57項目 高校生の恋愛白書


 駆流と別れた。



「まあ、頑張れよっ! 」



 そう言い残した彼と。



 同時に、俺は、走り出していた。



 今日、必ず"解決"しなければならない事柄への義務感と共に。



 さっきの、いざこざの原因は、駆流との相談によって、充分に理解した。



 ……朱夏と、豊後さんは、俺の事が好き、かもしれない。



 正直、今でも夢みたいな話だ。



 だって、陰キャだぞ?



 それに、二人ともタイプの違う美少女。



 学園でも密かに狙う者も多い。



 どう考えても、俺如きに"恋"をする様なタイプではないだろう。



 そう思えば思うほどに、現在の文芸部が、如何に、"おかしな状況"に陥っているのかを理解する。



 いや、せざるを得ないんだ。



 今も、その困惑から抜け出せずにいる。



 ……後、この激しい罪悪感。



 理由は、たった一つしかない。



 何故ならば、俺はこれから、豊後さんをフラなければならないから。



 正直、"人から告白されたこと"なんてない俺にとって、そんな悲惨な選択をするなど、夢にも思っていなかった。



 ……同時に、不安になる。



 果たして、駆流の"憶測"は、本当なのかと。



 でも、確かに俺は彼女から『好きです』と言われ、抱きしめられた。



 それこそが、答え。



 鈍感で捻くれているが故、彼女の気持ちを理解していなかった。



 今でも、あの行動が恋愛感情なのかは分からない。



 もし、そうだとしたら、俺は赤っ恥をかくであろう。



 ……でも、豊後さんの気持ちが本気なら……。



 朱夏に関しては、恋愛的な意味だと断定出来る訳ではない。



 ハッキリと好意を伝えられた事などないから。



 でも、俺の本能が自分にこう訴え続ける。



 『たとえ、どんな未来が訪れても、"今"、決着をつけるべき』と。



 だから、こうして朱夏に告白をする決意をしたんだ。



 それは、ある種、"義務"にも似た感覚を俺に与えた。



 いつまで引きずっても、良くないと。



 それは、豊後さんにも、俺自身にも。



 正直、"思い立ったら吉日"にも程があるとは思う。



 さっき駆流から聞かされた言葉を鵜呑みにするのには、時期尚早だと。



 かなりの"賭け"だ。



 だって、もし、朱夏の気持ちが恋ではないのならば、俺は間違いなくフラれる。



 そうなれば、あれだけ決意を固めた『幸せなお別れ』への道は、遠ざかる。



 だけど、このままズルズルと時を過ごしても、良い事などある訳がない。



 ……もう進むと決めたんだ。



 恋愛経験などない俺は、幾ら足掻いても無駄なのだと、痛感したから。



 馬鹿なクセに、駆け引きじみた行動を取ろうとした結果、どうだった?



 結局、なんの成果も出せないどころか、彼女との"距離感"が遠ざかってしまっただけじゃないか。



 それに、やっと、良い関係に戻れたんだ。



 朝も、わざわざ早起きをして不器用なりにご飯を作ってくれた。



 あんなにも、俺の事を想って、大好きな後輩と喧嘩をしていたのも目の当たりにした。



 ……もしかしたら、朱夏は俺を好いてくれているかもしれない。



 だったら、この可能性を信じて、男らしく、真っ直ぐに想いを伝えないでどうするんだ。



 俺は、朱夏に世界一幸せになって欲しい。



 それくらい、大好きなんだ。



 ……ならば、前を向かなくてどうする。



 リスクを背負ってでも、進まなくて、本当に彼女を"ラノベの世界に戻すこと"が果たされるのであろうか。



 ……いや、あり得ない。



 だからこそ、俺は、先程まで"修羅場"と化していた部室の前に辿り着くと、一度、大きく深呼吸をした。



 ……そうだ、これから、朱夏に告白するんだ。



 きっと、今の俺は、どうかしているのかもしれない。



 舞い上がっている感覚は、否めないから。



 でも、たとえ、それが、どんな結果を招いたとしても、ここで覚悟しなかったら、後悔する気がするんだ。



 だからこそ……。



 ――――そして、俺は不確定な"未来"へと、一歩踏み出したのであった。



「ガラッ!! 」



 勢いよく扉を開くと、俺は上がりきった呼吸の中で、朱夏を探した。



 ……しかし、そこにいたのは、豊後さん、ただ一人だったのだ。



「……あっ、小原先輩。帰って来たんですね。朱夏さんは、『あなたを追いかける』と言って走り去ってしまいましたが、空はここでジーっとアナタを待っていて正解でしたねっ」



 彼女は、ニコニコとしながら、相変わらず距離を詰めてくる。



 その口調、視線、表情。



 全てをじっくりと見た瞬間、さっき駆流が言っていた事が"本当"であるのをすぐに理解した。



 だって、彼女は、今も俺のブレザーの袖を掴みながら、恍惚の表情を浮かべているのだから……。



 やはり、彼女は、俺に"恋"をしていた。



 今になって、やっと気がついた豊後さんの気持ち。



 きっと、ここ最近の彼女の"変化"は恋愛特有の"照れ"が故の行動だったのだろう。



 俺も、同じ事を"同居人"に感じたが故、よく気持ちは分かった。



 ……途端に、罪悪感が足枷となる。



 今、こうして幸せそうな顔をする後輩を、悲しませる"結末"は、俺の"たった一言"で収束してしまうのだから。



 ……だが、もうこれ以上、引きずる訳には行かない。



 そうじゃないと、一生、前に進めない気がしたから。



 もう、振り向けないんだ。



 ……そんな想いを固めると、俺は彼女にこんな問いかけをした。



「……あのさ、豊後さん、昨日の『好き』の意味って……」



 真面目な表情で、ジーッと目を合わせてそう尋ねる。



 その言葉を前に、彼女は一瞬だけ動揺する。



 続けて、俺を掴む手の力を強めた後で、頬を淡紅色に染めた。



「そ、それは、小原先輩を、"独り占め"したいという意味です……」



 恥ずかしながらも、小さく微笑みながらそう返答した。



 言わせてしまった事で、心苦しくなった。



 ……やはり、アレは、紛れもなく、"愛の告白"だったのだから。



 今日、目の当たりにした豊後さんの"変化"は、全て俺へのアプローチの一環。



 つまり、今、彼女は俺と"付き合いたい"という一心で、こうして、近づいて来たのである。



 そんな事に、すぐ気がつけない俺は、本当に最低な人間だ。



 なんて、間抜けなんだろうか。



 自分に嫌気が差した。



 すると、そんな風に自責の念に押しつぶされる俺を目の前に、彼女は首を傾げる。



「い、いきなり、どうしたんですか? 」



 その表情から、期待と不安が混濁しているのがすぐに分かった。



 ……まるで、これから俺が出す"答え"を待ち構えている様に……。



 考えてもみろ。



 豊後さんだって、勇気を出して恋を伝えてくれたんだ。



 それならば、真摯に向き合わなくて、どうするんだ。



 ズルズルと気持ちを蔑ろにして良いのか?



 絶対に、駄目に決まっているじゃないか。



 だからこそ……。



 俺は、伝えることの苦しみから、歯を食いしばる。



 ……そして、彼女にこう告げたのであった。



「……ごめん、豊後さん。俺は、君とは付き合えない。多分、これからも、ずっと……」



 ――――ハッキリと想いを伝えた途端、まるで時間が止まってしまったかの様に、部室内は静寂に包まれた。



 笑顔のまま固まる豊後さんの姿が、その全てを物語っているのだ。



「……えっ……? 」



 彼女は、思わず、そんな間抜けな声を出した。



 ……居た堪れなかった。



 もし、逆の立場なら、俺は間違いなく立ち直れないだろうし。



 それに、本当は大好きな後輩に"こんな話"を伝えたくなんかない。



「せ、先輩。何を言っているんですか……? じっくりと空を、見てから判断して欲しいです。きっと、幸せにしてみせます。その為だったら、なんでもします。だから……」



 気がつけば、目にいっぱいの涙を溜め込んだ豊後さんは、俺にしがみつきながら、引き留める様な素振りで、そんな"応酬"を俺に浴びせて来た。



 その痛々しいまでの"説得"が、心に刃を向ける。



 ……だが、決して、靡くことはなかった。



 どんな素敵な言葉を投げかけられても、気持ちの方向は、ただ真っ直ぐに進んでいたから。



 だからこそ、俺はその確固たる"決意"を彼女に伝えたのである。



「俺は、"朱夏"が好きだ。これから、告白しようと思っている」



 しっかりと目を見つめて、ブレる事のない口調で、そう告げた。



 ……そんな俺を見た豊後さんは、夕焼けに染まる部屋の中で、表情を歪ませて離れて行った。



 同時に、膝から崩れ落ちた。



「な、なんで……」



 まるで、緊張という名のシャボン玉が弾けたみたいに、顔を覆って、嗚咽を漏らす彼女。



 ……心苦しかった。



 だって、本当なら、豊後さんにこんな辛い想いをさせたくなんてないから。



 でも、何も言えない。



 ただただ、泣き崩れる姿を前に、立ち尽くす事しかできなかった。



 ……だからこそ、捻り出す様に、もう一度、「ごめん……」と呟いたのであった。



 ----すると、そんな俺の一言に、彼女は分かりやすく反応した。



「……嫌だ。嫌です……」



 ……豊後さんは、ゆっくりと身体を起こしながらそう呟くと、涙を擦った。



 それから、もう一度、俺の眼前に現れた後で、真っ赤な目で俺を睨みつけるのである。



 ……そして、突然の行動に焦る俺に向けて、感情的な口調で、こう宣言したのであった。



「絶対、ぜ〜ったいに、諦めませんからっ!! 朱夏さんにも負けないですからっ!! これからの空を、見ててくださいね!! いつか、必ず振り向かせますから!! だって……」



 そんな言葉を残すと、彼女は、"なにか"を言いかけた後で、雑に荷物を持つ。




 そして、呆然とする俺を取り残して、部室から走り去って行ったのであった。



 ……俺は、ちゃんと"フった"つもりだった。



 だが、その覚悟をも凌駕した、豊後さんの決意。



 だけど、俺はもう後戻り出来ない。



 そうだよ、俺は……。



 ――――すると、入れ替わる様に、朱夏が現れた。



 彼女は、首を傾げている。



「……アンタ、何かあったの? 今、空ちゃんったら、泣きながら出て行ったのを見たけど……」



 そんな彼女を前に、俺は途端に緊張する。



 ……でも、不思議と勇気が湧いた。



 だからこそ、まだ何が何だか分かっていない朱夏に向けて、俺は真剣な表情で、こう告げたのであった。



「……実は、大切な話があるんだ……」

 

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