四十三 愚物

「あんだとお?」


 脇から入り込んできた紅の言に、びしりと青筋を浮かべるユーゴー。


「これまでお会いした上官を名乗る方々は、皆様紳士的で部下への思いやりをお持ちでしたが。なるほど、珍種とはどこにもいるものなのですね」


 したり顔で微笑む紅を、ユーゴーはわなわなと震えながら睨みつけた。


「おう。大尉風情が生意気言ってくれるじゃねえか……」


 ユーゴーは空になった酒瓶を逆手に持ち替えると、ゆっくりと紅へ近寄っていく。


「そんなに懲罰を食らいてえか、よ!」

「少佐殿、いけません!」


 カティアの制止も聞かずに、ユーゴーが酒瓶を紅の頭を目掛けて振り下ろした。


 しかし紅へ届く前に酒瓶は斬り飛ばされ、敢え無く空振りに終わり、勢い余ったユーゴーは前方へつんのめった。

 そして紅と衝突しそうになった瞬間、その身が浮いて砦の壁へとしたたかに叩き付けられていた。


「う、げふ……!」


 呑んだ酒を口から逆流させながら、壁際にもたれかかったままずるずると崩れ落ちるユーゴー。


 その時、騒動を聞きつけて来たのか、砦内からきっちりと軍服を着込んだ将校が現れた。


「どうした、何事か!」

「これはエイベル大尉殿、良いところに!」


 ユーゴーの副官である男を見て、カティアが喜色を浮かべる。

 すかさず走り寄ってことの顛末を伝えると、エイベルは溜め息をついて遊撃隊に向き直った。


「まずは皆に不快な思いをさせたことを、少佐に代わって謝罪する。どうにも少佐は酒癖が悪くてな……」


 ユーゴーの部下とは思えぬ丁寧さで、頭まで下げて見せるエイベル。

 彼は上官とは違い、確かな常識を備えていた。


「紅大尉相当も、帰還早々すまなかった」

「あなたが謝ることではありません。お気になさらず」


 紅の元へ来て再び謝罪を口にするエイベルに、紅は軽く笑みを返した。


「もし次があれば斬るだけですので」

「そ、それは……少佐が正気に戻ったら伝えておこう」


 エイベルは口元を引きつらせて返答すると、ユーゴーに肩を貸して砦へ戻り始めた。


「……貴様ら……覚えておけよ……全員最前線送りにしてやる……」


 かろうじて意識の残っていたユーゴーが恨みがましく呟くが、


「ありがとうございます。それこそ我が本懐です」


 逆に優雅な一礼を送られ、呆気に取られた。


「ふん……後悔するなよ……!」


 それを最後にユーゴーはがくんと脱力する。


「気にしなくていい。どうせ明日には忘れている。貴官らも、待ち人が来たのなら早く休むことだ」


 エイベルは遊撃隊を気遣いつつ、苦労して樽のような大男を運び去って行った。


「軍とは不思議なものですね。あのような愚物ですら出世が出来るとは」


 辛辣な感想を漏らす紅の元に、隊員達がわっと押し寄せる。


「あの、隊長……ありがとうございました」

「いいえ。隊員を守るのは隊長の仕事だと、カティアから聞きましたから」


 紅が落ち着かせるようにカティアの背中を撫でて見せると、たちまち赤面するカティア。


「紅様ー、いつもながらかっこよかったですー!」

「いやー、またまた武勇伝が増えちまったな!」

「次は中佐も投げたら三階級制覇だぜ!」

「女神こそ正義……悪漢には決して屈さない……」

「女神こそ正道……誰も咎めることなかれ……」

「おい、なんか信者が増えてるぞ……」


 ざわざわと熱狂が途切れない遊撃隊に向けて、門の見張りが声をかける。


「おーい。エイベル大尉も仰ってたが、さっさと休んでくれないか。気持ちはわかるが、うるさくて見張りに集中できないんだよ」

「これは失礼しました。すぐに撤収しますね」


 カティアが慌てて謝罪をすると、見張りの兵はにかっと歯を見せた。


「いや、こちらこそいいものを見せて貰った。少佐が投げられたのはすかっとしたよ」


 どうやらユーゴーは砦の部下からも嫌われているらしい。


「それは何より。では皆様。お言葉に甘えて休みましょう」

「はい。お部屋にご案内します」


 紅の手を取ったカティアは眩い笑顔を浮かべていた。

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