59項目 絶望は、交際のはじまり


「アンタ、最っ底……」



 ……朱夏は、完全に怒っていた。



 それは、俺が豊後さんを蔑ろにしたという"不義理"を働いたと勘違いをしてしまったからだ。



「ち、違うんだっ! 俺は、お前に大事な話があって……」



 これは、彼女をフッてまで決めた覚悟。



 だからこそ、何とか大切な"主題"を話そうと、懸命に引き留める。



 しかし、朱夏はそれを許さない。



「意味分かんない事を言ってんじゃないわよっ! これじゃ、この前アンタとした"喧嘩"と同じじゃないっ! ……もしかして、空ちゃんに酷い事を言ったんじゃないでしょうねっ! もしそうなら、私が追いかけなきゃ……」



 そう言って、俺の腕を振り払う。



 ……違うんだ、朱夏。



 俺は、こんな"状況"を作ろうと考えた訳じゃないんだ。



 ただ、勇気を出して、告白をしたいだけなんだよ……。



 このままじゃ、悲しませてしまった豊後さんにも顔が立たない。



 だが、先程あった事実を、断りもなく告げてしまうのは、あまりにも失礼な行動である気がした。



 つまり、必死に説得するしかないのだ。



 ……しかし、朱夏が豊後さんを想う気持ちは、紛れもなく"本物"。



 いくら言い合いをしていても、その気持ちに嘘偽りがない事は、現在の状況からすぐに分かるのであった。



 だからこそ、こうして、俺に怒りを向けているのだから……。



「今、豊後さんは関係ないっ!! だから、一回、落ち着いてくれっ!! 」



 痺れを切らした俺は、思わず、部室を出て行こうとする彼女を怒鳴ってしまった。



 あの、初夏の喧嘩以来、2回目の。



 ……すると、俺の必死の叫びに、彼女の足は部室出口でピタッと止まった。



「……なによ、なんなのよ。可愛い後輩の涙よりも大事な用事って」



 俯きながらそう呟く朱夏の姿は、"疑惑"に満ち溢れていた。



 その姿からは、俺への"信用の失墜"を感じる。



 素直に思う。



 ……こんなもの、絶対に"告白"をする雰囲気なんかではない。



 だが、俺はさっき、豊後さんに宣言してしまった。



 『俺は、朱夏が好きだ』って。



 そんな気持ちで葛藤を繰り返す。



 次第に、どうして良いのか分からなくなって立ち尽くしていると、彼女は振り返った。



 ……目にいっぱいの涙を溜め込みながら。



「……で、なによ、話って」



 ただただ、湿った瞳でジーッと俺を睨み付ける。



 ……違うんだ。そんな顔を見たい訳じゃ……。



 すると、彼女は途端に口を紡いだ俺に対して、こうため息をついた。



「……何があったのか知らないけど、またアンタは、いつも通り、一人で悩んでいるんでしょ? 」



 冷めた口調で、そんな言葉を吐き捨てる。



「いや、違くて……」



 弱々しく否定をする事しか出来ない、情けない俺。



 ……そんなあまりにもダサすぎる様子を見かねたのか、朱夏は更なる追撃を行った。



「じゃあ、早く、その"泣いている空ちゃんよりも大切な理由"を言ってみなさいよ」



 その場で貧乏ゆすりをしている姿から、苛立っているのが分かった。



 ……こんな状況で、言えるかよ。



 俺が朱夏と付き合う為に、豊後さんをフッたなんてよ。



 ……結局、こうなっちまうんだ。



 なんだか、この空間こそが、俺と朱夏がこの世界で培って来た"集大成"の様にも思えて来る。



 でも、俺の"目標"を達成するには、彼女との交際は、避けて通れない道。



 もう、後戻りが出来ない。



 たとえ、この瞬間が、最悪のタイミングだったとしても。



 俺は、いつもいつも不器用で、間が悪くて、彼女の気持ちが分からなくて、自分勝手で……。



 その報いが、今、こうした"険悪"な空気を作ってしまったのかもしれない。



 でも、宣言してしまった以上、ここで食い下がるなんて、できるわけがないだろう。



 ……だったら、もし、ダメだとしても、勇気を振り絞らなければ。



 もしダメなら、また、やり直せば良い。



 きっと、その時は……。



 俺は、生唾を飲み込むと、覚悟を決めた。



 ……この、最低な告白を成し遂げる為に。



「……俺は、お前が……」



 ――――しかし、小さな声で口を開いた、その時だった。



「……アンタは、いっつもそうなのよっ!!!!!! 」



 朱夏は、眉間にシワを寄せながら、怒りに身を任せ、大声でそう叫んだのであった。



「なんで、私には相談してくれないの?! どうして、遠くに行っちゃうのよ!! いつもいつも、一人で抱え込むのよ!! ……豊後さんと何かあったんでしょ……? なんで言ってくれないの?! そんなに、私は頼りないの?! 」



 ……彼女の発した心の声の応酬は、部室一帯を支配した。



「いや、そういう訳じゃ……」



 俺は、何が起きたのかも分からずに、唖然とした顔で、そんな言い訳をする。



 その表情を見た瞬間、彼女は唇を噛み締めた後で、吐息が掛かるほどの距離に近づいて来た。



「もう、嫌なの! 周が何を考えてるのか、分からなくなるのが!! だって、アンタは私の……」



 瞳を滲ませながら、そう続ける彼女。



 気がつけば、彼女は崩れ落ちる様に泣いていた。



 その光景を目の前に、自分の不甲斐なさに嫌気が差した。



 ……俺は、何も分かっていなかったんだ。



 彼女の気持ちなんて、一つも理解してなかった。



 こうして、黙って朱夏の為に奔走するのが、一番正しいと思ってた。



 人知れず、彼女が幸せになれば良いと勝手に決めていた。



 だから、気づかれない様に動いたし、悩んだ。



 その為に傷つくのは、"俺だけ"で良いって思い込んでいたんだ。



 ……でも、違った。



 一人で迷走を繰り返している間、ずっと朱夏を不安にさせていたんだ。



 なにが、『世界で一番幸せにする』だよ。



 これじゃ、完全に本末転倒じゃねえか……。



 俺自身が引き起こしてしまった、この"悲劇"を目の前に、改めて自分の力不足を痛感したのだ。



 もしかしたら、俺じゃ、彼女を『元の世界に帰せない』のではないか?



 だって、今もなお、大切なモノを壊し続けているんだから……。



 そんな後悔の気持ちが全身を支配すると、俺は自然と背中を丸くして俯いて行ったのだ。



 朱夏と、豊後さん、二人を同時に傷つけてしまった現実を理解すると同時に……。



「ごめん、俺は……」



 気がつけば、自責の念に囚われて、頬からは熱いものが伝っていた。



 ……俺じゃ、無理なんだ。



 全てを、諦めるべきだ、と。



 この後の事など、何も考えられなかった。



 ただただ、贖罪の気持ちが、全身を覆い尽くす。



 もう、おしまいだ。



 ごめん、夜桜先生。無理だった。



 ……俺なんか、このまま……。




 ――だが、諦めかけた、その瞬間だった。




「……き、なのよ……」



 朱夏は、まるで空っぽのグラスみたいに乾き切った俺に、そんな言葉を呟いたのだ。



 しかし、もう何も考えられない俺は、聞き取る事もできない。



 いや、脳が傾聴しようとしてくれないのだ。



 ただ、押し寄せる、無念の情に、取り憑かれていたから……。



 ……すると、そんな俺を目の前に、朱夏はゆっくりと立ち上がる。



 な、なにを……。



 ――――そして、涙を拭うことなく立ち尽くす俺を、抱きしめた。



 強く、激しく……。



「……バカ周が、好きなのよ……」



 その言葉が鼓膜を揺らした瞬間、"冷たい温もり"が伝わった。



 何が起きたのかも分からぬままに……。



 すると、永遠にも感じる数秒間を肌で感じる俺に対して、彼女は胸の中で顔を埋めながら、こう告げたのであった。



「……もうどうしようもないくらい、周のことが、大好きなの……。だから、ムカつくし、腹も立つし、不安になるし、辛くなる。……もう、こんな想いさせないでよ。遠くに行かないでよ。ずっと、私だけを"守って"よ……」



 震える声で、そんな懇願をした。



 ……同時に、彼女の本当の気持ちを、朧げな頭の中で、理解する。



 ……やっぱり、朱夏は、俺のことが……。



 だが、今更気がついても、仕方がないと悟る。



 結局、こうして彼女に『好きだ』と言わせてしまった事実を目の前に。



 まるで写鏡の様に、もう一人の自分が、何度も罵詈雑言を浴びせる。



 『何をしているんだよ』と。



 だからこそ、否定的な言葉しか出すことが出来なかった。



「こんな俺だぞ……。お前は、もっと別の幸せを……」



 清々しいまでの本音だった。



 今、初めて感じる朱夏の暖かさにさえ、疑いをかけてしまう。



 ……だったら、もうこんな想い、捨ててしまえば……。



 ――しかし、そう溢した俺に対して、彼女は抱擁する力を、さらに強めた。



「……それでも、良いじゃない。ダサくて、弱くて、陰キャで、いつも訳も分からず悩んでいる"アンタ"が良いの……。だから、私と付き合って欲しい。これからも、"素敵な夢"を見させて欲しい。もう、一人にしないで……」



 その言葉を聞いた瞬間、俺は、「ハッ! 」と我に返った。



 ……今、朱夏はこれだけ気持ちを吐露してくれたんだ。



 なのに、いつまでも辛気臭い顔をして良いのか?



 このまま、何もせずに終わらせて良いのか?



 諦めるのが、彼女の為になるのか……?



 いや、違うじゃないか。



 ……それに、朱夏の本音を聞いた瞬間、一瞬だけ見えたんだ。



 彼女が、ラノベの世界で幸せな日々を過ごす、"光景"が……。



 だからこそ、俺は震える手で涙を拭った。



 ……そして、そっと朱夏を抱きしめた。



「……本当は、今日、お前よりも先に、想いを伝えようと思っていたんだ。俺は、朱夏が世界中の誰よりも、好きだから。それでもなお、俺は……」



 状況にそぐわない格好悪い返事。



 だが、その言葉に彼女は笑顔を見せると、ゆっくりと顔を上げた。



 ……とても儚くも、頼り切った面持ちで。



「……良いじゃない。カッコ悪い所も含めて、周なんだから。だから、これからも、よろしくね……」



 その声、行動の全てが繋がった瞬間、モノクロームだった世界は、次第に色彩を放ち始める。



 ……同時に、現在、起きている"奇跡"の意味を理解したのだった。



 そう、今、この瞬間、ラノベの世界から現れた"大嫌いなヒロイン"と俺は、結ばれたのであると。



 思い描いていたモノとは、全く違う形で。



 そんと、最低、最悪だな……。



 ……ただ、気がつけば、冬空の様に冷め切った胸の中では、穏やかな春を告げるウグイスの声が耳元を掠めた気がした。



 だからこそ、この優しすぎる体温を大切にしながら、俺は折れた心に添木を立てるのであった。



 いや、立ち上がる事こそが、今の朱夏を幸せにする、たった一つの方法なのだと、痛感したから。



 そうじゃなきゃ、俺は……。



「よ、よろしくな……」



 すると、朱夏は、はにかみながら何度も頷いた。



「大好きだよ、周」



 そんな言葉と共に……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る