四十九 帰還

 ルバルト平野の帝国野営地と、移動中だった増援部隊を全滅させた紅がベイル砦へ戻ったのは、単身出撃してから二日後の早朝であった。


 一人で走れば日帰りで済んでいたが、何しろ手土産として戦車を持ち帰ったのだ。馬にそれほどの無理はさせられず、ゆっくりと帰って来たのだった。


 砦の風呂を借り、一息ついてから中庭へ向かうと、遊撃隊の中でも馬車に詳しい面子が集まって戦車の構造を調べていた。


「おっと、隊長。お疲れ様です。見学ですか?」


 紅に気付いた隊員が声をかけてくるのに頷き、問いを返す。


「具合はいかがでしょう。扱えそうですか?」

「それはもう。この戦車の整備班は几帳面だったようで、わざわざ車内に仕様書を残していてくれましたからね。見た目はごついですが、作り自体は単純なので、我々にも操縦はできそうです」

「それは重畳ちょうじょう。もし遊撃隊として戦場に出ることがあれば、大いに役立ててもらいましょう」

「へっへっへ。そりゃ楽しみですねえ」


 紅と笑い合うと、作業に戻った隊員の後ろで、別の隊員達が話し始める。


「いやあ、一人で飛び出したと思ったら、まさかこんなものをお持ち帰りしてくるとはなあ」

「……女神は凡人の予想を常に上回る……」

「こんなものをぽんぽん作っちまうんだから、帝国が強いのは納得だよな」

「なーに。次は自分達でこいつの性能を味わってもらおうじゃねえの。大軍に突っ込んだらさぞ気持ちがいいだろうぜ」

「ただ、部品が帝国の規格だから、下手に壊すと直せないのがネックだがな。あまり無理はできないぞ」

「ああ、でもよ。基礎の設計は分かったんだし、参謀本部に資料を送れば、似たようなものを研究開発してくれるんじゃないか?」

「どうだろうな。帝国産の上質な鉄鋼あってのものだろうし、再現は難しいと思うが」


 段々と話が専門的な方向へ逸れて行くのを感じ、紅はその場を後にしようとしたが、そこへ豪放な声が響いてきた。


「おう、遊撃隊諸君! 励んどるな。結構結構!」


 兵舎から出て来たのだろう、ユーゴー少佐がエイベル大尉を伴って近寄って来ていた。


 今は酒が完全に抜けているようで、ユーゴーは屈託のない笑みを浮かべている。


「おはよう、紅大尉相当。独断専行とは言え、単独任務ご苦労だった」

「いいえ。最も手っ取り早い方法を選んだまでです」


 先日とはまるで物腰の違うユーゴーに、紅は笑顔で応じた。確かに平時は人当たりが良いようだ。


「いやいや。言うはやすしだぞ。まさか本当にたった一人で、2万の軍勢を全滅させてくるとは思わなかった。この土産が無ければ笑い飛ばしただろうな」


 戦車を見上げてにやりと口角を上げるユーゴー。


「まったく、先日の自分を殴り飛ばしてやりたいくらいだ。とんでもない相手に喧嘩を売ったのだ、とな。その節は失礼なことをした」


 目覚めてからことの顛末をエイベルから聞いたのだろう。ユーゴーは己の頭を殴る素振りを見せてから、紅に謝罪した。


「構いません。ただ、今後は呑む量を加減なさった方がよろしいかと」

「ああ、気を付けよう。貴官に斬られないためにもな」


 エイベルは脅し文句まで律儀に伝えたらしい。ユーゴーはにっと歯を見せて頷いた。


「ところで今後についてだが。エイベル大尉」

「は」


 ユーゴーに促され、側に控えていたエイベルが一歩前に出ると、資料を片手に説明を始めた。


「貴官が出撃中に、参謀本部から連絡があったのだ。内容は二つのプランが提示されていた。もし貴官が戻らねば、本来行う予定だった砦を用いての防衛戦に備えること。そして戻った場合は、ワーレン要塞との合同作戦に移行するというものだ。まあ、参謀本部は初めから紅大尉相当は戻ると予測していたようだが」

「信頼頂けているようで何よりです」


 エイベルの話を聞いて微笑む紅だが、ふと疑問が浮かび、こてりと首を傾げた。


「はて。そう言えば。要塞の西側も交戦予定ではありませんでしたか」

「その通り。現在すでに戦端が開かれているが、聖王国の助力もあって我が方が優勢。そう時間をかけずに帝国撃退に成功するだろうとの見通しだ」

「その暁には、我等砦の守備隊の総力を挙げてルバルト平野に進出し、東西から帝国第4軍を包囲。ワーレン要塞の主力部隊と合同作戦を行う、という筋書きだ」


 エイベルの横からユーゴーが割り込み、話の最後を締めた。


「なるほど。いよいよ反撃に移るのですね」

「うむ。だが西側の戦況は有利とは言え、収束するには今しばし時間を要するだろう。その間は休養期間とし、しっかり英気を養っておいてもらいたい」

「私も西側へ向かってもよいのですが。助力下さった方々の面子を潰しかねませんね。大人しく休むと致しましょう」

「貴官、まだ戦い足りないのか」


 ユーゴーが呆れた声を出すと、紅は当然のように頷いた。


「戦こそ我が生き甲斐ですので」

「ふはは! 頼もしいやら、恐ろしいやら。貴官が味方であって、心の底から良かったと思うぞ」


 突き出た腹を揺らして笑うユーゴーの言葉は、その場の全員の共通認識であった。


 そこへ砦の通用口から入って来たカティアとアトレットが、紅を目聡く見つけて駆け寄って来た。


「紅様ー! もうお風呂から上がってたんですねー」

「もう、アトレット! 挨拶が先でしょう! ユーゴー少佐殿、おはようございます」

「おはようございまーす!」


 早速紅に抱き着くアトレットをたしなめ、二人揃って敬礼すると、ユーゴーもにこやかに敬礼を返して見せた。


「うむ、おはよう。貴官らも朝から元気でよろしい」

「えへへー。紅様がいればいつでも元気いっぱいでーす!」

「こら、馴れ馴れしくしない!」


 浮かれるアトレットの口をカティアが塞ぐも、ユーゴーは笑い飛ばした。


「ふはは! このくらい構わん。では遊撃隊諸君、邪魔したな。次の作戦ではよろしく頼むぞ」

「失礼する」


 ユーゴーが手を振って踵を返すと、エイベルも会釈をしてからその後を追った。


「いやあ、最初が嘘みたいに丸くなっちゃいましたねー」

「きっとあれが素なのよ。お酒って怖いわね」


 ユーゴーの豹変ぶりを見て言い合う二人から、紅はふと良い香りが漂って来るのを感じ取った。


「はて。ところで、お二人は何のために外へ?」

「あ、忘れるところでした! 紅様もこれから朝食でしょう? デザート用に果物を採って来たんですよー」

「この付近に群生地があるのをアトレットが見付けまして。バナナと言う、大陸南方特有のものなのですが。甘くて美味しいですよ」


二人して手に持った籠を差し出し、黄色い皮の果実を見せる。


「それは楽しみですね。皆様も、朝早くから根を詰めていたでしょう。一緒に食堂へ参りませんか」


 戦車をいじっていた隊員らに声をかけると、賛同の声が上がり、たちまち紅の後方に列が出来た。


 こうして賑やかに食堂へ向かうかたわら、紅の心中で、師以外に帰りを待つ者がいるのも悪くないという思いが芽生えつつあった。


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