22項目 彼女が浴衣にきがえたら
夏の終わりが差し掛かる。
優雅で充実した日々は、そう長くは続かない。
今年は、宿題を早めに終えたからこそ、時間を余すことなく使えた。
だからこそ、一日一日は、素敵に去ってゆく。
買い物に出掛けたり、海に行ったり、友人とファミリーレストランで談笑したりなど……。
とてもとても、実に高校生らしい、青春らしい時間を過ごしてきたのだ。
おかげで、ライトノベルに目を通す暇などない。
でも、永遠に忘れられないであろう"この瞬間"が、外気とは違う形で暖めてくれる。
それはまるで、凍てつく冬の寒さに備える動物みたいに……。
うん、きっと乗り越えられるさ。
今の俺ならば……。
だからこそ、冷房の効いた部屋から、灼熱の太陽を背中に鳴り止まない蝉の音に耳を傾ける。
……少年に戻ってしまった様な、切ない眼差しを向けながら……。
「……そろそろ、夏が終わる」
心苦しく、小さくそう呟く。
俺にとって、永遠に忘れる事のない非現実的な日々を思い出しながら、涙を流すのだ。
――だが、そんな時。
「アンタ、さっきから何を言っているの? 文化祭のポエムでも考えているの? それとも、またヒキコモリが発動してるの? 」
怪訝な表情を浮かべて俺を見つめるのは、我が同居人。
すっかり感傷的になっていた俺は、途端に素に戻る。
……まるで、某テーマパークから自宅に戻って来たみたいに。
「ち、違えよ! 夏休みが終わるのが辛いだけだよ!! 後、もうあんな黒歴史を繰り返さねえから!! 」
一瞬でも、詩人の様にセンシティブな気持ちになった事が、恥ずかしくなる。
だからこそ、そう釘を刺した。
すると、朱夏は小さくため息をつきながら、寝転んでいたベッドから身体を起こした。
「……まあ、そんな事はどうでも良いけど。それよりも、最近、土國くんの方はどうなのかしら? 」
必死に抗う俺を無視して、駆流の心配をする。
ちょっとだけ、腹が立つ。
なんにせよ、彼女が彼を気にかけているのは、実に有難い。
親友の恋を応援してくれているのだから。
……とは言え、鈍感な彼女は、駆流が密かに想いを抱く"対象"に気がついていない様だ。
俺は、アイツの所作を見た時、一瞬で見破ったにも関わらず。
だって、あまりにも態度が変わりすぎだし。
……ヤツは、間違いなく宝穣さんが好きだ。
その証拠として、あの日のファミレスでのやり取り。
彼女と会うなり、いつもの元気な駆流はすっかり鳴りを潜めてしまったのである。
声は上ずり、目も合わせない。
それに、脂汗をかきながら、コチラに助け船を求めてきたり。
まあ、あの日は宝穣さんの方も少しおかしかったけどね。
なんて言うか、少しだけ、不機嫌そうだった気がする。
それはさておき、あそこまで分かりやすい態度を示しているのに、何故、気づかないんだ。同居人よ。
君は、本当に鈍感だ。
そう思って、若干呆れていると、何故か彼の進展を見守る"連絡係"に抜擢させられた俺は、駆流とのメッセージのやり取りの中で得た内容を、朱夏に告げるのであった。
もちろん、隠せていると思い込んでいる彼の気持ちに配慮しながら。
「……なんか、その子を意識すると緊張するんだと。だから、どこかで自然に二人きりになるタイミングが欲しいらしい」
そんな話をすると、朱夏は小さくため息をついた。
「……やっぱり、彼も彼でなかなかな"ヘタレ"なのね。まあ、協力するって言っちゃった以上、アドバイスしてあげるのは責務よね」
無駄に義理堅い。
まあ、そこも含めて、彼女がさいけんガールのヒロインたる所以なのだが。
「そうだな。そこでだ。俺はそれを否定して提案をしたわけよ。『明日の花火大会にでも誘ってみたら良いじゃん』ってな。それこそ、一気に距離が近づくイベントな訳だし。だけど、『いきなりは無理だ』とか言われちまったよ」
……何気なく口にした"花火大会"というワード。
朱夏は、その言葉を聞くと、途端に目を輝かせた。
「てか、花火大会があるの……? 」
先程までの"協力者モード"から一転、興味の対象がそちらに移ったのがすぐに理解出来た。
……おいおい、まさか……。
嫌な予感に苦笑いをすると、彼女はニコニコと笑いながらベッドから飛び降りて、俺の眼前にやって来た。
その前に何故か、スマホをジーッとチェックした後で。
「……そんなもん、行くしかないじゃない。そうと決まれば、早速、浴衣を買いに行くわよ! 」
「……マジで? 」
先程までの気怠さから一転、夏の暑さを吹き飛ばしたかの様に、明るくなる朱夏。
まさか、この流れでいきなり花火大会に行こうなどと言い出すなんて、夢にも思っていなかった。
……それに、俺が何故、そのイベントを知っているか。
理由は、俺の"親友"にある。
『周くん、もしよかったら、一緒に花火大会に行かない? 』
このメッセージでね。
実際、俺はあんな場所に行ける自信がなかった。
人に酔いそうだし。
だから、断った。
というのは建前で(半分本心)、むしろ、これは"大チャンス"だと考えたのだ。
何故ならば、宝穣さんは、その日、花火大会に行こうとしている。
それならば、駆流さえ声をかければ、きっと、彼女は誘いに乗ってくれる。
だからこそ、アイツに先述の提案をした。
しかし、彼はビビってしまったのだ。
実に残念だ。
アイツの良い所を沢山知っているから、親友の宝穣さんと結ばれる事に対しては肯定的なのだから……。
……なんにせよ、一度断ってしまった以上、『やっぱり朱夏と行くことになったから一緒にどう? 』などと誘うなんて出来ない。
それに、そんな話をしたら、また一人、俺達の関係に疑惑を持つ者が増えてしまう。
だからこそ、結局、連絡はしなかった。
……それに、俺には大切な使命がある。
異世界から来た朱夏に"この世"を楽しんでもらうという。
だからこそ、流行る気持ちを抑えきれずに、無理やり俺を連れて行こうとする彼女の判断を優先する事にしたのであった。
うん。俺はちゃんとサポートするんだ。
それなら、今から最高の思い出を作ってもらうために、色々と下調べをせねばならない。
絶対に、"あのシーン"に負けない為にも。
……どうやら、まだ、夏は終わらないみたいだ。
*********
――ふと、思い出す事がある。
それは、さいけんガールの四巻にあった"とある回"の話。
「分かったよ! 全部、こっちに任せておけ!! 」
主人公の木鉢中は、海水浴に訪れた時、朱夏から別れ際に「花火大会に行ってみたい」と伝えられた。
それを了承した彼は、まだ理解不能な気持ちの整理もつかないまま、不器用なりに奔走する。
一番花火が綺麗に見える穴場スポットを探したり。
出店の位置の把握、朱夏の安全にも配慮していた。
……結局、その全ては成功に終わった。
海回で"ラブコメ"の兆しが見えたさいけんガールは、この花火をターニングポイントとなって、本格的に動き出したのである。
そんな印象的な話を象徴する様に、夜空に咲き誇る色とりどりの大輪を前にした時の、朱夏の発言。
――『私、"中"となら、何処にでも行ける気がする。たとえ、世界の果てにだって……』
この一言に、全てが集約されていた。
結局、耳の悪い主人公には届いていなかった様で、その後は「なんか言ったか? 」と尋ねる彼に、お約束の"暴力エンド"が待ち構えていたのだが。――
――俺は、そんな二人のイジらしい恋に、密かな憧れを抱いていたのは事実。
もちろん、暴力は絶対にNGだが。
ふと、そんな事を思い出すと、俺もさいけんガールの主人公である"木鉢中"の様に、しっかりと彼女をエスコートしなければならないと思った。
いや、絶対に負けてはいけない理由がある。
だって、本来は彼女に訪れる筈だった"幸せな瞬間"は、もう決して来ないのだから。
それは、彼女がこの世界に迷い込んできた時の"時間軸"に由来する。
ずっとずっと、気づいていたが、気にしない様にしていた、"時間軸"を……。
何故か、今になって、その事実を意識している自分がいることに気がつく。
それならば、少しでも……。
そう思って迎えた花火大会当日の夕方。
慌てて買いに行かされた浴衣を身に纏った朱夏は、苦笑いを浮かべていた。
「……流石に、人が多いわね……」
以前、豊後さんと来たことのある、三日月型のホテルが目の前に聳え立つ海沿いの公園。
ココこそが、今回の会場だ。
この前に訪れた時とは、比べ物にならない程の人でゴッタ返していた。
「まさか、こんなにも混雑しているとは思わなかったよ……」
一瞬でもよそ見をしたら、見失ってしまう。それどころか、これだけの人数がいれば、目当ての花火さえ見えない。
……だが、俺は今回、そんな状況を見越して、事前にネットで、いわゆる、"穴場スポット"の調査を済ましていたのだ。
昨日、意気揚々と「お前をエスコートしてやる」とか粋がってしまったが故、相当、下調べを頑張ったつもり。
だからこそ、群衆に押し潰されそうになる朱夏に向けて、こう告げるのであった。
「でも、こんな事もあろうかと、俺は下調べを欠かしていないんだよ! 」
俺のベルトを掴んで何とか逸れない様にする彼女に得意げな様子を見せる。
すると、朱夏は珍しく俺を褒めた。
「たまにはやるじゃない。……まあ、それならわざわざこんな"中心地"に来る必要はなかったけどね。……なんにせよ、早く行くわよ」
痛い所を突かれた。
本来ならば、花火大会が始まる前に、屋台や出店なんかを楽しもうとしていた。
しかし、これだけ人がゴッタ返している以上、その選択肢は無かった。
……一つ目の失敗。
まあ、気を取り直そう。
そう思うと、俺は背中に感じる朱夏の手の温もりを護る様に、穴場スポットへと進むのであった。
……のだが。
「アレ……? アンタの言っていた場所って、ここかしら? 」
少し離れた湾岸沿いのベンチに辿り着くが、そこにも、また、人、人、人。
「あっ……」
思わずそんな言葉を漏らす。
だって、ネットではこの場所ならば、人も少なくて狙い目だと聞いていたのだから……。
また、失敗してしまった。
……だが、そんな事もあろうかと、俺は代替案を提示する。
「ま、まあ、まだ別の場所があるからっ! 」
結局、またも移動を余儀なくされたのだ。
――それから、行く先々は満員御礼。
流石に、体力が落ちてきた。
……それに、気がつけば、朱夏は薄らと汗をかいている。
まだピカピカな草履で歩かせてしまっている為、足の心配もせねばならない。
「……ま、まあ、良いわよ。とりあえず、こういうのは、雰囲気が大事なんだから! 」
普段は横暴な彼女は、俺を励ます様にそう笑う。
……気を遣わせてしまった。
だが、どうしても諦められない。絶対に、綺麗な花火を見せてあげたい。
――そんな時、俺は"ある事"を思い出した。
話は遡って、幼少期の頃の話。
まだ小さかった俺は、一度だけ両親と共に、この花火大会に訪れた事があった。
その時も今日と同様、非常に混雑していた。
すると、普段は寡黙な父は、状況を見かねて、「場所を変えよう」と言ったんだ。
……そして、辿り着いたのは、会場から離れた、誰もいない、地元の小さな公園。
小高い丘の上にあり、横浜を象徴する巨大なタワービルの夜景の隙間からは、色とりどりに咲く花火が一望できたのである。
「あそこなら、きっと……」
俺はそう思うと、自然に朱夏の手を取った。
「い、いきなり、どうしたの?! 」
突然の乱行に動揺を隠せない彼女。
だが、そんな事も気にせず、こう告げた。
「ここまで来て申し訳ないが、地元にまだ"アテ"があるんだっ! 」
そう言うと、俺はそのまま駅へと向かって行った。
だって、もう決めたから。
絶対、朱夏に最高の思い出を作ってやるって。
……何故、こんなに必死になるのか。
それは、そうだよ。
なんで俺はずっと、気にしていなかったのだろうか。
……彼女がやって来た"時間軸"を。
随分前から分かっていたのに。
今、朱夏が前髪に付けている"桜のヘアピン"。
それが何を意味するのかを知っていたのに……。
だからこそ、今度こそは後悔しまいと固く誓うと、俺は彼女の手を取ったまま、足早に地元へと戻って行くのであった。
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