28項目 アイドルを盗んだ男


「おっはよ〜、周くんっ!! 」



 教室に入るなり、『待ってました』と言わんばかりに駆け寄って来たのは、我が親友だった。



 朱夏ら白雪姫のメインキャスト達が、教室のど真ん中で打ち合わせをしているのも気にせずに。



 なんにせよ、突然に起きた、有り得ない展開を前に、クラスメイト達は完全に困惑している様子だった。



 だってさ……。



 まるで、告白を"宣言"する様に、フルスロットルな宝穣さんは、俺との距離感を完全に間違えているからだ。



 ソーシャルディスタンスなどと言う概念とは程遠い、手を広げれば抱きしめられる程に、近づいている。



 ……同時に、綺麗に束ねられたボルドー色の髪から漂う柑橘系の香りが、脳をくすぐる。



 そこに、上目遣いで俺を見つめる翠緑の潤んだ瞳は、まるで『好きだよ』と何度も訴えかけている様にも思えた。



「お、おはよ……」



 思わず飲み込まれそうになった気持ちを抑えて、俺は目を逸らしたまま慌てて距離を取った。



 すると、周囲からはこんな声。



「……えっ? なになに? 元々仲良かったのは知っているけど、なんであんなに距離近いの? 」

「ホント、訳が分からん。畜生、羨ま悔しいわ! 」

「ブボボボボ〜! コレでは、小原氏はまるで、ラブコメの"主人公"ではござらぬか〜」



 既に、皆は疑惑の目を向ける。



 その視線に耐えかねて、俺は「じ、じゃあ、今日の数学の宿題がまだ終わっていないから、またねっ! 」と、苦笑いを浮かべながら足早に自席へと足を進めるのであった。



「もしアレなら、昨日終わらせたあたしの写す? 」



 と、優しい"アメ"をぶら下げて来た彼女から逃れる様に。



 ……まさか、こんなにも早く"告白宣言"を行動に移してくるとは。



 俺は、そんな宝穣さんの行動力の速さに感心しながら高鳴る胸を抑え、邪念を捨てる様に教科書を開いた。



 ……この空気感は想定を超えている。



 それに、駆流の存在。



 きっと、哀しい顔をしているに違いない。



 ……だが、ここで執拗に動向を確認してしまっては、俺が彼の"慕う相手"に気がついている事がバレてしまう。



 故に、今はただ、ジーッと目線を伏せて耐えるのが最善と判断するのだ。



 ……しかし、宝穣さんの攻撃の手は、緩まない。



「そこの問題、難しかったよね〜。あたし、そこまで勉強が得意ではないから、計算するのに凄く苦労したよ〜。……あっ、もし良かったら、今度二人で勉強会をしようよっ! 」



 気がつけば、前の席を陣取って、椅子の背もたれを抱え込みながら眼前に現れた。やはり、良い匂いがする。



「そ、そうだねっ! アハハハハ〜」



 あまりの驚きから、おかしなテンションで返答してしまった。



 ……やばい、この状況、どうすれば良いんだよ。



 俺は、彼女との"交際"を悩む以前に、昨日までと変わり果てたクラスでの現状を打破することの方に意識を集中させてしまっていた。



 最中、助ける様な目で、朱夏を見つめた。



 ……すると、彼女は目が合うと同時に、何故か嬉しそうにニコニコしている。



 まるで、『親友と仲良しなのね。良い事じゃない』とでも言わんばかりに。



 いやいや、そこの鈍感、察してくれよっ!!



 昨日、『俺の中で答えを見つけなきゃいけない』とかカッコいい事を胸の中で決意しておいて早速になってしまうが、この現状を見て、何も思わないのかっ!! 同居人よっ!!



 ……も、もう、どうしたら良いんだよっ!!



 俺はそう思うと、一旦、状況を整理するべきと判断した結果、「や、やばい、漏れそうだっ! 」と、女子に伝えるには"最悪"の言い訳を苦し紛れに伝えて、教室から出て行くのであった。



 ……俺は、見誤っていた。



 覚悟を決めた女の子のアクティブさを。



*********



 急ぎ足で男子トイレの個室に入ると、まずは呼吸を整える。



「はあはあ……。まさか、あそこまで積極的に来るとは……」



 小さな声でそう零すと、少しだけ冷静になって来た。



 ……マジで、俺の何が良いんだ?



 あまりにも初歩的な考えが、脳内をグルグルと駆け巡る。



 正直、宝穣さんレベルの女の子ならば、俺なんかよりも、ずっとずっと上の"リア充"と付き合える筈。



 例えば、憎きリア充、"池谷 輝男"とかね。



 むしろ、こんなヒョロガリよりも、バリバリの体育会系とお付き合いした方が、ずっと似合っていると言うのに。



 それを象徴する様に、先程のクラスメイトの反応。



 明らかに、怪訝な表情を浮かべていた。



 確かに、コンボ技を決めまくる彼女のアプローチに、心が「ピクッ」としたのは、確かだよ? そりゃ、宝穣さん、めっちゃ可愛いもん。



 近づかれた時には、一瞬だけ理性を失いかけたし。



 ……でも、やはり、俺のメンタルは弱い。



 たったの十数分程度の接触にすら、照れから爆発しそうになってしまった。



 せっかく彼女が勇気を出して"告白"をしてくれたって言うのに、真摯にその"結論"を出す為のコミュニケーションすら取れないでいる。



 そんなもの、決して許されないだろう。



 そう自問自答を繰り返すと、自分の不甲斐なさに情けなさを感じた。



「……だせえな、俺は……」



 今の俺の態度や思考は、誰の事も裏切っている様に思えた。



 駆流と、宝穣さん、二人の気持ち両方に。



 本当に、このままで良いのか?



 いや、ダメだろ。



 でも、まともに接するとしても、周囲の目が……。



 そんな葛藤の最中、俺はこんな言葉を漏らした。



「……マジで、これから、どうすれば良いんだ」



 半年前ではあり得なかった"青春"という高すぎる壁を目の前に、悩みは増幅していくのであった。



 ――すると、その時だった。



「コンコン」



 俺の入る個室の扉の外から、ノック音が聞こえる。



 ……いきなり、どうした? ここは、聖域。つまり、宝穣さんが呼び出しに来ることはありえない。



 それに、入室時、別のトイレも空いているのは、確認済み。



 ならば、もしかしたら、早速、嫉妬に燃えた"クラスメイト"からの復讐の可能性も……。



 そう思うと、俺はビクビクしながら臨戦体制に入った。



 いや、逃げる準備を始めた。



 ……やばい、この包囲を、如何なる形で切り抜ければ良いのだろうか。



 ラノベの知識を思い出せ。



 数多の戦記に目を通して来たじゃないか。



 例えば、【スポイト・ファミリア】の作中にて、敵スパイから逃げ出す際の所作など。



 あの作品では、ビルの片隅に追い詰められて物陰に隠れた主人公が、わざと正面から足元に数発の銃声を鳴らして、その隙に脱走したんだっけ。



 そうだよ。



 流石に拳銃みたいな"代物"は持ち合わせていないが、とにかく、いきなり相手を驚かせる作戦が最も逃げられる可能性が高い。



 ……やばっ。ちびりそう。トイレにいるのに。



 しかし、そうするしか、方法は……。



 俺は、数センチの壁の先にいる"敵"を目の前に、覚悟を決めた。



 そして、扉を勢いよく開ける準備を始めたのであった。



 ……絶対に、逃げてやる。結局、教室で捕まるかもしれないが……。



 ――しかし、その矢先だった。



「おい、周。いるんだろ? オレだよ、オレ。駆流だよ」



 ……思わぬ声に、俺の動きは止まる。



「お、おう。どうした? 」



 すっかり危機を回避した事を確認すると、個室の中からそう返答。



 すると、彼は、こんな事を告げた。



「あの……。少し、話があるんだが。申し訳ないが、放課後に二人で話せるか? 」


 想定外に現れた駆流の提案を前に、俺は彼の"本題"が何かをすぐに察した。



 きっと、"今ある現実"についてだと。



 今朝からずっと、自分の事に精一杯になっていたが故、彼の姿を見る事ができなかった。



 しかし、間違いなく、俺と宝穣さんとの間に起きた、教室での"変化"を眺めていない訳がない。



 だからこそ、俺は緊張した。



 小さい頃からずっと、仲が良かったはずの彼にも関わらず……。



 でも、ここで駆流の提案を拒否してしまったら、それこそ、もう二度と修復する事が不可能な"溝"が生まれてしまうだろう。



 それで、良いのか? 後悔はないか?



 いや、大いにある。臆病になるなよ、俺。



 もうこれ以上、大切な人を裏切るな。



 ここまで来てしまったら、正直に伝えるしかないじゃないか。



 たとえ、その結果、彼が"失恋"の現実を知ってしまったとしても……。



 そう結論付けると、俺はゆっくりと個室の扉を開けた。



「分かった。俺もお前に伝えたい事がある」



 真剣な口調でそう伝えると、彼は真顔で頷いた。


「すまんな……」



 こうして、俺と幼馴染、二人っきりでの話し合いの約束は成されたのであった。



 ……激しい罪悪感と共に。

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