七十三 先行

 ミザール原野はレンド公国北部に位置する不毛の地である。


 痩せた土地故に農耕にも牧畜にも適さず、主要都市から離れていることもあり、街道こそ引かれているものの、宿場町の一つすら存在していない。


 グルーフ要塞以南に点在する砦を除いては、ほぼ手付かずの無人の荒野と言える寂れた地域であった。




「……先代の公王時代に巨費を投じて街道が敷かれましたが、利用するのはもっぱら交易品を扱う隊商くらいでした。ただ、広大で複雑な地形もあって、盗賊など犯罪者の恰好の潜伏場所ともなっています。それらの襲撃に備え、隊商は屈強な傭兵達を護衛に雇うのが常だったのです」


 早朝にルバルト駐屯地を経った紅を筆頭とした偵察隊は、午前中にミザール原野へ差し掛かっていた。


 隠密行動のために馬は使わず、全行程は徒歩での移動となる。

 本格的に原野へ立ち入る前に小休止とし、紅はカーレル大尉より地理の解説を受けていた。


 いつもならカティアの出番であったが、今回はルバルト駐屯地に残った遊撃隊のお守のためについて来ていない。


「ああ、隊商の護衛なら俺もやったことがありますよ。戦争が無いと傭兵は商売あがったりなんで、そういう仕事を見付けて食いつないでましたねえ」


 遊撃隊の一人が懐かしそうにしみじみと語る。自身で言うように、傭兵上がりの強面の伍長だった。


 今回紅に随伴するのは、アトレットを含む偵察が得意な数人の隊員である。


 それに加えユーゴー少佐配下の斥候と、カーレル大尉率いる情報部の部下、合わせて20名程が偵察隊として現地入りしていた。


「俺もやったなあ。戦前は景気も良くて、商人も金払いがいい奴が多いわで、なかなかおいしい仕事だったんですが」


 別の隊員も携帯食をかじりながら頷いた。


「それが今じゃ帝国が占領してるせいで、人っ子一人通れないって訳ですかー」

「そのお陰で他国からの輸入ルートも塞がれてしまい、公国の物資不足に拍車がかかっているのです」


 紅に寄りかかって話を聞いていたアトレットがうんざりといった表情で合いの手を打つと、カーレルがすかさず補足した。


「砦があるということでしたが、やはり街道沿いに配置されているのでしょうか」

「その通りです」


 アトレットの頭を撫でつつ紅が質問すると、カーレルは頷きながら、そばに落ちていた灌木かんぼくの小枝を拾い上げる。


 そして砂地に一本の線を引き、ある程度の間隔を置いて四角形を三つ書き込んだ。


 もちろん紅には見えてはいないが、その空間把握力をもってすれば、書き込む音や手の動かし方から文字や図形を認識できる。

 そう明かした際の周囲の驚きようは凄まじかったが、今ではカーレルもそれに順応し、自然と説明に図形を用いていた。


「近い場所から、サルツ砦、カーク砦、リドール砦という、平時には宿場代わりにも使われていた小規模な砦が存在します。詰めているのはおよそ千人程度と思われますが、砦の周囲に哨戒しょうかいとして別動隊が展開している可能性もありますので、総兵力は読めません。今回の任務はまさに、それらを確認するためのものとなります」


 四角形の回りにいくつかの丸を書き足し、説明を続けるカーレル。


「しかしご覧の通り、街道を一歩でも外れれば高い崖や谷など高低差の激しい荒れ地が広がっています。その分死角が多いため、どこで敵と鉢合わせするか知れません。それ故偵察が難航しているのです」


 カーレルが手にした小枝を街道の先へ向けると、すぐ近くにも大きな岩壁がそそり立ち、前方の視界を遮っていた。


「うへえ。通るだけなら気にしたこともなかったが、ここに分け入って探索するのは骨が折れそうだ」

「盗賊の類は戦にびびって逃げ出してるだろうが、代わりに帝国兵がうようよいるかと思うと、うんざりするな……」

「貴官ら、やる前から弱音か? 先発の斥候隊は、この任務をすでに一週間近くこなしているのだぞ」

「そうだぞ野郎どもー! 紅様に同行する栄誉を得ておいて、そんな情けないことを抜かすんじゃなーい! 紅様を失望させるなー!」


 カーレルとアトレットから口々に非難され、愚痴った隊員達は顔を見合わせて肩をすくめた。


「そう言われちゃ立つ瀬がないですね。受け持った範囲はきっちり調べますよ」

「申し訳ありません、大尉殿。確かに先行隊に失礼な発言でした」

「だがアトレット、お前はだめだ。上等兵になったからって偉そうにするのは10年早い!」

「なんだとー! 伍長になったからって偉そうにー!」

「実際こっちの方が偉いんだよ! 敬語を強要しないだけましだと思え!」


 途端にぎゃーぎゃーとやり合い始めるアトレット達を見て微笑むと、紅はカーレルへ向き直る。


「それで。先行隊はどの程度まで偵察を進めているのでしょう」

「は。一番近いザルツ砦はここから徒歩で二日程の距離にあるのですが、その半分、一日分程度の範囲まで精査を完了しております。本日の目標はそこまで赴き、先行隊と合流することですね」

「それでは皆様は予定通り行動し、野犬の群れの捜索をお願いします」


 そう言うと、紅はもたれかかっていたアトレットを引き離し、おもむろに立ち上がった。


「は。……は? 少佐相当殿は何を……」

「私は先行して砦を落としておきます。根城がなくなれば、潜んでいる方々も慌てて尻尾を出すかも知れませんしね」

「な!? あ、あれは冗談ではなかったのですか!?」


 先日のユーゴー少佐との会話時に出た言葉を思い出したカーレルが慌てて問い質すも、紅は愛らしく微笑んで言葉を紡ぐ。


「考えてみたのですが。砦の位置が分かっているのであれば、奪ってそのまま拠点にするのが手っ取り早いと思いまして。基地を作る手間も省けるというものです」

「そ、それはそうですが、隠密行動の意味が……」

「私が囮になれば、皆様も動きやすくなるでしょう」


 渋るカーレルの反論にもすぱりと言い返し、紅は足を一歩踏み出した。


「あー、大尉殿。こうなった隊長には何を言っても無駄ですよ」

「そう! 紅様は言い出したが最後、誰にも止められません!」


 隊員とアトレットが、カーレルの意見をさらに折りにかかる。


「……あれ? じゃあまた結局紅様と別行動に……?」


 しかし自分の言葉を反芻はんすうしたアトレットは、ふと現実に気付き凍り付いた。


「残念ですが、そうなりますね。皆様、大尉殿の指揮下で良い子にしていて下さい。では行って参ります」

「ちょ、待っ……!?」

「紅様の意地悪~!!」


 紅はカーレルの制止も聞く耳持たず、アトレットの悲鳴も置き去りにして、あっという間に偵察隊の視界から消え去った。

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