四十一 豪胆なる将

「失礼します。閣下。伝令より、黒蛇が定時報告に現れないとの報告が上がっております」

「何だと?」


 帝国第4軍司令官ゴルトー少将は、天幕に入って来た副官クレベール少佐の言を聞き眉をひそめた。


 簡易寝台に横たえていた熊のような体躯を大儀そうに起こし、美貌の副官へ向き直る。


「異常事態か」

「仰る通りです」


 クレベールが書類の束を小脇に抱え、ぴしりと姿勢を伸ばすと、軍服の上からでもわかる豊かな曲線美が強調された。


 その双丘を前に、ゴルトーは思わず鼻の下を伸ばして凝視するが、クレベールはいつものことと構わず言葉を続ける。


「黒蛇はこれまで定時報告を欠かさず、定刻を破ることも皆無でした。部隊に深刻な問題が起こったものと推測されます」

「ああ、うむ。そのようだな」


 クレベールの冷静な所感と視線を受け、ゴルトーは誤魔化すように視線を天井へ向けて思案顔を作った。


 帝国南部攻略の命を帯びたゴルトー率いる第4軍は、開戦以降破竹の勢いで南下を続け、公国の国境を食い破って来た。

 しかし難所のワーレン要塞においては、得意の重装騎馬隊による突撃戦法が通用せず、ここ数ヶ月睨み合いと小競り合いが交互に続いている。


 これでは埒が明かぬと、参謀本部肝入りの諜報部隊、黒蛇の出番となったのだ。


 ワーレン砦を牽制する本隊より兵を分け、東西の砦群から切り崩し奇襲をかける。


 真っ向勝負を好むゴルトーにしてみれば、参謀本部の立てた作戦は回りくどいものであったが、確かに有効的だろうと思えた。


 しかしその要を担うはずの黒蛇との連絡途絶は、作戦に大きな支障が出たことを意味する。


 何しろ奪取した周辺地図の精査と、攻撃開始後の後方攪乱と言う重要な任務を抱えているのだ。


 仮に公国へ潜入中の黒蛇の部隊が露見して壊滅したとなれば一大事である。


「むう……あの手練れどもが、そう簡単に尻尾を掴まれるようなへまを仕出かすとは思えんが」

「同感です。が、報告に現れないこともまた事実です」


 淡々と同意を示しつつも現実を見据えるクレベール。その氷のような表情に揺らぎはない。


「この件は本国へは?」


 ゴルトーは自慢の黒髭を撫でつつ、視線をクレベールに戻して確認を取る。


「すでに早馬を出しております」

「相変わらず手際が良いな」


 暴走する部下は困りものだが、上官の意を汲んで先回りできる者は貴重だ。

 クレベールは間違いなく後者であった。


 気を良くしたゴルトーは更に質問を投げる。


「少佐。もし黒蛇が壊滅していた場合、どのような弊害が出るか述べてみよ」

「は。近々完成するはずであったワーレン要塞周辺地図の受領が不可能となり、平地攻略後の山中での作戦行動が困難になるかと思われます。並びに後方攪乱隊がいなくなることで、そもそもの平地攻略の難度も上がり、作戦全体に支障をきたすものと愚考致します」


 さらさらと淀みなく発された返答に、ゴルトーは満足して頷いた。


「うむ、満点に近い。しかし一つ見落としているぞ」


 にやりと笑みを見せると、クレベールの青い瞳が瞬時揺らめいた。


「……これはとんだ失態を。まず黒蛇を見付け出し、壊滅させる程の諜報部隊が公国にもいる、との証左にもなり得ますね」

「その通り。さすが少佐だ。判断が早い」


 それでも素早く立て直したクレベールに賞賛を送るゴルトー。


 彼は娯楽の少ない戦地にて、才色兼備の副官との会話を何よりも楽しみにしていた。


「もったいないお言葉です」


 しかし美しき副官は笑みすら浮かべず、常に素っ気ない。

 そんなつれないところもゴルトーの好みに合致していた。


 良い女の前で格好をつけることが、男として最高の燃料であるとゴルトーは認識している。

 第4軍の士気の高さは、彼女の存在によるところが大きいとさえ断言できた。


 まさしく我等が勝利の女神。


 ふと、クレベールと置き換えるように、公国にとっての勝利の女神の存在を思い出す。


「時に少佐。東部の攻略に当たっていた第5軍の件は覚えているか?」

「はい。例の悪魔に壊滅させられたとの報告ですね」


 打てば即座に響く返事に気分良く頷き、ゴルトーは続ける。


「うむ。もしかすると、黒蛇は奴にやられたのかも知れんな」


 秘密裏に建設されたウォール森林の隠し砦も、件の悪魔によって潰されたらしいと報告が上がっている。

 ならばこちらの諜報員を見付け出すことさえ出来たとしても不思議はないのではないか。


「……なるほど。ご慧眼です」


 ゴルトーの思考に至ったクレベールは、わずかに目を見開き首肯した。


「となると、大幅な作戦の見直しが必要でしょうか」

「そうなるな。しかしこれは逆にチャンスとも言える」


 ゴルトーは勢い込んで拳を握った。


「第5軍が仕留められなかった敵を我等の手で討てば、褒章は間違いなし。アレスト少将にも貸しを作れて一石二鳥だとは思わんか」

「そう上手く行くでしょうか」


 力説するゴルトーに、あくまで慎重派のクレベールは懐疑の視線を送る。


「行かせるとも。黒蛇は脱落したものと仮定し、抜けた穴は分隊を増員して埋める。再編成を進めさせろ。確か地図の精査は大半が済んでいたはずだな? それを元に、急ぎ侵攻ルートを作らせよ。空白地は判明している砦を落としてから調査すれば良い」


 方針が決まれば迷わず命令を下す。

 猪突猛進と揶揄やゆされることも多いが、猛将と称されるゴルトーの決断力の高さが遺憾いかんなく発揮された。


「ではそのように。ですが、肝心の悪魔の対策は如何いかがなさいますか」


 もっともな疑問に、ゴルトーは自信ありげに答える。


「ベルンツァの隊や第5軍は、奴の実力を知らずに戦ったせいで負けたのだ。化け物がいると初めから想定しておれば、打つ手はいくらもあろう」


 寝台から勢いよく立ち上がると、クレベールを見下ろして叫ぶ。


「隊長連中を集めろ! 早速軍議を開くぞ!」

「了解致しました」


 天幕を震わす程のゴルトーの大声を静めるように、クレベールの沈着な返事が場に溶け込んだ。


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