16項目 それでも彼は謝らない


 バレー部の練習終わりを見計らって、俺は宝穣さんの"自主練"の手伝いにやって来た。


 もちろん、文芸部の部室に顔を出さずに時間を潰した後で。


 あんな"ヤツ"の顔なんて見たくないし。


 そう思ってイライラしながらジャージに着替えて顔を合わせると、宝穣さんは開口一番、こんな事を言い出した。



「……周くん、また何かあったの? 」



 感情を隠したつもりでいたのだが、このエスパーの前では、嘘をつく事が許されないらしい。



 この前の件も細心の注意を図って、感情を隠蔽した上でバレたし、ここで隠すのもアレだな。



「まあ、人間関係かな」



 観念して言葉少なめにそう伝えると、俺はトスを上げる。

 すると、彼女は高い跳躍力で誰もいない体育館に向けてスパイクを打った。



「なるほどね……」



 朱夏と喧嘩をした事は、隠した。

 この前と同じで。



 それに、相談に乗ってくれた、いわば、"恩人"である彼女とのやり取りの時に起きた喧嘩だなんて、決して言えないし。



 確かに、食事中にスマホをいじってしまった事は、悪いとは思ってる。普段なら絶対にやらないし。



 ……でも、その指摘は、今、目の前で綺麗な汗を流す"恩人"に対する敬意の現れだった。



 故に、冒涜だと感じたのだ。



 それに、朱夏と同じ"異世界人"が元の世界に帰った事実を知って、暫く、これから朱夏をどうするべきかで悩み苦しんでいた。



 だからこそ、人生で初めて女の子にキレてしまったのだ。



 ……何故、これだけアイツの事を真剣に考えているのに、俺に"悪い意味"で絡んで来るのだと。



 その衝動が感情の全てを埋め尽くしてしまったが故、"あんな言葉"を投げつけてしまった。



 正直、若干の後悔はある。


 泣きそうになっていた朱夏の顔を見てしまったし……。



 それに、俺は『この世界で彼女をサポートする』と決意したばかり。



 しかし、どうしても抑えきれない怒りが心の底から押し寄せると、俺は我慢が出来なくなったのだ。



「……それで、喧嘩の相手は誰なの? 」



 宝穣さんは練習を中断してタオルで顔を拭くと、そう問いかけて来た。



 だが、口を紡いだ。



「いや、それは……」



 真実を隠すと、彼女は一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべた後で、笑った。



「まあ、言えないなら良いよ。……ただ、これだけは伝えておくね。もし、その人が"大切"だと思うなら、早めに解決しないと後悔するよ」



 相変わらず、的を得たアドバイス。



 心の中では、こんな問題、早く解決するべきなのは分かっていた。



 だけど、俺は「そうなんだけどね……」と、空返事をするに留まったのだ。



 本当は、そうなんだよな。



 でも、今更、引き下がれない。



 だって、俺は喧嘩の解決方法なんて、知らないし。



 ……多分、初めてだったんだ。あそこまで怒ってしまったのは。



 そんな不器用な思考が足枷の様に自由を奪った時、俺はぼんやりと彼女を見つめた。



 すると、宝穣さんは、その視線に対して「んっ……? 」と、首を傾げた。



 その慈愛に満ち溢れた笑顔を見た時、こんな事を思った。



 本当に、頼りになるなぁ。



 考えてもみれば、彼女とは随分と仲良くなったものだ。



 毎日の様にメッセージのやり取りをしたり、自主練にも顔を出している。


 それに対して、"恋愛感情"などとは違った、確かな"友情"を感じる。



 それに、俺が一番辛い時に助けてくれた恩は、忘れない。



 しかし、今もまた、こうして新たな悩みを相談している。



 感謝しかない。



 同時に、自分に対して、情けなさを感じる。



 結局、俺は何も一人で解決できない、"ヘタレ"なのだから……。



 そんな気持ちで憂鬱になっていると、宝穣さんは、途端にモジモジとし出す。



 続けて、辿々しい口調で、こんな事を問い出したのであった。



「……ところで、そのお相手は、彼女さんだったりするのかなぁ……」



 そんな訳、絶対にない。まずあり得ない。



 そもそも、アイツは……。



 そう思うと、俺はキッパリと首を横に振った。



「いや、違うよ。俺にそんな"奇跡"が起きる訳ないし。端的に言うと、家庭の問題かな」


「……そっか」



 あながち間違っていない回答をすると、宝穣さんは何処か、ホッとした様子を見せる。



 ……えっ? もしかして、この娘は、俺に彼女が出来たと勘違いして不安に思ったとか?



 いや、待て。そんな事はまずあり得ない。


 だって、宝穣さんは誰にでも優しい、この学園の"スーパースター"なのだから。



 一瞬だけあらぬ勘違いをした事に恥ずかしくなっていると、彼女はこう続けた。



「でも、"家族"だったら、余計に早く仲直りをした方がいいよ。……いや、ちゃんとするべきだよ! これは、"親友"であるあたしからの宿題っ! 」



 隣に座る宝穣さんは、膝が当たるほどの距離に近づいてくる。


 同時に、俺を見上げて顔を近づけて来ると、そう語尾を強めて来た。



 ……めちゃくちゃ照れる。



「わ、分かったよ……」



 その迫力から押しに負けると、弱々しくそう返す。



 すると、彼女は満遍の笑みを見せたのであった。



「うん、それでこそ、周くんだよっ!! 」



 結局、いつも励まされてしまうな。



 俺は、そんな宝穣さんの優しさに触れながらも、ハードルの高いミッションを与えられてしまった事に悩みを感じた。



 ……ただ、そのやり取りの中で、ハッキリと"親友"と呼ばれた事が嬉しかった。



 ホント、彼女はずるい。ここぞで心をくすぐる"キーワード"を出してくるのだから。



 さて、これからどうするべきなのだろうか。



 どうやって、朱夏に謝るべきなのか。



 ……むしろ、本当に仲直りなど出来るのか。



 そんな不安が襲ってくると、気がつけば、辺りは暗くなっていたのだ。



*********


 

 ……もう、なんなのよ。



 なんでアイツが学園のアイドルと、仲良く話をしていたの?



 彼女は朝、「昨日はありがとう」と言っていた。



 それに、彼が遅くに帰ってきた時に着ていた、不自然なジャージ。宝穣さんは、体育会系。



 そんな事実を積み重ねていくと、こう結論を出した。



 ……つまり、彼は宝穣さんと会っていた。



 単純に、運動を楽しんでいたのかもしれない。



 ただ、私は、知らなかった。



 二人の関係が、そこまで親密になっていると。



 確かに、体育祭で選手宣誓を考えたという経緯があるのは知っている。



 でも、まさかプライベートで会うほどに距離を近づけているとは、夢にも思っていなかったのだ。



 だからこそ、完全に謝るタイミングを見失った。



 だって、昨日のあのメッセージのやり取りの相手は、ほぼ宝穣さんで間違いないのだから。



 そう思った時、私が始めに抱いた感情。



 それは、何故か、"哀しみ"だった。



 なんで、話してくれなかったの。



 どうして、一番近くにいる人間に隠し事をするの?



 ……バカ周。



 心底、悔しい。



 別に、彼がどんな交友関係を構築しようが、誰と付き合おうが、知った事ではない。



 私は、私の道を歩めば良いだけだし。



 だけど、なんでこんなに胸がチクッとするの?



 考えれば考える程、涙が込み上げて来るのであった。



 そんなブルーな気持ちで一日を終えると、私は重い足取りで、文芸部の部室に辿り着いたのであった。



 どうせ、アイツはまた、宝穣さんと……。



 そう思って引き戸を開けると、そこには周の姿があったのだ。



 ……き、来たんだ。



 何故か、不思議と緊張する。



 毎日朝から顔を合わせる、当たり前の存在の筈なのに。



 だが、こんな感情をむき出しにする訳にはいかない。



 だから、私は彼から離れた位置に座る。



 それから、周とは一度も目も合わせずに、チョコンといる空ちゃんにだけ挨拶をした。



「お疲れ様、空ちゃんっ! 」



 感情を捨ててニコッと笑い、そう伝える。



 すると、彼女は不穏な空気を察したのか、「ど、どうも……」と、辿々しい返事をした。



 そこから、微妙な時間が流れる。



 ……正直、気まずい。



 これでは、謝罪どころではない。



 アイツは、平気なのかしら。



 そう思ってスマホの隙間からチラッと彼を見ると、いつも通りラノベに目をやっていた。



 謎に落ち込んでいる私とは違って。



 なによ、どうして、そんなに余裕なの?



 もしかして、実はもうすでに宝穣さんと付き合ってて、有頂天にでもなってるのかしら。



 でも、この推測は、あながち間違っていないかもしれないわね。



 だって、昨日もご飯を食べるのすら忘れて、あんなに"慌てて"メッセージの返信をしていた訳だし。



 ……なんか、ムカつく。



 そう思って、ジーッと彼を睨みつけていると、目が合った。



「……なんだよ」



 敵意むき出しで、舌打ちをする。



「別に、なんでもないわよ。それよりも、"学園のアイドル"とお付き合いが出来て、良かったじゃない」



 腹が立ったので、そんな嫌味を言った。



 まるで、事実を確認する様に。



 すると、彼は、顔を真っ赤にして怒った。



「べ、別に、付き合ってる訳じゃねえから! 大切な友達なだけだよ! 」



 そうなんだ……。何故かホッとする。でも、本当なのだろうか。



「だったら、なんでコソコソと"密会"なんかしてるのよ」


「お前には、関係ねえだろ!!!! 」



 ……そんなやり取りをしている中、私は若干の後悔を感じる。



 昨日に引き続き、また喧嘩に発展してしまった。



 本当は、素直に謝りたいだけなのに。



 でも、チクチクと痛むこの胸が、そうさせてくれない。



 だからこそ、思ってもいない言葉達が浮かんでは弾ける。


「だいたい、お前はいつもいつも嫌味ばっかり言いやがって! 」


「それは、アンタが情けないからでしょ?! そんなに彼女が好きなら、もっともっとアプローチすれば良いじゃない!! 」


「はぁ?! ふざけた事言ってんなよ! 俺にとって、宝穣さんは大切な友達。それ以上でも、それ以下でもねえわ! 」



 ……そう揉めている時だった。



――「パシッ!!!! 」



 激しい勢いで本を閉じる音が、部室全体に響き渡る。



 私と周は思わず言葉を止めた。



「……もう、やめてくださいっ!!!! 」



 そう叫んだのは、紛れもなく"空ちゃん"だったのである。



 彼女は、大粒の涙を流していた。



 いつもの、怯えた時に見せるそれとは、まるで違う、悲しそうな表情で。



 同時に、彼女は何も言わずに両手で顔を覆いながら、逃げ出してしまった。



「ちょ、ちょっと待って……」



 ……そんな声も虚しく。



 まさかの展開に、思わず、固まる。



「……お前が、喧嘩を吹っかけてくるからだぞ。退部するとか言ったらどうする気だよ」



 すっかり二人きりになってしまった部室で、彼は私に対してそう怒りを口にした。



「それを言うなら、アンタでしょ! 」


 

 思わず反論。


 それは、そうよ。



 いや、それよりも、早く追いかけないと。



 そう思うのも束の間、私達二人の間の会話は途切れた。



 何も話さずに、ただ、険悪な時間が流れる。



 早く、空ちゃんを追いかけなきゃいけない状態なのに。



 そんな中、周は立ち上がった。



「……お前の"せい"だけど、豊後さんを一人にするわけには行かないし、俺、追いかけてくるわ」



 彼は私に責任を取らせる形で、嫌味を言う。



「何を言ってんのよ。アンタになんか任せられないわ。私が空ちゃんを追いかけるから、さっさと家に帰れば良いじゃない」



 私も意地になる。



 結局、仲直りをするどころか、状況は悪化してしまった。



 しかも、可愛い後輩を道連れにして。



 ……なんだか、泣きたくなった。



 そんなつもりじゃなかったのに。



 本当は、ちゃんと謝るつもりだったのに。



 でも、どうしても言い出せない。



 これは、自分の不甲斐なさ、情けなさが、招いた結果。



 宝穣さんとの関係なんて、どうでもいいじゃない。




 なんで、いつも、こんなに意地を張っちゃうの?



 どうして、真逆の事をしてしまうの?



 そう思うと、私は弱々しく伸ばした手で、彼を引き止めようとした。



 今、ここで、関係を修復しなければ、永遠に戻れない気がして……。



 ――だが、そんな時、部室の引き戸が、勢いよく「ガラッ! 」と開いたのだ。



 途端にビクッとすると、私はそちらに視線を移した。



 ……すると、そこには。



「あ、あのっ! 小原先輩、朱夏さんっ! これから一緒に、仲良く"干し芋"を食べませんかっ!? 」



 ……泣きながら未開封の干し芋を持った、空ちゃんが立っていたのである。



 突然の出来事に、私と周は混乱する。



「……えっ? どういうこと? 」



 思わず、そんな言葉を口にする。



 だって、話の流れが全く掴めないもの。



 しかし、狐に摘まれた様な顔をする私達のことなど気にもせず、空ちゃんは小さな手で二人の腕を無理やり掴んで、座らせたのだ。



「あの、豊後さん? これは一体……」



 状況が理解できず、苦笑いを浮かべる周がそう言うと、空ちゃんは涙ながらにこう言ったのであった。



「文芸部は、仲良しだからっ! 仲良しは、一緒に"おやつ"を食べるんですっ!! だから、ほら、早く!! 」



 そう嗚咽を漏らしながら叫ぶと、彼女は芋の袋を開けて、皆に無理やり振る舞おうとした。



「あ、あの……」



 普段では絶対に考えられない彼女の行動に、私は困惑しながら制止しようと試みる。



 ……だが、私の手が触れた時、空ちゃんは心の声を叫んだ。



「空は、この部活が大好きなんですっ! 仲良しのお二人の事は、もっともっとっ!! だから、もう喧嘩はやめてくださいっ! ……もう、見たくないんです。好きな人達が、嫌い合う所なんて……」



 彼女はそう告げると、机におぶさって思いっきり泣いてしまったのであった。



 その姿を見ると、私は、いかに自分が"安いプライド"によって、人を傷つけてしまったのかを理解する。


 

 同時に、恥ずかしくなった。



 結局、周に謝るって決めたクセに、変な意地ばかりを張ってしまっている自分が。



 ……1番の"ヘタレ"は、私じゃないの。



 そう考えると、自然と意思は固まって行った。



 だからこそ、号泣する空ちゃんの肩にそっと手を当てて「ごめんね……」と囁く。


 それから、私は気まずそうにする周の方をハッキリとした視線で見つめた。



 そして、深々と頭を下げた後で、こう告げたのであった。




「ごめんなさい。私が悪かったわ」



 ハッキリと謝罪を口にすると、周はポカンとした。



 だが、すぐに返答は来た。



「……いや、俺の方こそ、最低な事を言っちゃってごめん」



 ぎこちない私達は、互いに歩み寄ったのだ。



 まるで、タイミングを見計らっていたかの様に。



 すると、思いっきり泣きじゃくっていた空ちゃんは、顔を上げて不安そうな目で私を見つめる。



「……本当に、仲直り出来ましたか……? 」



 そんな彼女の言葉を聞くと、大きく頷いた。



 続けて、彼の右手を思いっきり握るのであった。



 いきなりの行動に、思わず顔を赤くする周。



 だが、そんなの気にする事もなく、私は空ちゃんの前で彼の手を何度もブンブンと振り回した。



「これで、分かるでしょ? 本当の本当に仲直りしたのよっ! これから、周とは喧嘩はしないっ! だから、信じてくれて良いわよ! 」



 まるで自分とは思えない程の、恥ずかしすぎる大胆な行動を取った。



 それから、次第に彼の反応を気にして不安が押し寄せてくる。



 だって、もし、私のこの行動を、彼が良く思っていなかったら……。



 ――しかし、そんな心配を跳ね返すように、彼は私の右手を強く握ったのであった。



「ああ、そうだなっ! 俺と朱夏は仲直りしたよ! これからも、3人、仲良く部活動に励もうな! 」



 それを聞いた空ちゃんは、やっと俺達を信じてくれたのか、とても嬉しそうに笑ったのだった。



「はいっ! 空のワガママで仲直りしてくれて、ありがとうございましたっ! 」



 こうして、私は空ちゃんのおかげで、周と仲直りをする事が出来たのであった。



 ……"干し芋"を持ち出した時は、本当にビックリしたけどね。



*********


 部活が終わった帰り道、私はバス停で空ちゃんとお別れした後、周と二人きりで帰っていた。



 ……正直、本当に仲直り出来たのか分からない状態で。



 もしかしたら、さっきの所作は、彼女をこれ以上泣かせない為の、苦肉の策だった可能性もある訳だし。



 ……それに、私自身も、ずいぶんと大胆な行動を取ってしまったと、恥ずかしくなった。



 だからこそ、探りを入れる。



「……あ、あのぉ。さっきは、悪かったわね」



 顔を覗き込む様に恐る恐るそう問う。



 すると、彼はこちらを見ずに口を紡いだ。



 ……そこから、何も返事がない。



 もしかして、やっぱり周はまだ、私を許してくれてないのかも……。



 そんな不安が頭をよぎる。



 だとしたら、本当にこのまま……。



 すると、周はおもむろに口を開いたのであった。



「……悪かった」


「……んっ? なんて……? 」



 声が小さすぎて、あまり聞こえない。



 でも、確かに……。



 そう思っていると、彼は小っ恥ずかしそうに大きな声で、私に向けてこう伝えて来たのであった。



「だから、お前の事を"居候"なんて言い方しちゃって、悪かったって話だよっ!!!! 」




 いきなりの怒鳴り口調で伝えられた"謝罪"を聞くと、何故か、腰が抜ける程の''安堵感"が全身を支配した。



 ……だって、彼は、もう。



 そう思ってホッとすると、私は嬉しくなって彼の背中を「パシッ」と叩いた。



「い、痛えなっ! 」


「ほんっとそうよ。流石に、この家には居られないって思ったんだから! 」


「マジか?! でも、お前、行く先なんてないじゃねえか! 」


「うん、だから、もういっその事、叔父さんに手配してもらって外国に逃げるのもアリと思ったわ」


「それは、ダメだよ! 外国なんて行ったら、犯罪に巻き込まれてしまうかもしれないしな! 」


「何、その過保護……。アンタ、私の親? 」



 そんなやり取りを続けている内に、気がつけば、また自然に彼と話せる様になっていた。



 私は、今回の件で、反省をした。



 もう、あんな悲しい気持ちになりたくないし、させたくもないから。



 だからこそ、ある程度、お互いを尊重し合って生活する事が、とても大切なのだと学んだのだ。



 それに、周は宝穣さんと、付き合っていなかった。



 ……実は、そこに一番安心したのは、秘密だ。



 別に、周が好きと言うわけではない。



 だけど、どんな形であれ、彼が"特別な存在"である事は認める。



 だって、この男は、私の一番信頼出来る"同居人"なのだから。



 そう思うと、今日はゆっくりと寝られそうな気がした。



「……後、今日は"オムライス"にしましょうねっ!! 」



 そんな催促をしながらも。



「まあ、今日は"仲直り"もした事だし、仕方ないから作ってやるよ!! 」



 ……彼の笑顔を見た時、チクチクと痛む胸は、すっかりと落ち着きを取り戻したのであった。



 だからこそ、思わずこう口にした。



「周、いつもありがとね……」



 心外ではあるけど、どうしても伝えたくなった。



 すると、私の声を聞いた周は、頭をポリポリと掻きながら、目を逸らした。



「……気にすんな。ま、まあ、これからも宜しくな……」



 こうして、私達の日常は元通りになった。



 いや、元通りなんかではない。



 だって、周と過ごす異世界での生活は、これまでよりも、ずっとずっと、"硬い絆"で結ばれたのだから。

 

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