55項目 突然なぜかオウクワード


 朝、目を覚ますと、まず漂って来るは"異臭"だった。



 えっ? こげ臭っ……。



 俺はそんな、生命に訴えかける危機を目の前に、咳払いをしながら、慌てて身体を起こした。



 もしかして、火災とかか……?



 しかし、そう思いつつも、急いで辺りを見渡すと、原因となった"妙な光景"が目の前に飛び込んできたのである。



「あっ、おはよう……」



 なんと、すっかり制服に着替え終えている我が同居人が、俺のエプロンを身に纏いながら、フライパンを振るっていたのだ。



 ……同時に、現在、部屋を埋め尽くす"不審な香り"の正体を理解した。



 何故ならば、厨房には真っ黒な煙。



 それに象徴するように、朱夏は、漆黒の"料理"と思しき、禍々しいモノをこねくり回していたから。



 ただ、そこを除けば、振る舞いやシチュエーションは完璧。



 いつもツインテールの黄金色の髪は、一つに束ねられていて、鍋を振るう姿も、とても美しい。



 きっと、学園の男子が"理想"とする光景であろう。



 ……つまり、朱夏は、今、料理をしている。




「め、珍しいな……」



 何故か、焦げているのに酸味の強いその"なにか"が嗅覚を刺激した結果、思わず引き攣った笑顔でそう告げる。



 ……すると、彼女は頬を赤らめながらこんな言葉をつぶやいた。



「……いつも世話になってるんだし、たまには、アンタに"手料理"を振る舞ってあげようと思っただけ……。少し焼きすぎちゃったけど、"ベーコンエッグ"の味付けはきっと上手く行ってる筈よ……」



 そう言うと、朱夏は出来上がったばかりの"悪夢の様な一品"を皿に盛って俺に押し付けた。



「心して、食べなさいっ!! 」



 ……こ、これ、ベーコンエッグだったんだ。



 黒すぎて、何か分からなかった。



 後、食べるの、超怖い。



 だって、目の前に突き付けられた"それ"は、近くで見ると、何故か"紫色のオーラ"を帯びていたから。



 ……そんな気持ちで、冬にも関わらず、冷や汗をかきながら彼女をチラ見。



 すると、ソワソワとエプロンを握りしめながら、期待感に満ち溢れた目つきをしていた。



 まるで、『た〜んとお食べ』とでも言わんばかりに……。



 こうなると、流石に逃れられない。



 それに、彼女だって、俺のため、不器用なりに料理をしてくれたんだ。



 嬉しい話じゃないか。



 最近は、態度がぎこちなかったが故、どういう風の吹き回しかは分からないが。



 昨日の夜も、クラスメイト達との食事会から帰って来た彼女は、何故か、暗い顔をしていたし。



 結局、嫌われたくないから何も言えなかったけど。



 本当に、俺は弱いと思う。



 だけど、最近の"気まずさ"から考えると、こんな絶好なイベントはない。



 これをきっかけに、朱夏が少しでも俺を好きになってくれる可能性がある訳だし。



 ……そんな思考を繰り返すと、俺は決意をした。



「いただきます……」



 俺は、『もしかしたら外見や匂いだけで味は確かかもしれない』という、一握りの期待を胸に、フォークを刺して、口を運んだ。



 ……途端に、意識が薄れて行った。



 ――「周、いきなり倒れてどうしたの?! 」



 そんな朱夏の言葉と共に……。



 やっぱり、不味かった。



 気を失うほどに、ね。



*********



 放課後、俺はいつも通り部室に辿り着いた。



 今朝の彼女が作った悪魔の様な手料理のせいで、あまり気分は良くない。



 なんて言うか、常に喉元と鼻に、酸味と塩っ辛さと炭の香りが残っている感じ。



 そんな気持ちで、顔を真っ青にしながら入室。



 ……すると、そこには既に朱夏が、チョコンと座っていた。



 普段は、教室でクラスメイトと小話をしてから来るが故、遅れる事が多いにも関わらず。



「は、早いじゃんか……」



 俺は、今朝の泡を吹いて倒れるという醜態を思い出しながら、辿々しい口調でそう告げる。



 それに対して、彼女は申し訳なさそうな顔をしていた。



「悪かったわね……。料理とかした事なかったし。ちゃんとレシピ本を読んでから作るべきだったわ」



 目を逸らして小さくなりながら、シュンとしていた。



 ……なんか、いつもと様子が違う。



 だって、こんなに分かりやすく凹んでいる姿なんて、見たことが無かったし。



 しかし、彼女なりに俺の為に頑張ってくれた、その事実が嬉しかったから。



 ……ドキッとしたのは事実だし。だって、好きな人の手料理を食べれたんだよ? 当然の反応でしょ。



 だからこそ、無理やり笑顔になった。



「……いや、今日は体調が良くなかっただけだと思うから。美味しかったぜ! 」



 若干の"あざとさ"を携えて、元気な口調でそう返答した。



 ……少しでも、気に入ってもらえる様に。



 すると、朱夏は俺の反応を前に、次第に目の輝きを取り戻してゆく。



「本当に……? 」



 訴えかけてくる様に、ウルウルとした瞳で俺に上目遣いを見せる。



 ……かわいい。素直にそう思った。



 マジで、昨日から今日にかけて、一体何があったんだ?



 そう疑う程に。



 だからこそ、照れを隠しながら、頷いた。



「……ああ、本当だよ」



 その言葉に、すっかり安堵する朱夏。



「なら、良かった……。それなら、今度は"ナポリタン"を作ってあげるから、楽しみにしてなさいねっ! 」



 微笑みながら、次のプランを口にする。



 ……若干、冷や汗をかいた。



 また、あの悪夢を繰り返すのかと。



 しかし、彼女も彼女なりに一生懸命なんだ。



 だったら、男として、受け入れるしかないだろ。



 そう思うと、こんな返答をしたのであった。



「た、楽しみにしてるわ……」



 彼女は、俺が頷くと、満天の笑顔を見せた。



「任せなさいっ! 次こそは、アンタに『美味しい』って言わせて見せるんだからっ!! 」



 朱夏は、素直な表情でそう宣言。



 なんだか、久々にマトモな会話をした気がした。



 同時に、気がつけば、俺と朱夏の間に生じていた"距離感"が詰まった事を実感する。



 故に、後退していた"例の願い"が、少しずつ戻って行くのに対して、ホッと胸を撫で下ろす。



 だが、同時にこんな事を思った。



 ……『元の世界に帰す』なんて、悲しすぎるエンドがなければ、もっともっと、この記念すべき出来事を喜べた筈なのにな……。



 親愛度が上がる度に、"別れ"が近づいているのだと考えると、俺の気持ちは切なくなった。



 ――――そんな時。



「お疲れ様です」



 現れたのは、豊後さんだった。



「おつかれ。昨日は、ありがとな」



 俺は、前夜に蕎麦屋へ訪れた事を思い出しながら、感謝を口にする。



 ……すると、彼女は小さく微笑んだ。



「空も、楽しかったです! まるで"夢のような時間"でしたっ! 」



 吐息が当たるほどに近づくと、見上げながらそんな事を口にする。



 俺は、彼女の所作から、すっかり仲良くなれたもんだなと嬉しく思う。



 ……そういえば、昨日の帰り際も、俺に抱きついてきたっけ。



 もしかしたら、豊後さんって信用した人間に対しては、かなりスキンシップ多めになるタイプなのかもな。



 妹の円も、小さい頃は、『お兄ちゃ〜んっ! 』とか言いながら、いちいち抱擁を求めて来ていたし。



 ……今は、ボロカスに嫌われてるけどね。泣いて良いかしら?



 なんにせよ、きっと、あの時の『好きです』も、友情的な意味だったんだろうな。



 そう思うと、俺は後輩からの信頼をつかめた事を、部長として、誇らしく思うのであった。



 ……しかし。



 何故か、背後からは今朝食べた"ベーコンエッグ"にも勝る程の"負のオーラ"が漂い始める。



 ……えっ? なに?



 その恐怖にも似た雰囲気に、恐る恐る、振り返る。



 ……すると、そこには、まるで"般若"のような表情で、俺を睨み付ける朱夏の姿があった。



「……あら、こんにちは、空ちゃん。昨日は、"さぞ"楽しかったのかしら? 」



 オーラそのままに、威圧感満載な口調で豊後さんにそう問いかける彼女。



「はいっ! とっても"大好きな先輩"との時間、つまらない訳がないじゃないですか」



 これまでの臆病な性格とは一変、朱夏に屈しない態度で胸を張る。



「……まあ、でも、距離感は考えないとね。この男は、"変態ロリコン"だから気をつけた方が良いわよ」


 最中、"不名誉"な称号を与えられる。



 俺は、ロリコンではないんだが。これは強調させてもらおう。



 だが、豊後さんは折れない。



「いえいえ、小原先輩は、そんな人じゃありませんから。それに、朱夏さんも彼を一人残してクラスメイトと楽しんでいたらしいじゃないですか」



 痛い所を突かれて、表情を歪める朱夏。



「そ、それは、誘いを断れなくて……」



 ……そんな、何故か突然に訪れた"不穏な空気"を感じ取ると、俺は呆然とした顔のまま、こんな事を思った。



 ……えっ? なにこれ……。



 そう思っている間にも、我が"文芸部"の活動は、微妙な雰囲気のままに始まったのであった。

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