四十 密林の蛇

 樹上に陣取った少女へ向けて、周囲全方向から一斉に投射物が向かってゆく。


 密林に散った黒蛇隊員達が、木立の間を高速ですり抜けながら放った短剣であった。


 常人ならばどこから飛んで来るかもわからぬ恐怖に怯えるものだが、そもそも瞑目した少女に動揺の色は皆無だった。


 そして驚くべきことに、目にも止まらぬ速度で袖を振り、全てを弾き返したではないか。


 続く動作で少女はおもむろにその内の一本を掴み取り、手触りを確かめる。


「はて。覚えのある感触です」


 次々と途切れることなく続く投擲を、刃の焼かれた黒い短剣一本でさばく少女。

 その顔は思案に暮れていたが、すぐにぱっと明るい笑みを灯した。


「ああ。思い出しました。確かベルンツァに潜り込んだ方でしたね。あなた方のような、忍びに似た密偵が使っていたものでしたか」

「何だと?」


 少女の挙動に注意を払っていたレイコフの脳裏に、不吉な予感が過ぎった。

 定時報告の際に聞いた、別の任務に向かった同僚が行方不明だという話が蘇る。


「まさか、イルス大尉が戻らんのも貴様の仕業か!」


 レイコフは激高し、両手の指に挟んだ複数の短剣を同時に投げる離れ業を繰り出すも、少女へ届く前にあっさりと叩き落とされた。


「はてさて。残念ですが、斬った相手の名前などいちいち覚えておりませんので。どなたかはわかりかねます」


 愛らしく首を傾げながら、酷薄な言葉を返す少女。


「ちっ! 悪魔らしい言い草だな!」


 次いで軌道を変えた短剣が少女を襲うが、それも容易く受け止められる。


 そして流れるような動作でその内の一本を真上へ放ると、樹上から喉を貫かれた部下が短剣を握ったまま地面に落ちて行った。


「あの奇襲をさばくだと……!?」


 地上班が気を引いている間に頭上を取る必殺の連携を見破られ、レイコフは動揺を隠せなかった。


「ふふ。あなた方のような忍びや密偵は、手札が豊富で愉快ですね。次はどんな手を見せて頂けるのでしょう」


 少女はにこりと笑みを見せ、手元で弄んでいた短剣の一本をレイコフに向けて放ち、頬をかすめて一筋の傷を作った。


(外した……? 挑発か……?)


 反応すらできなかったレイコフは一瞬の疑問に囚われるも、血がじわりと頬ににじむことで思考を取り戻し、反射的に叫んだ。


「コベル軍曹!!」


 しかし返事はなく、先程まであった荒い息遣いも消えていた。


 少女の狙いは初めからレイコフではなく、背後の部下だったのだ。


「ここまで案内頂いたお礼として、楽にして差し上げました」


 少女の残酷な言動に、周囲の部下も瞬時動揺し攻撃の手が止まる。


 その隙をついて少女は枝から飛び降り、音もなく地面へ着地していた。


「あなたも庇う者がいなくなれば自由に動けるでしょう? 本気を見せて下さいませ」


 今しも命を奪った直後だと言うのに、微塵もそれを気にした風のない可憐な笑顔をレイコフに向ける少女。

 その表情はまるで大人に遊びをせがむ子供そのものだ。


「舐めやがって……後悔させてやる……!」


 すでに息の無い部下のことは諦め、レイコフは少女を打倒することに専念する。


 すっと後退して影のように木立の中へ溶け込むと、少女から距離を取りつつ木の幹を蹴って樹上へ上がって行った。


 地上では気を取り直した部下が投擲を再開して少女の足を止めている。


 そして数人がレイコフと同様に樹上へ上がって機をうかがっていた。


 レイコフは樹上班に手指でサインを送り位置取りを決めると、木の幹に身を密着させて気配を断つ。


 呼吸を静かに整えながら、勝ち筋を思考するレイコフ。


 少女はまだ自分の武器を使っていない。それは本気を出していないも同義ではあるが、あるいは出せないのではないかとの理屈も付けられた。


 こうも木の生い茂った狭所きょうしょでは、あの腰の得物は振り回せないだろう。


 正直なところ、あの反射神経と技量は脅威ではある。正面切って渡り合うのは分が悪いと言わざるを得ない。

 しかし疲労が貯まれば集中も乱れよう。


 この地形は暗殺者である彼らの味方だ。

 姿を見せず、付かず離れずの距離を保ち、囲み続けるのが得策と思えた。


 相手は一人であり、休息をする暇も与えない。片やこちらの人数はまだ十分。交代で休み、包囲を維持すればいい。

 いずれこちらも弾切れになるが、攻撃をせずとも、囲まれていると言う圧力だけで人は気力を削られるもの。


 そして根比べでは負けはしない。それこそ一晩でも二晩でも追い回し、逃げ回り、徹底的に気力と体力を削って弱り切ったところを刺すのだ。


 作戦が決まったことでレイコフの心にも余裕が生まれ、少女へ観察の目を向けることが出来るようになった。


 木陰からわずかに顔を覗かせ、遠目に少女を確認すると、その笑顔が曇っているのが見えた。


「はてさて。かくれんぼはあまり好みではないのですが」


 相変わらず易々と弾幕を防いでいるが、その顔は明らかに浮かない表情である。


(あの悪魔にも弱点があったか!)


 レイコフは作戦がはまったと心中で快哉かいさいを叫ぶも、次の瞬間それは裏切られた。


「居場所が分かっていては、何も面白くありません」


 そう呟く少女の手には、いつの間に抜き放ったのか、真紅の刀が握られていた。


 それを認めた直後、レイコフの視界がぐらりと斜めにかたむき始める。


(何だ、地震か!?)


 出しかけた叫びを抑え付け、状況把握に努めるレイコフ。


 周囲を見れば、視界一杯の木々が同じ方向に横倒しになっていくのが確認できた。

 つまり自分が張り付いている木も同様の運命を辿っているのだろう。


 それに気付いたレイコフはとっさに背を預けていた幹を蹴った。

 倒れゆく木々を次々足場にして飛び移り、かろうじて無事だった木にしがみついて難を逃れるも、必死で跳び越えて来た道筋を振り返って絶句する。


 周囲広範の木々が放射状に倒れて折り重なり、すっかり視界が拓けていたのだ。


「まさか剣の一振りでこれを引き起こしたと言うのか……!?」


 思わず口にしてから、視界の隅に大木の下敷きになった部下の腕が見えた。


 この様子では、地上班は木々諸共両断されたか、倒木に埋もれたか。いずれにせよ無事ではあるまい。


「誰か残った者はいるか!?」


 樹上班が生存していることに望みを託し、なりふり構わず叫ぶも、返答はなかった。


「ふふ。み~つけた。とでも言えばよろしいでしょうか」


 代わりに、怖気を誘う少女の声が下方より聞こえて来た。


「生き残っているのはあなただけです。かくれんぼは終わりにして、尋常に死合いませんか」


 木の根元に立ってこちらを見上げ、次の遊びを提案するように、紅い刀を手にしてにこにこと笑顔を振りまく少女。



 悪魔。



 レイコフの頭をその一文字が支配した。


「──おああああああ!?」


 熟練の密偵の理性はついに決壊し、少女に背を向け恥も外聞もなく逃げ出した。


 密偵最大の武器である逃げ足を存分に発揮し、木々の枝を素早く飛び移ってゆく。


 その途中、がくんと膝から下の感覚が消え、地上へ真っ逆さまに落下する。


「あなたとはよい死合いが出来るかと思ったのですが。見込み違いでしたね」


 落ちる先に少女の姿を認め、足を斬り飛ばされたのだと悟った。


「忍びの手管は好きですが。すぐに逃げるところは嫌いです」


 その言葉を最後に、レイコフの意識も闇の中に落ちて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る