が下された。




「ランツ要塞から、遠路遥々えんろはるばるご苦労だった」


 レンド公国軍参謀本部の執務室に訪れた紅とカティアを迎えたのは、軍服姿が堂に入った、立派な黒髭を蓄えた壮年の男だった。


「私は公国軍参謀本部長ロマノフ中将だ。諸君の活躍は聞いている。紅大尉相当、カティア少尉」

「はっ! 中将閣下自らお出迎え頂き、恐縮であります!」


 部屋に充満する煙草の匂いに辟易へきえきして沈黙する紅に代わり、カティアがお手本のような敬礼を見せる。


「東部戦線を押し返してくれた英雄に会わん理由はあるまい。今は人目が無いからな。そうかしこまらずとも構わんよ。まずはこちらへ座りたまえ」


 ロマノフは執務机から立ち上がると、応接用のテーブルセットへ二人を誘う。


 二人が着席したのを見計らい、ロマノフは慣れた動作で葉巻を取り出して火を付けた。


「……さて。改めて、東部での特務遂行ご苦労だった。あちらではイスカレル大佐を通して指示を出していたが、今後は参謀本部直下の部隊として動いてもらうことになる。つまり、私が直属の上官になる訳だな」


 紫煙を吐きながら二人を労い、簡潔に引継ぎ事項を伝える。


「時に、紅大尉相当。勲章をつけていないようだが、お気に召さなかったかね?」


 紅の着物に何の装飾もないことを見て取ると、ロマノフは尋ねた。


「はい。私には無用のものです」


 紅が即答すると、ロマノフは思わず葉巻を取り落としそうになった。


「か、閣下! これはその、違うのです! 隊長はこう言っておりますが、実際は失くさないよう大事に保管しているという意味で……!」


 涼しい顔をした紅の横でカティアが必死に弁明するが、ロマノフはうつむき、無言で肩を震わせている。


「はて。私は本当のことを言っただけですが」

「隊長、ややこしくなるのでここは黙っていて下さい……!」


 不思議そうに首を傾げる紅に、カティアが顔を寄せて唇に指を押し付けた。


 その様を見てか、ロマノフの口元から唸り声が響いて来る。


「……く……くくく、くくくく」


 否。それは押し殺した笑い声であった。


「……ははははは! シュベール中将の報告はまことだったか! まさか本当に勲章を無用と言い切る者がいようとは!」


 唖然とするカティアの前で、大笑たいしょうしてみせるロマノフ。


「か、閣下……? 怒ってらっしゃらないのですか?」

「怒る? 何故だ? これ程愉快な話がそうそうあるものか」


 葉巻の灰をガラスの灰皿に落としながら、ロマノフは笑顔で続ける。


「シュベール中将とは懇意にしていてな。報告書にも紅大尉相当が変わり者だということは、笑い話のように書いてあった。それで実物を見るのが楽しみだったのだよ。早速その一面が見られて嬉しい限りだ」


 機嫌よく語るロマノフの様子に、カティアは胸を撫で下ろした。


「ふふ。この国のお偉方も、随分と変わり者が多いようですが」

「む。返す言葉もないな」


 逆に紅に指摘され、一本取られたとばかりに再び笑い声を響かせる。


「くっくっく。では変わり者同士で、仲良くやっていこうではないか。ああ、だが一つ。諸君の手柄をやっかむ者もいるにはいる。あまり派手な騒ぎは起こさん方が良いとは言っておこう」

「御忠告、感謝致します」


 念のためとばかりに釘を刺すロマノフに、カティアが紅に代わって礼を言う。


「うむ。では本日のところは挨拶だけだ。次の作戦はまだ審議中でな。詳細が決まるまで、しばし王都でのんびりしてくれたまえ」

「了解であります!」


 無言で頷いた紅が立ち上がるのに合わせ、カティアがびしりと敬礼をする。


「ああ。私からも一つよろしいですか」


 部屋を後にしようとした紅は、ふと思いついたようにロマノフへ向き直った。


「密室で、未成年の前にて煙草を吸われるのは控えた方がよろしいかと」


 その言葉と共に、ロマノフが手にした葉巻の燃える先端がぴんと斬り飛ばされ、見事に灰皿の上へ落ちた。


 飛燕の如き早業に、ロマノフとカティアの目が見開かれる。


「っ……! ……うむ、き、気を付けよう……」

「では失礼します」

「……なんで余計なことをするんですか、もう!」


 カティアに責められながら紅が退室した後も、腰を抜かしたロマノフは灰皿を呆然と見つめていた。


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