17項目 ヒロインと親に背いて


 夏休み初日。


 赤点ギリギリで追試地獄を逃れた俺は、この記念すべき休日の始まりに歓喜をするどころか、むしろ、焦りを抱いていた。


 本来ならば、心配事から解放されて有頂天になる状況なのに。



『DEAR、愛しの息子へ。来週、日本に帰ります。久々に貴方に会える事を、楽しみにしてますねっ! 』



 歳柄にもなく絵文字だらけで送られたメッセージ。



 ……それは、愛しのマイマザー"小原みどり"だったのだ。



 朝一番の洗面台で、呆然としながらスマホ画面の前で固まっていると、すっかり仲直りをした朱夏は興味津々に"それ"を覗き込んできた。



「あっ、そういえば、アンタの両親って"カナダ"に住んでるんだっけ」


 当たり前の様にそう聞いてくる。



 ……うん、そうだよ。



 思えば、去年の大晦日以来会ってない。



 もちろん、家族に会えるのはとても楽しみ。



 ……だけど今、何故、こんなに焦っているか、分かる?



 それはね、"朱夏さん"。



 キミにあるんだよ。



 そう考えると、冷や汗をかきながら彼女を見た。



「……いやいや、逆にお前は何で、そんなに普通でいられるんだよ。家族が帰ってくるって事は、つまり、"このアパート"にも来るのを意味するんだぞ? 」



 楽観的に歯磨きをする朱夏に、この"窮地"が如何にまずい状況なのかを説明した。



 だが、彼女の返答は、「だから? 」だった。



「別に、何か変な事が起きているわけじゃないし、もう叔父さんには状況を説明済み。それに、何処かに隠れろなんて言われたって私には当てもないんだから」



 ……ま、まあ、それはそうだけどさぁ。



「それに、ご両親には仕送りでお世話になっているんだもの。だったら、ちゃんと"お礼"を伝えるのは、当然の話だと思わない? 」



 ブカブカなTシャツで、俺を見上げる朱夏。


 確かに、ね。これだけ堂々と言われると、納得せざるを得ない。



 ……いやいや、待て待て! コイツの言葉に流されるな!



「で、でも、もし仮に、お前の事情を説明して了承を得たとしても、し、思春期の男女ふたりが、同じ屋根の下で眠っているなんて聞かれたら……」



 妙な事を想像して、思わず恥じらう。



 一瞬だけ、その絵面を想像してしまった事実は、墓場まで持って行こう。



 ……だが、アワアワとしている俺を見た朱夏は、途端にニヤニヤと笑い出した。



「……なにぃ? 今、変な事を想像したでしょ〜」



「ち、ちげぇわっ! 何もねえよっ! 」



 2トーン程上ずった声で爆発すると、俺は否定を繰り返したのであった。



「まあ、ヘタレな周にその勇気がない事を知っているから、安心してるけど〜」



 彼女は最後に心外な事を告げると、歯磨きを終えて、リビングの方へ歩いて行ったのだ。



 ……だが、途中でピタッと足を止める。




「でも、冗談はさておき、私はご両親にちゃんと挨拶をさせてもらうから」



 多分、絶対に折れない事を悟った。



 これまで生活してきた中で、この類の宣言をした時、朱夏は一度たりとも妥協してくれなかったのを知っているから。



 だが、絶対に家族にこの事実を告げてはならない。


 ……いや、告げたくない。



 だって、そうしたら、絶対に……。



 そう思うと、俺は両親と妹が帰国してから暫くの間、如何にして、朱夏の存在を隠せば良いのかを、真剣に考えるのであった。


*********


 遂に、この日がやって来てしまった。



 朱夏には、何度も遠回しに「お友達と何処か行ってくれば? 」とか、「一人旅に出たくない? 」なんて提案を繰り返した。



 だが、この頑固者は受け入れない。



「友達といれば息が詰まるし、旅行なんて行くお金なんてないじゃない」


 ……うん、完全に論破された。



 それならばと、夏休み中も連絡を続ける宝穣さんや駆流をアパートに呼び出して、その日だけ"友達を呼んだ"的な雰囲気にしようかと思った。



 もし、その中に朱夏がいれば、まあ、仲の良いご友人の一人的な形になるかなと。



 ……だが、我が家にはもう既に呼べない。



 だって、この狭いワンルームのアパートの6割程は朱夏の私物に侵食されてしまっているからだ。



 こんなもん見せつけたら、『彼女と一緒に住んでます』って言っている様なものだし……。



 そうなったら駆流辺りは嫉妬モード全開でクラスメイトに触れて回るに決まっているし、結果、朱夏を密かに狙う男子達から悪態付かれるのは目に見えているのだ。



 ……更に、もう一つ残念なお知らせ。



『今回は、周のお家の近くのホテルに一週間程滞在させてもらう事になりましたよぉ〜。"円(まどか)"は旅行に行かない事を残念がっていたけど、親子水入らずで沢山お話をしましょうね』



 ……うん、詰んだ。



 前回は帰国の際、さっさと国内観光に出掛けてしまったから、会ってた期間は短かったのだが(もちろん、静かにラノベを読みたかったから一緒には行かなかった)。



 今回は、ゆっくりこの地元に腰を据えるらしい。



 流石に、一週間という長期間、朱夏を何処かに隠し続けるのは不可能。



 最後の頼みだった叔父も、最悪のタイミングでバカンスに行っちまったし。



 ……だが、せめて、初日の今日くらいどうにかすれば、弁明の余地があるかもしれない。



 例えば、親友の朱夏は「親と喧嘩して家出してるから、匿ってる」とかね。



 それもそれで如何な物かとは思うが、同棲しているなどと言う、妙な勘違いをされるよりはマシ。



 ……あの母親の勘違いゲージは振り切っているし。愛する妹に嫌われたくもないし。



 そう思うと、俺は、無駄に気合を入れて準備をする朱夏の背中を、無理やり押した。



「あ、あのさぁ、信頼するお前に"おつかい"を頼みたい。小田原にあるカマボコがどうしても食べたくなったから、買って来て貰いたいんだ……」



 極力、遠くに行かせるためだ。



 ……だが、この前の買い物で買った"真っ白のワンピース"を纏った彼女は、その必死の提案に抗う。



「いきなり何を言っているの? 小田原なんて、ここから電車でも片道2時間くらいかかるじゃない! 」



 まあ、無理があったな。


 俺の見苦しい"抵抗"を見た彼女は、マウントを取る。悪い笑顔で。



「ご両親に私を会わせない様にしても、無駄よ〜? そんなぞんざいに扱うなら、逆に、『私達は"あんな事やこんな事"をしてます』って言っちゃうわよ? 」



 おちょくった様に"悪魔みたいな"妄言を口にする朱夏は、案外、自分が言った言葉が恥ずかしかったのか、俺の肩を叩いて顔を真っ赤にしていた。



 ……いや、すごいブーメラン。



 とは言え、今は、時間がない。



 そう思うと、「ま、まあ、気分転換に出かけて来なよ」と、無理やり玄関まで押し出した。



「もう、なんなのよ」



 何とか、靴置き場まで辿り着く。



 ……よし、後は外に出せば……。



 だが、想像以上に強く抵抗を繰り返す朱夏。



「な、何をしてんのって! 私は逃げも隠れもしないわよっ! 」



 そう叫ぶと、俺の手を弾いて部屋に戻ろうとした。



 ……すると、その勢いに負けたのか、思いっきり躓いた。



 同時に、彼女の小さな身体は、俺の胸に飛び込む。



 ……いつも、使ったら怒る彼女専用のシャンプーの甘い匂いがした。ほんのりと体温を感じる。


「あ、ありがとう……」


 思わず、素でそんな事を呟く朱夏。


「お、おう……」


 恥ずかしくなってそう呟く俺。



 ……いきなりの出来事に、不覚にも"目的"を見失った。



 ――しかし、そんな時だった。



「ガチャ」



 誰の力もかかる事なく、玄関のドアが開く。



 ……胸元にいる朱夏越しに、扉の先を見つめると……。



「お久しぶりっ! って、あらあら〜」



 ……そこには、我が産みの親とマイシスターがいたのだ。



 今、俺は、朱夏を"抱きしめている形"になっている。



 ……こ、これってつまり……。



「ひ、ヒェーーーー!!!! 」



 俺は、事実を積み重ねると、そんな悲鳴を漏らした。



 だ、だって、この状況を見られたという事は……。



 まともな思考すらも見失って、慌てて朱夏から離れる。


 

「ち、違うんだ! こ、これは、そ、その……」



 両手を広げて大きなジェスチャーで、聞かれてもないのに弁明を始める。



 ……だが、そんな様子を見かねたのか、朱夏はゆっくりと家族の方へ振り返ると、こんな事を言い出した。



「はしたない所を見せて、すみません。私は、"忍冬朱夏"と申します。今も、転倒しそうな所を、息子さんに助けて貰っていた所です。あと、周さんのお家には、いつも本当にお世話になっています」



 ……堂々と、そんな事を告げる。



 いやいや、待てって。



 お前、それで、大人が納得する訳……。



 そう思って、呆然と最悪の状況を眺めていると、母みどりは、ゆっくりと口を開いた。


「そ、そうなのですね……」


 やはり、怪訝な表情を浮かべている。


 もちろん、後ろで妹の"まどか"も。そんなに睨んだらお兄ちゃん泣いちゃうよ?



 親父は……。まあ、いつも通り無表情。



 そして、その会話の末尾で、母はこんな事を言った。



「そっかぁ〜!! 貴方が噂の"朱夏ちゃん"なのですねっ!! 会えて嬉しいですよっ!! 」



 ……えっ? 今、何が起きてるの?



 俺がそう思ってポカーンと口を開いたままの状態でいると、朱夏は嬉しそうに大きく頷いた。


「そうですっ! ご家族に、やっとお会いできましたね! 私も、どうしてもお礼が言いたかったんですよ〜」



 なんか、打ち解けるの、早くない?



 今、ある状況に、ただただ、立ち尽くすしかなくなる。



「ちょっと、待ってくれ……」



 訳もわからずボソッとそう漏らすと、例のヒロインはニヤッとしながら俺にこう告げた。



「……実は、終業式の後、叔父さんに呼ばれたの。そこで、『だいぶ前から周くんの両親には、君の事情を伝えて納得して貰ってるんだ。もちろん異世界から来た事もね。でも、親子には感動の"サプライズ"にしてもらいたいと思うから、彼には当日まで秘密にしておいてね』って言われたから」



 ……そこで、初めて現実を理解した。



 つまり、今のこうなる未来は、約束されていたのだ。



 何も知らないのは、俺だけの状態で。



 すると、呆然とする俺を見た母は、こんな事を言った。



「サプライズ、大成功ですねっ!!!! にしても、周ちゃんも大胆な行動を……」



 楽観的思考で喜ぶその姿を見た時、俺は先程まで散々、悩み続けていたのがバカバカしくなった。



 そして、こう心の声を思いっきり叫んだのであった。



「……それなら、先に言えーーーー!!!!!! 」



 こうして、つつがなく"家族"と合流する事になったのである。



 ……てか、朱夏が"異世界人"だって事実を受け入れるのかよ。おかしいだろ。



 叔父共々、我が家の人間はどうかしている。



 そんな気持ちを抱きながらも。

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