58項目 元には戻れない、フラれても君を想う


 ……空が、初めて彼と出会った日。



 それは、中等部3年時の文化祭だった。



 元々、何をやってもドジっ子で、取り柄もなかった。



 それが枷となって、空の性格は、とっても"地味"で"臆病"に変わって行った。



 誰かに話しかけられても、怖くて怖くて仕方がない。



 だから、逃げちゃうの。



 みんな、とっても優しく接してくれるのに。



 だからこそ、"あの日"だって、クラスの出し物がひと段落したら、すぐに帰るつもりだったんだ。



 ――――でも、そんな時。



 『文芸部の出し物』と銘打って、中等部にも配布された、ある作品。



 それを読みながら、クラスメイトの男子達が、心の底から笑っていたのを見かけた。



「アッハハ〜! 高等部の先輩には、こんな"ギャグセンス"を持った人がいるんだな!! 」



 一瞬で笑顔に変わる、まるで"魔法"の様な奇跡を目の当たりにした時、空は素直にこう思ったの。



 ……どんな内容なんだろう、って。



 もしかしたら、それを読めば、空も変われるんじゃないか……。



 期待にも似た感情は、次第に膨れ上がってゆき、気がつけば、高等部の旧校舎に駆け込んでいたのである。



 ……そして、空は"あの部室"にたどり着いた。



 今となっては、すっかり通い慣れた"文芸部の部室"に……。



 そこに立っていたのは、空と同じく、とってもとっても"地味な青年"。



 反響の小ささを物語る様に、室内には彼のみしかいなかった。



 普段なら、緊張感に負けてしまうところ。



 しかし、自然と彼の前では、そんな恐怖を感じなかったんだ。



 ……それどころか、安心感すら覚えた。



 続けて、照れ笑いを浮かべる彼から"例の詩集"を受け取った瞬間、空の人生は変わった。



 彼が織りなす、一つ一つのポエム。



 目を通す度に、幸せな気持ちにさせられたのである。



 細胞の一つ一つが活性化されて行く。



 この作品には、そんな不思議な力があった様にも思える。



 ……そして、いつの間にか、空は泣いていた。



 とっても、とっても"暖かい気持ち"の中で……。



 それから、空は例の部室に通い始める様になった。



 理由は、たった一つ。



 "憧れ"だ。



 気がつけば、あんな素敵な作品を作る小原先輩と会いたい、その一心で、高等部入学と共に、文芸部に入部したんだ。



 ……空の人生を変えてくれた恩人が、部長を務めているのを知ったからこそ、即決だった。



 本当は、もっといっぱい、【フレンチなひとときは部室から】について語り合いたかった。




 でも、すぐに一人の女の子が加入して来たんだ。



 最初は、少しだけ緊張した。

 先輩と仲良くしている姿を前に、嫉妬したりもした。



 ……だけど、同じ時間を共有していくうちに、彼女も大切な存在になったんだ。



 そこで、初めて思った。



 ……この場所は、空にとって、大切な"居場所"なんだって。



 誰にも取られたくない、奪われたくない。



 そんな気持ちを、常に胸に抱くほど……。



 それから、空の学園生活は、瞬く間に変わってゆく。



 体育祭では、怯えながらもクラスメイト達と、縄跳びを通じて、仲間になる事が出来た。



 昔だったら、怖くて逃げていたかもしれない。



 だけど、小原先輩や朱夏さんとの時間を共有する事で、空も一歩ずつ踏み出さなきゃいけないんだと実感したの。



 そうじゃないと、彼らから見放されちゃう気がして……。



 ……だって、二人は親戚関係。



 決して、踏み込む事のできない"距離感"を、常に感じていたから。



 そう思ったからこそ、文化祭の時は、生徒会に喧嘩を売ってまで、文芸部を守ると決めたんだ。



 ……でも、今思えば、あの行動は、空のワガママ。



 だって、本心は、二人の為なんかじゃないから。



 もちろん、小原先輩の作った渾身の一作を馬鹿にされた事で、火が付いたのは事実。



 だけど、だけど、それよりも……。



 絶対に、この場所を失いたくなかった。



 その独善的な気持ちこそが、【ファビュラスなそよかぜは部室へと】を制作するキッカケになった。



 ……結果的に、生徒会は認めてくれた。



 部活動の存続も、約束された。



 とっても嬉しかった。



 ……でも……。



 それよりも、とっても大切な出来事が起きた。



『豊後さんは、最高の後輩だよ……』



 小原先輩が褒めてくれた一言。



 この言葉を聞いた時、空の胸は、これまでに感じた事がないくらいに騒ついたんだ。



 ……まだ、理由は分からなかった。



 だけど、嬉しさの中に、ほんの少しの"寂しさ"を感じた。



 ……あれ? もしかしたら、彼はこれからも、ずっと、空を"後輩"としか見てくれないんじゃないか、って。



 だからこそ、その真相が知りたくて、この世で最も信頼できる先輩である朱夏さんに相談する事にした。



 ちょっとだけ、躊躇はあったけど。



 だって、どう見ても、二人の関係は"特別"なのを知っていたから。



 でも、その時、自分の気持ちに気がついちゃったの。



 空は、小原先輩が"大好き"なんだって。



 嬉しいけど、気まずいその事実。



 分かりやすく動揺する朱夏さん。



 ……そこで、思った。



 やはり、彼女も、空と同じく小原先輩に恋心を抱いているんだって。



 だけど、そんな事実を知った上でも、尚、燻り続けるこの気持ち。



 そのタイミングで、空は彼と食事をする機会を得たんだ。



 そこで、思わず口にしてしまった。



 『空は、小原先輩が、大好きです』って……。



 ……もう、抑える事なんてできなかった。



 いつの間にか、『誰にも取られたくない』という気持ちは、文芸部から、彼たった一人に移り変わっていたの。



 ……たとえ、その欲求が、信頼する人を裏切る判断になったとしても……。



 だからこそ、本当は、とっても嫌だけど、空は朱夏さんと"ライバル"になると決めたんだ。



 もう、後悔なんかしたくない。



 彼の"特別"になりたい。



 自分勝手なこの感情。



 その思いを胸に、昨日の"夢のような時間"を思い出しながら、臆病な自分とお別れをした。



 ……なのに。



 やっぱり、ダメだった。



『俺は、朱夏が好きだ』



 ヒマラヤより高いハードルが、空の前に立ち塞がる。



 最初から、わかっていた。



 だって、小原先輩は、彼女の事になると、いつも感情的だし、悩むのを見て来ていたから。



 それが、全てを物語っていたから。



 ……でも、でもね。



 昨日、二人でお話をした時、空は諦めるのをやめたの。



 だって、彼は、"あんな顔"で笑うんだって、初めて見ちゃったから。



 きっと、朱夏さんも見た事がないはず。



 その本心の笑顔を作れるのは、空しかいない。



 だからこそ、キッパリとフラれた今も尚、あの時の"表情"が蘇るんだ。



 ……正直、悲しい。




 今頃、小原先輩は朱夏さんに告白をしているだろう。



 それが意味する事。



 きっと、相思相愛の二人は、交際を始める。



 だけど、今でも、彼を幸せに出来るのは、空しかいないと信じている。



 いつも難しい顔ばかりする小原先輩を、解放してあげたい。



 それに、これは空にとって"初恋"なのだから……。



 同時に、すっかり泣きじゃくったベッドの上で、頬を叩く。



「もう、絶対に振り向かない。いつかきっと、空は……」



 そう思った瞬間、あるポエムの一節が頭に浮かんだ。



『フレンチなひとときは、部室からだって感じられる。今ある境遇や状況なんて、ただの言い訳でしかない。キミの心が思う時、どこにだって旅立てるんだ。朝焼けの大海原だって、荘厳な山脈にだってね。だから、全てをジュテームしてみない? そうすれば、景色は変わるから。一緒に、ゴージャスな想いを共有しよう。それこそが、キミを変えるキッカケになるはずだから』



 ……表題にもなった、渾身の一作。



 空の人生を変えてくれた、ポジティブにしてくれた作品。



 この詩さえあれば、どんなに哀しい現実だって、乗り越えられる。



 そう思ったんだ。



「……うん。頑張れ、空。泣いてる暇なんてない。たとえ、一回負けたって、立ち上がらないと。じゃなきゃ、"フレンチなひととき"にたどり着けないもんねっ!! 」



 空は、そう決意を固めると、ゆっくりと立ち上がった。



 その後で、机の上に置いていた"三人"で写る文化祭の時の写真立てをタンスの奥深くに仕舞ったのであった。



 ……大切なモノが、音を立てて崩れる"序章"を実感しながらも。



*********



「……話を聞いてくれ……」



 俺がそう伝えると、朱夏は首を傾げた。



「な、なによ。いきなり改まって。それよりも、"空ちゃん"を追いかけないと! 」



 何も知らない彼女は、そう否定をした。



 でも、腕を掴んで引き留めた。



「待ってくれっ!! 」



 ……だって、俺にはもう、豊後さんを追いかける"資格"なんてないから。



 もう、後戻り出来ない。



 そう考えたからこそ、こうして決意を固めたんだ。



 ……だからこそ、動揺を続ける彼女に、もう一度、こう告げたのである。



「とりあえず、話を聞いてくれ」



 しかし、その言葉に対して、朱夏は俺の腕を振り払った。



「……アンタ、おかしいわよっ!! 可愛い後輩が、泣いてるのよ?! そんな事も理解出来ないなんて、本当に最低っ!! 」



 ……憎悪に満ちた彼女の表情を見た時、俺の気持ちは音を立てて沈んで行く。



 だって、これから……。



 しかし、挫けては行けないんだ。



 ちゃんと伝えないと。



 ……もう、決して、昨日には帰れないんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る