15項目 君は意外と強く怒る
私の名前は、忍冬朱夏。
ひょんな事から、元いた世界から日本にやって来た、言わば、"異世界人"だ。
今は、運良く転移した先に住んでいた"同い年"の男子と一緒に住んでいる。
彼が"ヘタレ"で"ぼっち"だったおかげで、特に身の危険を感じる事もない。
それどころか、学校にまで通わせてもらっているのだから、文句など付けようもない生活を送れているのだ。
……後、彼には仮初の自分ではなく、素で居られるから気楽。
ファッションが絶望的にダサい所とか、気の弱い部分に、いつもイラッとするんだけど……。
まあ、何にせよ、私は幸せだ。
だって、この世界で"自由"を手に入れる事が出来たわけだし。
そう思うと、私は"猫を被った状態"の教室から離れて、いつも通り文芸部の部室へと向かって行ったのであった。
――「ガラッ」
勢い良く入り口の引き戸を開ける。
そう言えば、周は先に向かっていたわね。
随分と急いでいた様子だし、またラノベの続きが我慢できなかったのかしら。
本当に、オタクっていう趣味は理解できないわ。
別に、それぞれ趣向は違う訳だから、咎めるつもりはないけど……。
……だが。
「お、お疲れ様です、朱夏さん……」
部屋の中にいたのは、空ちゃんただ一人であったのだ。
「あっ、お疲れ様ぁ……」
何だか拍子抜けだ。
ここ最近、アイツはたまに部活をサボる。
理由は聞いていない。
何を隠しているのかも分からない。
でも、なんかムカつく。
その理由も分からない。
だけど、本当にムカつく。
そんな風に、自分の気持ちが混濁している事に対して、怒りを感じたのであった。
……まあ、きっと、アイツがポンコツでヘタレな所に腹が立っているのよ。
そう無理やり結論を出すと、私は静かな部室の様子に、ほんの少しだけ寂しさを感じるのであった。
――そこからは、何も喋らない時間が続く。
空ちゃんとはだいぶ打ち解けてはいるが、これと言って話題がない場合、基本的に会話をしない。
……むしろ、彼女に関しては、相変わらず周の書いた【フレンチなひとときは部室から】に夢中な様子だし。
あの"黒歴史"だらけの駄作が、そんなに面白いのかしら。
前に少し読ませて貰った事があるけど、周のリアクションも相まって、小馬鹿にする"対象"くらいにしか思ってなかったけど。
まあ、また今度、改めてちゃんと見させてもらうのもアリね。
そう考えると、スマホを開いて何となくネットに目を向けたのであった。
『夏の海のモテ水着特集』
そんな記事が目の前に飛び込んでくる。
夏休みが目前の七月上旬に相応しい特集。
……思えば、元の世界では、パパの「肌を晒すなど、はしたない」という言いつけで、同級生と海水浴を楽しむなんて事もなかったわね。
それに、休日に遊びに行く時だって、常に"メイド"と一緒だったし。
結局、悪目立ちして出掛けるのにすら躊躇してしまったのが、遠い昔の様に思える。
考えてもみれば、ここに来てから、だいぶ"自由"になったものだわ。相変わらず、クラスメイト達と本音では話せないけど。
悔しいけど、周のおかげで……。
そんな事を考えながら、密かにメモっていた【やりたい事リスト】に"海水浴"が追加された。
……今日も、来ないのかなぁ。
特に含みはないが、ぼんやりとそう思っている間に、気がつけば、太陽はすっかり西陽に傾いていた。
そろそろ、部活動が終わる。
……すると、先程まで真剣に詩集を読んでいた空ちゃんは、何かを言いたげに私の方を見つめているのに気がついた。
「どうしたの? 」
人見知りな彼女を気遣って、ニコッと笑うと、そう問いかける。
すると、空ちゃんはモジモジとしながら、こんな事を質問して来た。
「あ、あのぉ……。この前体育祭での様子を見て思ったのですが、何でお二人は、部室以外でお話をしないのですか? この前、廊下で見かけた時も、目も合わせていませんでしたし……」
唐突に聞かれた素朴な疑問を目の前に、私は言葉に詰まる。
確かに、特にこれと言って、『学校では基本、関わらない』などと言う"ルール"を作ったわけではない。
まあ、クラスメイトに同居がバレると色々面倒と感じたから、登校時間だけはずらしているけど。
それに、編入初期の頃、私と彼の間には、明白な"格差"があった。
教室で私の周りには人が集まってくる。彼は、ぼっち。
つまり、結論から言うと、純粋に関わるタイミングがないだけなのだ。
……私達が親戚という設定も、こちらから言うつもりはないし。まあ、ここまで来たら、聞かれても言わないけど。
そう思うと、空ちゃんにはこう返答したのであった。
「……まあ、単純に陰キャのアイツが、私に気を遣っているんじゃないかしら」
若干強がって気遣いなどと"脚色"してしまったが、あながち間違えてはいないと思う。
「そんなもんですかねぇ……」
何かに引っ掛かっているのか、首を傾げてそう言った空ちゃん。
私は「そういうもんよ」と素気なく告げた。
……そして、気がつけば、部活動の時間は終わった。
*********
PM7:00。
やっと辺りが暗くなって来た時間帯、私はクーラーの効いた部屋で、ワイシャツを脱ぐ。
まだ、アイツが帰ってこない内に、入浴を済ませてしまおうと思ったのだ。
普段ならば、着替えの際、周には目を瞑って貰っている。
だが、今日は誰もいない。
そう思うと、解放感がある。
だからこそ、狭いワンルームの部屋で堂々と脱衣を始めたのだ。
……もし、周がこんな"あられもない姿"を見たら、変な気を起こしてしまうかもしれないわね。
なんとなく妙な思考が脳裏を駆け巡ると、私はユニットバスの方へと裸のまま足を進めた。
……だが、そんな時。
―――「ただいま〜」
今、まさに、浴室の扉を開けようとした瞬間、彼はタイミング悪く帰って来てしまったのである。
「……えっ? 」
思わず、呆然として固まったまま、彼と目が合った。
「……えっ? 」
私と同じリアクションをする周。
同時に、徐々に、現実を理解し始める。
……イマ、ワタシハ、ハダカ。
それに気がつくと、大切な所を隠した状態で、自然に悲鳴をあげた。
「きゃーーー!!!! 」
彼はそんな私の姿を前に、顔を真っ赤にしながら弁明を開始する。
「ち、違うんだって!! ぐ、偶然だから!! 」
慌てふためく周を見ていると、条件反射的に襟首を掴む。
続け様に、張ったばかりのお湯の中に彼を突き飛ばしたのであった。
……なんで、アイツはこんなにタイミングが悪いの?
そして、ドタバタが落ち着くと、不機嫌のまま洗身を終えて体育座りで湯船に潜った。
「……もう、なんなのよ」
ただでさえ遅くに帰って来たから、夕飯の時間が遅れるって言うのに。
しかし、裸を見られてしまった事に関しては、不思議と"嫌な気持ち"はしなかった、気がする。
……死ぬほど恥ずかしかったけど。
そんな事を考えている内に、今日、帰宅した時の彼の姿を思い出した。
いつもは制服で帰ってくるのに、何故か今日の周は"ジャージ"を着ていた。
運動部でもないくせに。
湯船の水泡のごとく、疑問が浮かぶ。
「まあ、運動不足の解消かしらね」
なんとなく、そう結論付ける。
それから、美味しそうな匂いが漂い出したのを確認すると、足早に寝巻きのパジャマに着替え、夕飯を楽しみにするのであった。
……でも。
彼は「いただきます」と言うと、出来立ての生姜焼きを目の前に、スマホをいじりながら箸を進める。
何度も聞こえる着信音。
普段は、絶対にあり得ない状況だ。
テーブルマナーに厳しい家庭で産まれた私からしたら、決して許せない。
ただ、それ以上に……。
「アンタ、何をしているのは分からないけど、ご飯の時くらいはスマホをやめなさい」
ビシッと注意をした。
だが、彼は手を止めない。
「うんうん、そうだね。これが終わったら、やめるから」
不思議と嬉しそうな表情で、目を合わせる事もなくそう返答。
……そんな状況に対して、次第に私の怒りは唸りを上げて燃え上がって行った。
「だから、やめなさいって!!!! 」
テーブルを叩いてそう叫んだ。
すると、周は一瞬だけキョトンとした顔をする。
普段なら、「わ、わかったよ」とか弱々しく言って従ってくれるんだけど……。
今日は、違ったのだ。
「う、うるせえよ!! すぐにやめるって言ってんだろ?! しつこいんだよ!! 」
本気で歯向かってくる。
その態度に、さらに怒りは膨れ上がった。
「なによっ!! アンタがいけない行動を取っているから、注意したんじゃない!! なのに、逆ギレしないでもらえるかしら!! 」
顔を真っ赤にして怒鳴ると、周はボルテージに合わせる様に、最低な発言を投げつけて来たのであった。
「いちいちめんどくせえんだよ!! "居候"のクセに!!!! 」
……それは、一番言われたくない言葉だった。
何故なら、私はそこを充分に理解していたつもりだったから。
本人には言わないが、"いつも感謝"をしていたから。
そう思うと、泣きそうになった。
何も言い返せない悔しさが込み上げる。
アイツがそんな"酷いこと"を言うなんて思ってなかった。
だからこそ、すっかり食べ終わった自分の食器を持つと、彼にこう言い放ったのであった。
「最低……。もういい!!!! 」
この瞬間から、私と周は、口を利かなくなった。
*********
すっかり、険悪なムードになってしまった朝、周はいつもと違って弁当も用意しないまま、目も合わせずにさっさと学校に行ってしまった。
普段は、逆なのだが。
でも、都合が良かった。
今は、一緒にいたくない。
だからこそ、済々とした気持ちで制服に着替えた。
それから、慣れない施錠を終えると、通学の途に就いたのであった。
同時に、昨日の出来事について少し考える。
……考えてもみれば、理不尽過ぎたかしら。
普段から、嫌味や皮肉を言い過ぎたのかもしれないし。
もしかしたら、そこら辺のストレスも含めて爆発しちゃったのかも。
だとしたら、私にも悪い部分はある。
……"居候扱い"されたのは、本当に悔しかったけど。
でも、結局、それは覆せない事実。
もし、周が居なければ、私はどうなっていたのかしら……。
そんな思考を重ねていくうちに、自分にも非があった事を認めた。
「……まあ、仕方ないから謝るかしら」
小さくそう呟くと、私は駅から続く長い坂を登り切って学園に到着する。
そして、小さく深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、教室の中に入ったのだ。
一度決めたら、実行するべし。
周がひとりになったタイミングで、こっそりと謝るとしようかしら。
……しかし、そう決心したのも束の間。
「周くん、昨日は本当にありがとね!! 」
「い、いやいや、別に、俺は基本"ヒマ"だし……」
目の前に、あり得ない状況が飛び込んできた。
彼は、宝穣さんと仲睦まじく会話をしていたのだ。
すぐ隣で土國くんが恨めしそうに睨んでいるのも無視して。
その様子は、まるで、"二人の世界"にでも入り込んでしまったみたいだった。
陰キャとばかり思っていたからこそ、衝撃を受けた"光景"を目の前にすると、何故か私の心は「チクッ」と言う音を立てる。
理由は、分からない。
だが、その気持ちは、自然に、言葉として出たのであった。
「……周の、バカ」
そう小さく呟くと、「おはよ〜」と挨拶をしてくるクラスメイトに向けて、再び猫を被った。
……ぎこちない笑顔で話す彼の姿を視界の端で追いかけながら。
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