五十三 収穫前夜
西部の砦部隊の再編が完了したとの報を受け、紅率いる遊撃隊は、ユーゴー少佐が統率する東部の部隊と共にルバルト平野へ進出を始めていた。
目的は無論、帝国第4軍の包囲である。
これまでにない大規模作戦とあって、遊撃隊の面々は緊張を滲ませていたが、紅はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべて馬に揺られていた。
「紅様、なんだか嬉しそうですねー?」
横を歩くアトレットが近寄り問いかけると、紅は花が咲くように微笑んで見せた。
「はい。此度はこれまで以上の大軍が相手なのでしょう? 楽しみで仕方ありません」
刀の柄を撫でながら応える紅の言葉に反応し、後続の隊員達がぼそぼそと囁き合う。
「……おい、聞いたか? 俺なんか久々にまともな戦場に立つってんで、手の震えが止まらねえってのに」
「流石隊長、ブレねえな……」
「戦が生き甲斐なんて言い切るだけあるわー」
「……女神に戦を捧げよ……されば我等に勝利は訪れん……」
「……女神に信仰を捧げよ……されば我等の無事は約束されん……」
「あー、段々俺も祈りたくなってきた……」
そこへ男連中の会話を聞き止めたカティアが振り向いて一喝する。
「あなた達、情けないわよ! それでも幾度も戦場を駆けた身なの? 隊長を見習って覚悟を決めなさい!」
「おっとやべえ、聞こえてたか」
「お嬢に言われちゃ腹を決めるしかねえな」
「了解であります少尉殿!」
「ちょっと、誰がお嬢ですって! 今の誰が言ったの!?」
「まあまあ。親しみを込めた愛称って奴ですよ。他意はありませんって」
「そうそう。麗しの少尉殿に尻を蹴られたらやる気も出るってもんです」
「野郎ども、気合を入れて少尉殿に良いところをお見せするぞ!」
『おう!』
隊員達は失言を誤魔化すように団結し、一斉に拳を突き上げて見せた。
「もう、調子だけはいいんだから!」
カティアがむくれて視線を前方に戻すと、紅がくすくすと含み笑いを漏らしていた。
「何ですか、隊長まで!」
「いいえ。カティアは皆様に好かれていて何よりです。あなたの言葉で緊張も解れたようですよ」
紅の言う通り、先程までの重い空気は吹き飛び、隊員達の表情は明るくなっていた。
「私にはああいった叱咤激励は出来ませんので。やはりカティアは頼りになりますね」
「い、いいえ。副官として当然の仕事をしたまでです」
途端に顔を赤らめて髪をいじり始めるカティアに、アトレットが目聡く絡む。
「んふふー。照れてる少尉は可愛いですねー?」
「な!? 別に照れてないわよ!」
「そんなに慌ててるのに? あやしーい!」
「貴方は人をおちょくることしかできないの!?」
二人のきゃいきゃいとした姉妹のようなやり取りをにこやかに聞いていた紅の耳に、ふと後方より馬の駆け寄る音が響いてきた。
「──紅大尉相当、及びカティア少尉。少しいいかね」
それはユーゴーと共に部隊中央付近を進軍していたはずのエイベル大尉であった。
「これは大尉殿。どうかなさいましたか」
不毛な言い争いを切り上げ、真面目な表情を作って問うカティア。
「ユーゴー少佐の使いでな。包囲後の我が軍の動きについて、今一度確認しておきたい」
追い付いたエイベルは速度を落とし、紅達と歩調を合わせた。
「作戦概要としては、まず紅大尉相当が単騎で突撃し、敵陣を食い破る。我等は包囲を崩さぬことに注力し、敵軍からはぐれた兵を逃がさぬようにすればよいのだったな?」
「はい。今回の敵方は数が多いと聞いております。逃げに回られれば討ち漏らしも出るやも知れません。それらを掃除して頂ければと思います」
「了解だ。少佐も、蟻の子一匹通さぬ包囲を敷いて見せると豪語していらっしゃる」
エイベルがユーゴーの言を引き合いに出すと、紅はくすりと笑みを漏らした。
「それはそれは。頼もしい限り」
「皮肉かね? だが、少佐もやる時はやる方だ。ここは一つ任せてもらいたい」
紅の物言いに引っかかるものがあったのか、エイベルは念を押すように言い含める。
それを受けた紅は、屈託のない笑みを浮かべて一礼して見せた。
「それではお願いします。逃がす心配がなければ、剣を振るのに集中できますので」
「ああ。周囲は気にせず思い切り暴れてくれ。それと、作戦直前の軍議でも同じ議題が出るかも知れないが、そこは勘弁して欲しい。少佐曰く、また予定にない抜け駆けをされては困るとのことでな。情報共有を徹底しておきたいそうだ」
「あ……その節は大変ご迷惑を……」
苦笑するエイベルに、カティアが深々と頭を下げるも、紅は他人事のように聞き流した。
「いや。結果的には最良の選択だったと言える。私は紅大尉相当の独断を支持するよ。参謀本部も、その戦に対する独特な勘に期待して今回の作戦を立てた節がある」
ふと視線を彼方に向けて思案顔を見せるエイベルだが、すぐに紅へ向き直って敬礼を取った。
「用件は以上だ。邪魔をした。貴官の無事と活躍を願う」
「そちらもお気を付けて」
「大尉もご武運を」
紅の代わりにカティアが敬礼を返すと、エイベルは後方へと戻って行った。
「ふふ。少佐殿もなかなかに心配性なようですね」
「誰のせいだと思ってるんですか……」
お気楽に微笑む紅へ、カティアが呆れたように突っ込みを入れるが、効果はまるでなかった。
紅の胸にあるのは
数千数万の首を刈り取れる喜びが満ちているだけである。
「ふふ。久しぶりに満腹になれるでしょうか。楽しみですね、
愛刀への語り掛けは、風に紛れて誰の耳にも止まらなかった。
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