三章 飛翔

六十四 英雄と宴

 ルバルト平野の平穏を取り戻した公国軍は、ようやく数ヶ月に及ぶ緊張から解放されることとなった。


 戦争自体は継続中ではあるが、帝国側の被害を考えるに、すぐさま反攻に転じて来ることはないだろうと判断した参謀本部の意向により、ワーレン要塞の部隊は待機命令と言う名目で久々の休暇が与えられた。


 周囲に大きな町がある訳でもない辺境故に娯楽などは限られているが、それでも敵が攻めて来る心配をせずに羽を伸ばせる時間と言うのは、軍人にとって特に得難いものである。


 公国兵達がその貴重な休みをいかに有意義に利用するべきか頭を捻った末、真っ先に発案されたのが、戦勝と慰労を兼ねた大宴会であった。


 この案を受けたキール中将は即採用し、むしろ率先して準備を主導した。

 ルバルト平野で合流し、共にワーレン要塞へ帰還していた紅達遊撃隊を主役に据えて、大いにもてなそうという意図があったのだ。


 何と言っても紅は此度の戦の最大功労者。まさに英雄と呼ぶに相応しい戦功を打ち立てた。

 カティアが率いた遊撃隊も、東軍の守備において目覚ましい活躍を見せたこともあり、彼らも一目置かれるようになっていた。


 直接の目撃者である公国軍の兵で遊撃隊を歓迎しない者はなく、騒がしくも和やかな雰囲気の中で祝勝会は始まった。




「さて諸君。静粛に。各自グラスは持ったかね。早く呑み始めたい者も多いだろうが、こういう場は形式も重要だ。これから皆で同じ時間を共有するという認識が、より快適な空気を作り上げるのだよ」


 兵らが今か今かと乾杯を待つ間、キールはわざともったいつけるように口上を述べる。

 しかし彼自身もまた、はやる気持ちを抑えているようにも見えた。


「とは言え、前座は長すぎてもいかんな。本題に入ろう。諸君、この度の戦、長い間本当によく戦ってくれた。今宵は好きに飲食し、大いに騒ぎ、溜まった疲れを癒してもらいたい。それでは我等が公国の勝利と、それをもたらしてくれた女神に、乾杯!」

『乾杯!!』


 会場となった大広間に、グラスをぶつけ合う音があちらこちらで鳴り響き、途端に喧噪が渦巻いた。


 遊撃隊の面々はあっという間に公国兵に囲まれ、称えられては杯を交わしてゆく。


 酒を飲めない紅、カティア、アトレットが料理を漁りにテーブルへ向かうと、行く先々で感謝、あるいは尊敬の言葉と共にグラスが掲げられ、兵らの眩しい笑顔を向けられた。


「皆さんすごく嬉しそうですねー。よっぽど今まできつかったんでしょうかー」

「それはそうよ。第4軍と争いながら何ヶ月も要塞に篭りっぱなしだったらしいもの。開放的な気分になるのも理解できるわ」


 ようやくテーブルに辿り着いたところでアトレットが何気なく漏らすと、カティアがすかさず補足した。


「はて。放っておいても敵が攻め寄せてくれるならば、私にとっては願ったりなのですが」


 アトレットが取り分けたサラダの乗った皿を受け取りながら紅が首を傾げると、カティアは額に手をやりつつ嘆息した。


「隊長と一般兵を一緒にしないで下さい。普通は籠城戦だけでなく、戦争そのものが神経をすり減らすものなのですから」

「そういうものですか」


 紅はいまいち理解できぬままに食事をとっていると、人込みをかき分けてキールをはじめとした要塞の重鎮達が姿を現した。


「おお、ここにいたか。紅大尉相当。ご一緒しても構わないかね?」


 すでに赤ら顔のキールが、有無を言わせぬ勢いで近寄って来る。


「どうぞ」

「ありがたい。では失礼する」


 たちまち紅は重鎮達に取り囲まれ、カティアとアトレットは蚊帳の外へ追いやられた。


「ああ、本来なら敬語を使いたいところなのだが、兵の手前示しが付かないと部下に叱られてしまってな。無礼を承知で、平時の口調で通させてもらう。申し訳ない」

「お好きなように。特には気にしません」


 多くの兵の前で信仰を暴露したキールはばつが悪そうに申し出るが、紅の許可を得て深く安堵した様子だった。


「閣下のあの行動は驚きましたぞ。確かに紅大尉相当は敬意を払うべき戦功を上げましたが、中将ともあろう方が一傭兵に跪くなど前代未聞です」

「だが貴官らも彼女の力を見ただろう。第4軍を壊滅させた時、私の中で彼女は神となったのだ。こればかりは譲れん」


 グラスを空にして熱弁するキールに、側近らは苦笑するしかなかった。


「しかし、兵の中にも熱狂的なファン、あるいは信徒と言ってもいい存在が増えているのも事実。紅大尉相当の存在は、すでに我が軍の士気に関わる程になっているのは否めませんな」

「戦略的にも同じことが言えますね。悔しいことに、我が軍は帝国軍に比べてあまりに脆弱。その力関係を引っ繰り返してくれた紅大尉相当には感謝しかありません。閣下が入れ込むのも理解できます」

「そうだろう? 感謝。そう感謝だ。今日この場を設けたのも、貴官に向けて謝意を示したかったからなのだよ。楽しんで貰えれば幸いだ」

「はてさて。こうも酔っぱらいに絡まれている現状では難しいですね」


 人を囲んでおいて、好き勝手に発言する重鎮達を指して、紅はまとめてばっさり切り捨てた。


「ははは、これは手厳しい。確かにむさくるしい面子であるし、貴官にはつまらない話題だったかもしれん。ではお詫びとして、興味を引きそうな人物を紹介したいのだが、いかがかな」

「どういった方かによりますね」

「先の戦で西軍の守備を担い、戦車と重装騎兵隊を食い止めた精鋭部隊の隊長、と言えばどうだろうか」


 キールの説明を聞き、紅の表情がぱっと明るくなる。


「それはそれは。是非お会いしたいですね」


 戦車と渡り合える武力を備えているという事実は、見事に紅の琴線に触れた。


「そうこなくては。ではこちらへ」


 紅の返答に満足したキールは、早速その人物の居場所へと案内を始める。


 人込みを縫って大広間の隅へ向かうと、テーブルの一角を白い軍服で統一した一団が陣取っていた。

 よくよく見れば全員女性であり、酒を呑めども乱れることはなく、静かに過ごしているようだ。


「失礼。大尉殿はいるかね?」

「これは中将殿。私に何の御用でしょうか」


 キールが声をかけると、一際気品を放つ女性士官が立ち上がり、白金の短髪を揺らして歩み出た。


「大尉殿に紹介したい方をお連れしたのだ。紅大尉相当。彼女が件の相手、聖王国から借り受けた一角騎士団の隊長、ニーベル大尉殿だ」


 キールの背後より紅が顔を出すと、ニーベルと呼ばれた女性士官は驚愕の表情を浮かべる。


「……勝利の女神と呼ばれている方ですね。存じ上げております」


 しばし固まった後、ニーベルは緊張を伴った声を絞り出した。



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