八十六 鎮魂と選択

「総員、第3重装歩兵隊へ敬礼」


 グルーフ要塞中央階層に設置した指令本部にて、窓から外の様子を伺っていたガスコール中将の命令の元、爆炎に呑まれた兵達に向けてその場の全員が沈痛な面持ちで敬礼を取った。


 彼らはただで殺されてはなるものかと、自ら特攻を志願した者達であり、完璧に作戦を遂行して見せたのだ。

 司令官としては断腸の思いであるが、その散り際はこの上なく見事であり、誇り高い帝国軍人のかがみとも言えた。


 そんな彼らの偉業を決して忘れることのないよう瞳に焼き付けるべく、業火を見下ろしたガスコールの目が、かっと大きく見開かれた。


 炎の海の一部に、不自然にぽっかりと燃焼していない空白地帯を発見したのだ。


 その円の内に佇むのは黒衣の少女。


 そして次の瞬間には突風が吹き抜けたかのように、荒れ狂う猛火が綺麗さっぱり吹き消されていた。


 周囲には黒焦げとなった兵の死骸が散乱し、ガスコールは思わずぎりりと歯噛みする。


 考え得るのは、着火する寸前で自分の頭上の火矢を斬り払って難を逃れた、というところか。


 その後は、先にも見せた恐るべき剣風で鎮火したのだろう。


 何にせよ、少女の戦闘力は想像を遥かに上回っていた。

 重装歩兵隊の捨身の特攻は空振りに終わり、何の成果もあげられなかったという事実を突き付けられたのだった。


 流石のガスコールも呆然と少女を見詰めるしかなかったが、ふとその視線に気付いたかのように少女は顔を上げ、あまつさえこちらへ向けてひらひらと手を振って見せたではないか。


「くっ……!」


 思わず後ずさったガスコールを見て、クレベール少佐が声をかける。


「閣下。いかがなさいましたか」

「作戦は失敗だ。しかも奴がこちらに気付いた。いや。この際それは良い。被害状況報せ」


 一瞬感じた恐怖と屈辱を鋼の意志でねじ伏せ、ガスコールは素早く指示を下した。


 部下を捨て駒にするという禁じ手を用いてもなお敵は健在なのだ。己の感情など後回しにして、次の手を打たねばならない。


「……は。只今入っている情報では、屋上が半壊。各兵器及び射撃班の消滅を確認。先発した戦車隊、重装騎兵隊の全滅。歩兵隊の3割を損耗、となっております」


 同じく動揺を無理矢理抑えたクレベールがまとめた情報を淡々と読み上げると、ガスコールは小さく息を吐いた。


「この分では外に建てた防護柵は役に立たんな。引き続き重装歩兵隊を投入しつつ、要塞内の守備を固めよ」

「は!」


 ガスコールの指示を持って伝令達が散って行く。


「まさかこれほどの攻撃力を持っているとはな。やはり実際に見てみなければ分からんものだ。ゴルトーが破れたのも頷ける」

「はい。籠城を選んでいたら、要塞を崩壊させて一息に生き埋めにされていたかも知れません」

「そこが今一つせんのだ」


 クレベールの言に、ガスコールは顎に手をやって唸った。


「あれほどの攻撃力がありながら、何故一気に落としに来ない? 貴官の発言通り、要塞を斬り崩せばすぐにも蹴りが付こう。仮に、後々公国軍が利用するために要塞への損害を最小限にしようとしているとしてもだ。ミザール原野を一日足らずで横断する脚力すら持つのだぞ。要塞への侵入など造作もなかろう。それこそ私を発見した時点で、即刻首を取りに来てもおかしくはないだろうに」


 ガスコールが疑問を呈すと、クレベールも一時の間を置いて思考に耽る。


「……奴は第4軍との交戦時には、あれほど広範囲の攻撃を見せませんでした。そして大将首……ゴルトー少将を討ち取った後、降伏勧告もせずに駐屯地へ攻め込み、虐殺の限りを尽くしています。推察するに、大軍をじっくりなぶるのが奴の嗜好なのではないでしょうか」


 多分に私怨も混じった意見だろうが、それを聞いてガスコールは閃くものがあった。


「確かアレスト少将の報告にも似たような話があったな。奴は大将首を差し出しても、部下の命を救う理由にはならないと言い放ったと。つまりは初めから捕虜を認めず、皆殺しにすることしか考えていないという訳だ。実に悪魔らしい」

「こちらが増援を呼んでいる可能性もあると言うのに、悠長に構えているのは、それさえも打ち破る自信があるからなのでしょう」

「我が軍も舐められたものだ。しかし腹立たしいことに、奴の異常なまでの強さは認めざるを得ん。侮っていた訳ではないが、それでも大分見積もりが甘かった。私の首も担保にならんのでは、こちらを全滅させるまで奴は止まらないのだろう」


 ガスコールはそう言い捨てた後、一しきり思考を巡らせる。


 救援要請は出したものの、本国に届くまで数日を要する。援軍が来るまであの少女の猛攻に耐え得るかははなはだ疑問であった。


 そもそも並の兵を数だけ揃えても敵わないことは、今目の前で見せ付けられたばかり。対抗できそうな者は三騎将くらいしか思いつかず、それこそ現在配置を動かせないだろうことはよく理解している。


 最早絶望的状況と言うしかなかった。


 ガスコールは意を決すると、クレベールへ視線を送った。


「少佐。特命を与える」

「は。いかなるものでしょうか」

「貴官に非戦闘員と6万の兵を預ける。ただちに裏門からアッシュブールへ後退せよ」


 アッシュブールとは、グルーフ要塞の北に位置する城塞都市である。元公国領の最北に位置する商業都市であり、現在は帝国の占領下にある流通の要だった。


「何を仰るのですか!」


 流石のクレベールも、突然の命令に戸惑いの声を上げた。


「要塞を明け渡す気はないが、兵を全て無駄死にさせる気もない。その折衷案せっちゅうあんだ。貴官は兵を連れ本国へ戻れ。そして参謀本部に再度悪魔の危険性を説いて、全力で叩き潰すことを進言しろ」

「承服しかねます。また私に逃げろと仰るのですか!?」


 声を荒げるクレベールに、ガスコールは冷静に返す。


「逃げるのではない。兵を生かして帰還することも将の務めと知れ」

「ならば閣下もご一緒に……!」

「司令官がいなければ誰が指揮を執るのだ。私に責任を放棄させるな」


 ガスコールは敢えて冷たい物言いをした後、懐から何やら取り出し、クレベールの手に握らせた。


「これは……?」

「開発部から押し付けられた試作品だ。威力は保証する。護身用に持っていけ。ゴルトーも、貴官の死など望まないだろう。貴官の命はすでに貴官だけのものではない。第4軍の無念を晴らさんとするならば、やけにならずに機を待て」

「閣下の死こそ、誰も望まないでしょう」

「そう簡単に死ぬつもりはないが、死に場所を選ぶのは上官の特権だ。貴官は貴官の役割を果たせ。それは決して、ここで犬死にすることではない。理解したなら行け」


 クレベールは渡されたものを強く握り締め、しばし俯いていたが、やがて決意に満ちた表情で顔を上げた。


「……特命、しかと拝領致しました。ご武運をお祈り致します」

「うむ。互いに命があればまた会おう」


 背筋を伸ばし敬礼を交わすと、クレベールは毅然とした様子を取り戻して司令本部を後にした。


「さて……悪魔退治か。骨が折れそうだな」


 それを見送り、壁にかかっていたサーベルを手にして腰に下げながら、ガスコールは不敵な笑みを浮かべた。

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