14項目 弱い奴ほどよく悩む


 週末が過ぎ、梅雨の雨が街をどんよりとさせる月曜日を、俺は何とか乗り切った。



 ……心ここにあらずの状態で。



 あの古書の存在は、想像以上に自身を混乱させていたのだ。



 ここまで過ごしてきた朱夏との約3ヶ月の期間が、選択肢に迷いを与える。



 果たして、元の世界への戻り方を、調べるべきなのだろうかと。



 ヒントがあのアンティークショップにある事は、明確。



 もし、店主にリサーチをかければ、何らかのヒントが返ってくる可能性はある。



 ……だが、答えを知るのが怖いと思う自分もいるのだ。

 


 故に、結局、答えが見つけ出せないまま、朱夏や学校の仲間には、いつも通り振る舞っている。


 朝一番で、叔父にプレゼントする為に買った、例のマトリョーシカも渡した。


 もちろん、「叔父さんは、嬉しいよぉ〜」とか、号泣して喜んでいたが……。



 なんにせよ、この2日間は何とか空元気で凌いだのだ。



 誰にも気がつかれなかった事にホッと胸を撫で下ろす。


 それから、相変わらずクラスメイト達と楽しく過ごす彼女を横目に、逃げる様に帰宅の途に就いたのであった。



『すまん、今日は16時からの特売があるから部室には行かないわ』



 朱夏にそうメッセージを送った後で。


 そんな葛藤の中、ジメジメとした気持ちで傘を差すと、ひとりで校舎から離れるのであった。



 ――自宅に戻ると、ソファの上に寝そべる。



 朱夏は、言わば、異世界人。



 本来、この世に居てはいけない存在。

 だが、彼女は、この世界の生活に充実感を覚えている。



 そんな対比が、余計に思考に混乱を招く。考えてみれば、昨晩からずっと同じ事を考えているのだ。



「俺は、一体、どうしたらいいんだ……」



 思わず、ぼーっと本心を漏らす。



 次第にどんよりとした雰囲気が部屋全体を支配する。



 ……その時、俺のスマホが鳴った。



 なんだ。さっき朱夏に送った返事か。



 そう思ってスリープモードを解除すると……。



『おつかれさま! もしかして、周くん、何かに悩んでたりする? 』


 送り主は、宝穣さんだった。



 俺は、今日一日、心労であることを誰にもバレない様に過ごしていた筈。


 オタク三銃士のしつこいアニメ談義にも、クラスメイトからの愛のあるイジリにも。



 なにより、悩みの種である朱夏にさえも……。



 だが、そんな隠し事は、宝穣さんの"勘の鋭さ"によって、いとも簡単に暴かれてしまったのだ。



 ……なんで分かるんだよ。



 そう思うと、俺は自分の気持ちを押し込めて、いつも通りのメッセージを送った。



『何もないよ。むしろ、元気な方かな〜』



 人生初の絵文字を駆使して送信。


 最近、宝穣さんとは数日に一回やり取りをする仲だから、これくらい普通と思って。



 ……にしても、彼女は本当に、いい人だ。



 だって、こんな俺の些細な変化すらも心配してくれるのだから。

 何もない陰キャにすら平等に接してくれる訳だし。



 そう思って、スマホをテーブルに置くと、すぐに連絡が来た。



『やっぱり、悩んでるんじゃん。体育祭の時、周くんに助けられた恩を忘れてないんだよ。だから、今度はあたしの番なのっ! 』


  

 ……何故、見抜いた。俺は今、何もおかしな行動を取っていないはず。



 にも関わらず、この短いやり取りで、どうしてこの"やるせない気持ち"を理解したのだ。



 ……あの子、実はエスパーなのか?



 妙な疑惑が脳裏を掠めると、俺は『ホント、平気だよ』と、素っ気なく送る。



 ……だが、彼女はそれを許さなかった。



『絶対にダメ。悩みっていうのは人をダメにする事を、あたしは"良く知っている"から。だから、明日の放課後、スポーツセンターに来て』



 唐突な誘いに、思わず起き上がる。



 ……マジで?



 しかし、そんな俺の動揺など知る由もなく、宝穣さんはこう追記をしたのだ。



『悩んでる時は、スポーツだよっ! 別に、話したくないならそれでも良い。とりあえず、身体を動かして元気になろうねっ! 待ってるから! 』



 ……結局、強引に押し切られた彼女からの提案を、力及ばず受け入れる事になってしまったのであった。



 ……俺は、情けない人間だよ。



 すると、自分の不甲斐なさにしばらく呆然としている間に、ずぶ濡れの朱夏が自宅に帰ってきた。



「アッハハ〜! 傘忘れちゃったから、ずいぶん濡れちゃった! こーゆー時は、女の子に差し出さないとモテないわよ! 」



 夏服のワイシャツから下着が見えた状態で、大人げなくはしゃぐ。



「は、早く風呂入ってこい!! 」



 突然露わになった淡いピンクの"それ"から慌てて目を逸らし動揺する俺に、朱夏は冷静になって自分の身体を見つめる。



「……なにが……」



 すると、自分があられもない姿である事を理解したのか、顔を真っ赤にして俺の腹に一発蹴りを入れた。



「何を見てんのよ、この変態っ!! 」



「ぐ、グエっ!!!! 」



 思いっきり吹き飛ばされた。



 続けて、慎ましやかな胸を隠しながら俺を睨みつけた状態で、狭い浴室へと向かって行ったのである。



 ……い、痛ぇ。



 外傷を受けた腹部を押さえながら、俺は朱夏が"居なくなった日々"を一瞬だけ想像してしまったのだった。



 すっかり普通になってしまったこの生活を、捨てられるのだろうかと。



*********



 降雨季節の中、珍しく太陽が顔を出した放課後、俺は宝穣さんの指示通り、ジャージに着替えてスポーツセンターにやって来た。



 体育の時間以外で、この"芋くさいジャージ"を着るのは、初めてだ。



 ……いや、ちょっと待て?



 こんな格好で彼女に会ったら、キモがられるんじゃないか?



 普段のみんなは、各々で購入したジャージを、オシャレに着こなしているし。



 ……この前、朱夏と買い物に行った時、選んでおけば良かった。



 ……そういえば、朱夏といえば……。



 考えている間に、結局、"あの古書"が再び俺を悩ませた。



 ……その時、宝穣さんは俺の肩を叩く。



「あ、あの。大丈夫……? 」



 一瞬、ビクッとしながら慌てて振り返る。



 すると、そこにはすっかり有名スポーツメーカーのジャージに着替えた彼女は、苦笑いを浮かべていた。



「ご、ごめんっ! な、なんでもないよ! 」



 取り繕う様に作り笑いで返答すると、宝穣さんは宥める様な表情を浮かべた。



「良いんだよ、気にしないで。……それよりも、行こっか! 」



 彼女はそう促すと、持ってきていたバレーボールを取り出す。



 続けて、卓球を楽しむ数名の老人に挨拶をした後で、施設内の体育館の端を確保したのであった。



 ……体制が整った所で、何となくトスを始める。



 宝穣さんは、流石、バレー部といった感じで、全て俺の返しやすい場所にボールをトスして来る。



 俺も、コントロールにだけは自信がある為、同じく胸に正確なパスを出す。



 そんな中、彼女はこんな言葉を俺に投げかけた。



「……あのね、昨日と今日の周くん、いつもよりも浮かない顔をしている気がしていたんだ」



 早速、図星を突かれる。



 だが、それよりも、この学園のアイドルがどれだけ俺を見ているんだと勘違いをさせられる。



 ……まあ、持ち前の優しさだとは思うが。



 そういう気の利いた所こそが、彼女が人気者である理由なのだろうし。



 ただ、もう既に悩みがある事を気づかれている以上、気持ちを隠しても仕方がないと悟った。



「それは事実だよ。理由は言えないけど……」



 そう返事をする。



 すると、宝穣さんはレシーブでボールを返すと、小さく頷いた。



「全然良いよ。誰にだって言いたくない悩みはあるものだし。……だけど、今、苦しんでいる事を誰かが分かっている。それだけでも、少しくらいは気が晴れない? 」


 ニコッと笑いながら言った彼女の言葉を呑み込むと、確かに、ほんの少しだけ落ち着きが戻った気がした。


「そ、そうかもしれない。それに、たまには運動って言うのも悪くないかもね」



 俺が頷くのを見ると、宝穣さんはボールをキャッチした。



「うんうん。君も、スポーツの素晴らしさが分かったみたいだね」



 そこから、彼女はまるで俺の気持ちを察しているかの様に、切ない顔をした。



「……実は、去年のこの時期、あたしはとっても悩んでいたんだ」

 


 様子が変わった事に動揺しつつも、俺は彼女に目を合わせて、じっくりと耳を傾けた。



「そうだったんだね」


「あたし、子供の頃からバレーボールが大好きで、今もこうして続けているんだけど、入部した時、監督にこんな事を言われたの。『お前は、身長が足りないから前衛を諦めろ』ってね」



 唐突に繰り出された過去の"悩み"を聞くと、こんなピカピカな学園生活を送っている彼女に苦悩などないと思い込んでいた自分に反省をした。



「……でも、そのポジションに誇りを持っていたし、どうしても諦めたくなかった。でも、現実的に難しい。そんな時、"ある事"がキッカケで、自分が信じた道を進み続けるって決意したの! 結果、こうしてレギュラーを掴み取ったんだ」



 ジーッとボールを見つめながらそう告げる宝穣さんの瞳は、自信に満ち溢れていて、とても頼もしく見えた。



 それから、何も言えずに黙り込む俺に視線を移すと、ゆっくりと口を開いたのだ。



「……だから、周くんも、自分の思う通りにやれば良いと思うよっ! あたしは、元気なキミが"好きだから"っ!! 」



 ……唐突に放たれた"好き"という言葉に、思わず頬を赤らめる。



 だが、その好きは元気づける為の"魔法"である事をすぐに理解した。



 それよりも……。



 今、宝穣さんから貰ったアドバイスが胸に浸透するたびに、"悩み"が溶けていくのを感じた。



 ……俺は、これから、朱夏をどうするつもりか?



 いや、そんな事、今はどうでも良いじゃないか。



 今、彼女はこの世界を楽しんでいるという事実がある以上は。



 だったら、すぐに"答え"を出す必要なんか何処にもない。



 ここにある時間を大切にしてくれているんだから。



 飽くまでも、俺はその"サポート"をする立場。



 それなら、一回、この悩みは後回しにさせて貰おう。


 この前みたいな、葛藤を抱きながらの先延ばしではなく、"前向きな気持ち"で。



 そう決めると、俺の気持ちはスッキリと晴れた、気がした。



「ありがとう。なんか、元気出たよ」


 小さく微笑みながらそう告げると、宝穣さんは「うんうんっ! 」と頷いた。



「そうだよっ! キミはもっと自分に自信を持つべきっ! 」



 結局、俺は彼女のおかげで立ち直れることが出来た。



 ……悩む前に、とことんアイツに付き合ってやろうという結論を携えて。


 


 そうと決まれば、立ち直らせてくれた宝穣さんに、何かお返しをしたい。


 

 ……そう思った時、ある事を思い出した。



「じゃあ、お礼にこれから時間がある時は、"自主練"を手伝うよ」



 そんな提案に、宝穣さんはキョトンとした。



 ……俺は、知っている。



 彼女がバレー部の練習が終わった後、一人で努力を続けている事を。

 どうしても捨てられなかった"プライド"を貫いて、レギュラーを掴み取ったのも、今聞いた。



 それならば、力になりたい。



 すると、俺の提案を呑み込んだ彼女は、笑いながらこんな事を口にしたのだ。



「あっはは〜。そういえば、周くんは前にあたしの"ストーカー"をしていたから知ってるんだよね」



 ……心外な発言に、過去の古傷が痛む。



「そ、それは……」



 ……だが、そんな風に痛い所を突かれた俺とは裏腹に、彼女は"お礼"を受け取ってくれたのであった。



「……じゃあ、付き合ってもらおうかな。周くん、トスも上手いしね」



 そう呟く宝穣さんが喜んでいる様に見えたのは、勘違いかもしれない。



 何にせよ、こうして、俺の気持ちは晴れた。

 


 同時に、朱夏に感じている"気まずさ"から解放されて安心をした。



 ……いつか、いつの日か、向き合わなくてはいけない"未来"を一旦、忘れる形で。

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