37項目 新しい恋のはじめかた


 俺は、池谷から明白に『忍冬が好きだ』と聞かされた。



 それから本番までの時間、ずっとソワソワしていた。



 ……理由は、至ってシンプルなもの。



 俺の胸が、高鳴り続けるから。



 おかげさまで、今も舞台袖で、劇に対する緊張感など、すっかり忘れているのだ。



 普段なら、幾ら"木の役"でセリフがなしだったとしても、人の視線への不慣れからガタガタと震えるに違いない筈なのに。



 今、朱夏は、クラスメイトが用意した"中世の貴族"を彷彿とさせる煌びやかな"ドレス"を身に纏っている。



 紺色ベースのトルソーに、真紅と空色で彩られたストライプのパフ。

 金色のスカートは、同色の髪の色と相まって、より一層、彼女を魅力的に引き立てていた。

 その全てを美しい顔に集約させるかの様に、頭部には真っ赤なリボンが結ばれている。



 彼女にとっての親友である"長谷川さん"が、気合いを込めて作り上げた渾身作。



 素直に思う。



 ……とても綺麗だと。



 まるで、本当に"白雪姫"の世界にでも迷い込んでしまったのではという"錯覚"を引き起こす程に……。



 対する、俺。


 顔を茶色く塗られた挙句、全身がすっぽりと入る、妙に完成度の高い"樹木"の姿。



 そんなギャップを目の前に打ちひしがれると、彼女に今の俺が見られるのが、とても恥ずかしい状況であるのだと、痛感した。



 ……それに追い討ちをかける様に、朱夏は皆との歓談の最中、チラッと俺の格好を見て、「ニヤッ」と笑ったのであった。



 いつものアイツと変わらない態度で。



 しかし、俺はそれに対して、普段の反応と同じ反応が取れずにいた。



 睨む事も、悪態を付く事もできない。



 ただただ、とてつもない程、情けない気持ちになってしまったのである。



 ……すぐ隣にいる、彼女に引けを取らない程に"王子様"になっていた、"ヤツ"の存在があるからこそ。



 池谷……。



 彼は、俺と朱夏との間で偶発的に起きる一瞬のアイコンタクトを見落とさない。



 だからこそ、俺達のいつもの"馴れ合い"に気がついた彼は、途端に、「ギロッ」と睨みつけて来たのだ。



 視線から、やはり俺を完全に"恋敵"であると見定めているのが分かった。



 その後、彼は俺達を引き裂く様に、朱夏や長谷川さんと会話を始めたのだった。



「おれは、この劇の練習を通じて、変われたと思う」


 池谷が真面目な口調でそう言うと、朱夏は少しだけ嬉しそうにしていた。


「アンタ、大袈裟ね。でも、本当に良く頑張ってくれたわ。おかげさまで、自信を持って舞台に立つ勇気が湧いたんだもの! 」


 その言葉に、若干、顔を赤らめるイケメン。


「……まあ、それは、お前のおかげだよ。本当に、忍冬に会えて、良かった」


 彼は、誰もが見た途端に気がつく程に、分かりやすいアプローチを始めたのだ。



 だが、その真意に気づかないヒロインは、ヘラヘラとしていた。


「いきなり、何言ってんだか……。キャラが変わりすぎよ。そんな事より、今は、舞台に集中でしょ? 」


 彼の本音を、一切、気にしていない朱夏。


 その様子を見兼ねてか、長谷川さんは池谷を見た後で、大きなため息を吐いた。



「……忍冬さん、鈍感すぎ……」



 クラスの中心人物達のやり取りを遠目で見ていると、きっと、彼女らは、池谷が朱夏を慕っていることを知っているのだろうと分かった。



 ……もしかしたら、二人の行く末を、"応援"しているのではないか。



 そんな考えが被り物の中全体に広まって行くと、胸がチクッと痛むのが分かった。



 ……俺は、何も出来ないんだな。



 もう、サポート役だとか、そんな言い訳はできなかった。



 エゴイズムな気持ちが、嫉妬心を作り出す。



 ……今、色鮮やかな衣装を着こなす彼女が、とても遠くの存在に思えた。



 まるで、スクリーン一杯に映し出された映画の"女優"を見つめるかの様に。



 もし、朱夏が池谷の告白を受け入れたら、どうなるのだろう。


 今も、二人は楽しそうに話しているし。



 そんな俺にとっての悲しすぎる"未来"が一瞬だけ見えた気がして、どうしようもない程の不安を感じた。



 もしも、彼女が俺の元から離れたら、どうしよう。



『彼氏が出来たし、もうアンタとは暮らせないわ』



 とか言いながら、すっかり信用した池谷に"全ての秘密"を打ち明けた上で、アパートから出て行ってしまったら……。



 ……気がつけば、心は寂寞の想いで覆い尽くされていた。



 捨てられてしまうのかな。

 二度と、ご飯を振る舞えないのかな。

 一緒に歯磨きも出来ないのかな。



 他愛もない会話をする事も、許されなくなるのかな……。



 ……嫌だ。そんなの、絶対に嫌だ。



 心が、何度もそう叫び続ける。



 どうやら、すっかり俺は、ワガママになってしまったみたいだ。



 ……そんな時、俯く俺の元に駆流が現れた。



「お前、大丈夫か? なんか、顔色悪いぞ。いや、茶色いぞ」



 いつも通りに呑気な口調で、そう心配をする。



「い、いや、何でもねえよ」



 まるで正気を取り戻す様に、気持ちを隠そうと、強がってそう否定をする。



 だが、そんな俺の顔を、彼はジーッと見つめた。


「な、なんだよ……」



 ……その後、何かに気がついたのか、「うんうん、なるほどな」と、得意げに頷いた。



 続けて、俺にこんな言葉を耳打ちをしたのであった。



「……お前、忍冬ちゃんの事が好きだろ。"親戚同士"なのに、なかなかスリリングな恋をするもんだ」



 突然、真意を突いてきたデリカシーのない彼に、俺は爆発する。



「は、はぁ?! な、何を、言ってんの?! 」



 恥ずかしすぎて、思わず変なテンションになる。



 すると、その余りにも分かりやすい態度を前に、彼は笑った。



「あはは〜! やっぱりな! 実は、少し前から『そうなんじゃねえかなぁ』って思ってたんだよ。それにお前を見て察するに、さっき池谷に呼び出された理由は、"ライバル宣言"かなんかだろ? ホント、昔から分かりやすいなぁ〜」



 駆流にそう言われると、俺は周囲の目を気にした。



 ……流石に、朱夏に聞かれたら、俺は死ねるから。



 だからこそ、すかさず厚ぼったい衣装の中、身体を無理やり動かして肩を組む。



 続けて、小声でこう釘を刺したのであった。



「……今の話、絶対に、誰にも言うなよ」



 その言葉に彼は、ニコッと笑って頷いた。



 当たり前だと言わんばかりに。



「そんな事を気にしてたのかな。幼馴染なんだから、当然だろ? 何よりも、オレは"お前の味方"だからな。それに、少し前、周には"世話"になった、気がするし。……何故か分からんが、内容は全く思い出せんが……」



 彼が"味方になってくれる"と約束してくれた事に、心底ホッとする。



 ……後、駆流も俺と同じく、ここ数日間で何らかの"違和感"を感じていたのが分かった。



 その事も相まって、俺は激しい孤独感から、解放された気がした。



 ……すると、少しだけホッとする俺に対して、彼はこう付け加えたのであった。



「……まあ、多分、忍冬ちゃんは、池谷の事を何とも思っちゃいねえよ。ただ、純粋な気持ちで"最高の劇"にしたいってだけ。だから、お前もあんまり考えすぎんな。どんな形であれ、きっと彼女は周の事を"特別"に考えている筈だから。心配すんな!! 」



 彼の確信にも近い言葉を目の前に、俺の気持ちにも変化が生まれた。



 ……確かに、そうだよ。



 朱夏は、そんな簡単に好意を抱くような人間じゃない。



 それに、俺だって、これまで共に歩んできた"実績"があるじゃないか。



 ならば、二人の行く末に、不安を感じる必要なんて、何もない。



 そう自分に言い聞かせる。



 だからこそ、絶対に、彼女は池谷の"告白"を受け入れる訳がないと、信じたのであった。



 きっと、必ず。



「ありがとな、駆流。もう少し、俺もこれまでの"時間"に誇りを持つ事にしたわ」



 俺は、憂鬱な気持ちから立ち直らせてくれた幼馴染に、素直なお礼を告げる。



 ……すると、彼は笑顔でグッドポーズを作った。



「良いって事よっ! ……それよりも、まずは最高の劇をして、1位にならなきゃだなっ!! 」



 駆流はそう言うと、クラスメイトの輪の中へと向かって行ったのだった。



 ……いつまでも、落ち込んだり、悩んだりしてどうするんだよ。



 俺は、朱夏の同居人。


 それでいて、彼女の"過去も未来"も知っている人間なんだぞ。



 不安になる必要なんて、どこにもないじゃないか。



 考えてもみろ。



 アイツが今まで、"木鉢中"以外の男に惚れた所を見た事があるか?



 いや、ない。



 それに、ラノベから飛び出してきた"忍冬朱夏"という存在を守れるのは、俺しかいないんだ。



 だから、信じなくてどうする。



 _____俺は、忍冬朱夏が、好きだ。大好きだ。



 それは、同居人だからとか、家族に対する無償の愛などの理由ではない。



 ……ただ、一人の"女性"として、お前を守りたい。



 絶対に誰にも奪われたくないし、誰よりも彼女の事を大切にしてきた自信がある。



 その為に、これまでずっとずっと、彼女を支え続けて来たのだから……。



 とにかく、駆流のおかげで、自分を見失わずに済んだ。



 朱夏、これからも、隣でお前を守り続けさせてくれ。



 そう決意を固めると、俺は曖昧な"自信"を胸に携えて、「じゃあ、みんなで円陣を組もうか! 」と促す演者の元に向かったのであった。



 掛け声は、もちろん、ラノベの世界からやってきた、"かつて大嫌いだったヒロイン"。



「これから、2年B組の全員で、最高の劇を見せつけようっ!!!! 」



 本番直前、すっかり一致団結した輪の中で意気込む"ヒロイン"の言葉。



 朱夏の、心からの抱負。



 その掛け声に対する、「おーーー!!!! 」という全員の呼応を最後に、俺達は舞台に向かったのであった。



 その先にある"逆境"に負けないという、絶対的な自信を携えて。

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