五十二 反撃準備

 帝国分隊による砦への襲撃を退けた公国軍は、被害の確認の後、即刻部隊の立て直しに着手した。


 帝国の攻城兵器は威力が高く、砦への損害はそれなりにあったものの、聖王国の増援部隊の活躍もあり、人的被害は比較的軽微に済んだ。


 その甲斐あって、手間取ったのは物資の補充くらいで、部隊の再編成は円滑に進んでいた。


 これにより東西の砦群の足並みが揃い、ワーレン要塞正面に居座る帝国第4軍を左右より包囲する準備がついに整いつつあった。




 西部防衛戦の翌日、ワーレン要塞の会議室にて、総司令官であるキール中将以下重鎮の面々が集合して卓を囲んでいた。


「いよいよ、だな」


 老齢の将、キールが感慨深そうに一言口にした。


 帝国との開戦以降、破れに破れた連敗を止めたのが、彼率いるワーレン要塞であった。

 以降数ヶ月に渡り防衛を続け、帝国第4軍の進軍を食い止めている要塞部隊の功績はあまりに大きい。


 しかしその分受ける負担も凄まじく、キールは年齢以上に深いしわを顔に増やすことにもなった。


 侵攻を防いではいるものの、反攻に転じるまでの余裕はなく、じりじりと消耗を続けざるを得ない日々。

 一度気を緩めれば、一気に転落してしまうであろう先の見えぬ綱渡りを、鋼の意思で絶望と恐怖を押し殺しながら耐え忍んできたのだ。


 それは彼だけでなく部下全員が同様であり、心身共に限界を迎えつつあった。


 それが今はどうだ。


 紅という綺羅星の如く現れた少女によって、数々の帝国の魔の手が覆され、こうして反撃の目さえ生まれたではないか。


 ワーレン要塞が公国最後の守護神だったと例えるなら、紅という少女はまさに勝利を運んできた女神と言って良いだろう。


「これまでの苦労が報われた想いですな」

「まったくです。まさか攻めに転じる日が来ようとは」

「限界に近かった兵の士気も、かの女神の活躍によって向上した程ですからね。情報部も上手いことやってくれたものですよ」

「かくいう私も希望を感じましたからな。余所者を敢えて登用した参謀本部の英断に賛辞を贈りたい」


 列席者達も口々に高揚した胸の内を晒して行くが、末席の若き将校が不意に立ち上がると一同を見回し、背筋を伸ばして堂々と流れを断ち切った。


「……失礼ながら。皆様少々気がお早いのではないでしょうか」


 その言葉に、和やかだった雰囲気が凍り付いた。


「紅大尉相当の功績は確かに素晴らしく、我々も救われたのは事実です。しかし、依然敵は目の前にあり、ようやく対等にやり合う土台が整っただけに過ぎません。敢えて言わせて頂きますが、ここからが本番なのです。気を抜くのは早計だと愚考する次第であります」


 至極真面目な顔から発された正論に、周囲の将らは気まずそうに顔を見合わせるばかり。


「コルテス少佐の言う通りだな。唐突にぶら下げられた希望を前にして、少々浮足立ってしまったようだ。忠言感謝する、少佐」

「もったいないお言葉です。差し出がましい真似を致しました」


 深く首肯したキールに礼を言われても硬い表情は崩さず、びしりと敬礼を返し着席するコルテス。


「いや、重要なことだ。諸君。ここが正念場だと今一度思い出し、胸に刻もうではないか。何、今回の作戦さえ成功すれば、一息付けるのは確かだ。ここまで重ねて来た我慢を、もう少しだけ続ければ良い。長きに渡り帝国の侵攻を阻んできた諸君ならば、決して不可能ではないと私は信じている。完全なる勝利のためにも気を引き締め直し、一層の団結の元に作戦遂行に当たることを期待する」

『はっ!』


 キールの言葉を受け、将らは一斉に立ち上がり敬礼を返した。

 その顔には先程までの緩みはすでに覗えず、皆歴戦の勇士の表情を取り戻していた。


「結構。それでは各自作戦に向けて準備を進めてもらいたい。これにて解散とする」


 きびきびと退室していく将の中で一人、キールへ向かって行く者があった。


「どうした、コルテス少佐。まだ何かあるかね」

「は。僭越ながら、閣下に一つお聞きしたいことがございます」

「質問を許可する。言ってみなさい」


 キールに促され、コルテスは迷いなく切り出した。


「ありがとうございます。此度の反攻作戦ですが、この局面で打ち出すにしては、概要があまりに曖昧に過ぎるのではないでしょうか。これまでの参謀本部ならば、もっと詳細な指示があるものと認識しておりましたが」


 前線の将からは、参謀本部のロマノフ中将は慎重派で通っており、綿密な作戦を立てることに定評があった。


 それが今回の作戦概要は、三方から帝国第4軍に迫り、包囲を徹底すること。その上でこちらからは極力手を出さず、初手の攻撃は紅に一任し、状況に応じて戦線を押し上げよ、という至極簡潔なものであった。


 包囲を完成させた後は、ほぼ前線の裁量に任せると言っているも同義である。


「もっともな疑問だな」


 キールは作戦書を読み返しながら一考し、言葉を選びつつコルテスに返答する。


「私が思うに、参謀本部も紅大尉相当の実力を読み切れていないのだろう。しかし、万単位の軍を切り崩す能力は確かにあると認めた上での発案なのは間違いあるまい」

「彼女が第4軍を混乱に陥れたところを叩け、という筋書きでしょうか」

「そうかも知れんし、単に混戦になると彼女の邪魔になるという判断かも知れん。彼女が敵陣を掻き乱し、漏れ出た敵兵を狙い打てばよいということであれば、こちらの被害も最小限で済むだろう。ともかく、まず我等自身の目で紅大尉相当の動きを見てから、どう行動するか決めろということではないかと私は解釈している」

「……少女一人に戦の命運を託すのは、軍人、いえ、大人として情けなくもありますね」

「耳が痛いな。しかし、これまで正攻法でどうにもならなかったからこその奇策だろうと割り切る他あるまいよ。ここは勝利の女神を信じ、我々は与えられた仕事に徹するまでだ」

「閣下が仰るならば」


 コルテスが敬礼を取った後に退室すると、キールは作戦書に添付された紅の似顔絵を改めて見返した。


「勝利の女神か……その実力は奇跡か、本物か。此度の作戦でそれがわかるだろう。願わくば、公国を勝利に導きたまえ……」


 総司令官であるキールは、誰にも弱みを見せる訳にはいかない。

 その重責から逃れるためか、無意識に女神への信仰に傾倒し始めていることを自覚しないまま祈りを捧げていた。

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