38項目 幕が上がった



 ____「別に、アンタの事なんて、全然好きじゃないんだからねっ!! 」



 テンプレートの様な発言を主人公に決めるのは、2000年代後半に少しだけライトノベル界隈を賑わせた、"ツンデレヒロイン"だ。



 彼女は、素直に本音を話せない"弱さ"を持っている。



 それを隠す様に、人前では、お嬢様を演じ、気心が知れた一人の男には、強がってしまう。



 そんな二面性こそが、彼女の魅力であり、"才色兼備ガール"たる所以。



 当時、ラノベを追いかけていた俺には、全く刺さらなかったのだが……。



 しかし、今、この現実の世界で、その"気持ち"は移り変わった。



 ……それは、全ての"感情"を曝け出した、本当の彼女を目の当たりにした瞬間から。



「みなさん、私達の"演劇"を、楽しんでください!!!! 」



 想像を超える大観衆を前に、開幕の挨拶をした彼女は、とても輝いている。



 それは、俺が"さいけんガール"の作中では、決して目にした事のない、"忍冬朱夏"の姿だったのだ。



 彼女が堂々とそう宣言すると、多数の観客からは、大歓声が沸いた。



 ……俺達は、今から"白雪姫"の舞台に臨む。



 多くの感情がひしめく体育館の中から。



 そんな中、一度、舞台袖に捌ける我々の中で、朱夏は俺にこんな耳打ちをした。



「……周、一番近いところで見ててね。私が、"頑張ってきた証"を」



 そう宣言されると、いきなり話しかけられた動揺で、「あ、ああ……」と、返事をするしかなかった。



 ……だが、すぐに池谷が間に入った。



「忍冬。お互い、最高の演技をしような」



 彼にそう言われると、俺と彼女の時間は、"刹那"に終わる。



 だけど、それでも、朱夏は俺に、俺だけに声を掛けてきてくれた。



 その事が、とても嬉しかった。



 ……ちゃんと、見届けるよ。



 そう思っている間にも、白雪姫の劇は始まったのであった。



*********



 物語の始まりは、主演である白雪姫が、悪い王女から逃げるために、森を彷徨うシーンからだ。



「とある王国のお城に、それは、とてもとても美しい"姫"がいました。しかし、彼女は継母から"美貌"への嫉妬による冷遇によって、森に追いやられてしまったのです」



 長谷川さんが"抑揚豊か"にナレーションの冒頭を語り出すと、この1か月間、クラス全員で作り上げた"舞台"は、盛大な拍手と共に始まったのである。



 ……幕が開くと同時に、川や植物、動物たちが描かれた無機質な絵と共に、ポツンと建つ人形の様な一軒の家屋の模型が人々の目に飛び込む。

 俺という名の"木の役"は、そんなファンタジーな景色から逸脱した、歪な"背景"として、ステージの上で異様な存在感を示していたのである。



 体育館狭しと並ぶ観衆は、その明らかに"浮いている"茶色い顔"の存在を、ゲラゲラと笑っている。



「何あれ……」

「てか、あれって"小原周"くんじゃない? 去年、痛いポエムで大爆笑を掻っ攫ったっていう……」

「噂通り、"身体を張って"笑いを取りに行ってるな」



 見下ろす視線の先で騒つく人々を見つめると、俺は泣きそうになった。



 ……なんでこうなるんだよっ!!



 てか、何故、皆さんは妙な形で俺の名前を知ってんだ!!


 別に、お笑いを狙ってこんな格好をしている訳じゃないんだよ!!



 ……予想外の盛り上がりを見せた"歓声"を前に、ただシュールな時間を過ごすしかなかったのだ。



 ____だが、そんな"コメディチック"な雰囲気は、"メインヒロイン"の登場によって、一瞬で吹き飛んで行ったのであった。



「動物さん達、寝床まで案内してくれて、本当にありがとうっ! でも、お部屋がとても汚いみたい。……そうよ、お掃除をしてあげましょう!! 」



 彼女は、白雪姫のポジティブな人間性を全身で表現しながら登場すると、舞台の上を駆け回る。



 ……その姿を目の前に、人々の意識は背景から、主役へと移り変わって行ったのである。



「き、綺麗……」


 男女問わず、彼女の"美しすぎる"姫の姿に、見惚れている。



 それは、俺も同じだった。



 ……なんて堂々と、生き生きと、演じているのだろうかと。



 これまで、何度もリハーサル風景を観てきたが、本番での彼女は、それとはまるで"別人"であるかの様に、輝いていたのだ。



 その姿を、背後から観れる。



 ある意味、この場所は、特等席なのかも知れない。



 ……そう考えている間にも、物語は進んで行った。



 7人の小人を演じる、駆流を初めとしたクラスの男子達。



 彼らは、この物語の定番とも取れる"例の歌"を歌いながらヒロインと出会う。



 しかし、歌唱力が演技に追いついておらず、再び、観客からは「ドッ」と笑いが起きていた。



 ……だが、それもまた物語に強弱をつけるという意味で、盛り上がりには充分な演出となる。



 ___それから、彼らの馴れ合いが終わると、いよいよ白雪姫の"核心"に迫る、嫉妬に燃えて魔女へと姿を変えてしまった、かつての"王女"との接触シーンに差し迫る。



 説明の足りない部分は、長谷川さんの丁寧なナレーションによって補われながら。



「そして、二人の接触によって、彼女の運命は変わってしまうのです」



 その言葉と共に、妖しく光る林檎を持った魔女役のクラスメイトと、朱夏の迫真の演技は、始まった。


「……救ってくれてありがとうよ。お礼に、これを差し上げよう。一口食べれば願いが叶う、不思議な林檎だよぉ〜」



 ヒロインに引けを取らない怪演。



 そんな魔女に促されるがままに、純粋な白雪姫は願いを込めて口をつけた。



「王子様と、いつまでも幸せに暮らせますように……」



 ……しかし、その瞬間、彼女は倒れた。



 同時に、観衆は、1メートル上で繰り広げられる誰もが知る"悲劇"に釘付けになっているのが分かった。



 その視線から、強い"手応え"を感じる。



 何故ならば、今、この瞬間、体育館に訪れた500人程のお客さん達は、まるで一つの生き物の様に感情を共有しているのが伝わるからだ。



 それは、2年B組の全員で努力を重ねた結果作り出した"世界観"がそうさせる。



 ……もしかして、本当に1位が取れるかもしれない。



 そう確信に迫った所で、ついに物語はクライマックスへと向かった。



 魔女が逃げたと同時に、白雪姫は変わり果てた姿になる。



 それを嘆き悲しむ小人達。



 彼らは、どうしても美しすぎる"白雪姫"を埋葬する事が出来ずに、棺の前に立ち尽くしていたのだ。



 ……だが、そんな危機的状況の中、俺が今、最も意識すべき相手である"王子様"が颯爽と現れたのである。



「姫、なんて姿に……」



 池谷の登場によって、先程まで演劇に釘付けとなっていた数十人の女子達は、歓声を上げる。


「きゃー!! 池谷くん!! 」



 一瞬だけ、緊迫した雰囲気は崩れかける。



 ……だが、彼もまた、容姿以上に素晴らしい演技を見せた事で、再び、辺りは静寂に包まれた。



 そこで、例のシーンを迎えたのだ。



「この身、この心、全てを君に捧ぐと誓おう……」



 静かに眠る朱夏を目の前に、彼は情緒たっぷりで、そう宣言をする。



 そして、彼はゆっくりと彼女の眼前に近づいた。



 その最中、木の役として大人しく立ち尽くしている俺は、一瞬だけ彼と目が合った。



 ……観衆に観られない角度で、何故か、ニヤッとしたのだ。



 同時に、嫌な予感がする。



 ……今、何かを妙な事を考えていた様な……。



 そんな気持ちの中、舞台はクライマックスを迎えたのだ。



「僕は、君を愛している」



 彼はただ黙り込む白雪姫にそう告げる。



 それから、ゆっくりと目を瞑ると、彼女と唇を合わせようとした。



 ……本来ならば、キスをするフリ。



 そのはず。



 だが、妙な胸騒ぎがする。



 その事実を、キャスト全員や、舞台袖に控えるクラスメイトは気がついていない様子だった。



 しかし、俺には分かった。



 先程の、不適な笑みの意味が。



 ……そう、彼は、今から白雪姫ではない、"忍冬朱夏"に向けて、接吻を仕掛けようとしていたのだ。




 やばい。このままだと、彼女の"ファーストキス"は奪われてしまう。



 きっと、こんな形など、朱夏は望んでいない。



 ……でも、今は舞台上。



 ここで俺がその空気を壊す訳にはいかない。



 だけど、本当に傍観して良いのか?



 いや、そんなことは、絶対に許されない!!!!


 俺はそう決意を固めると、動きづらい衣装に苛立ちを感じつつも、彼の大胆すぎる"挙動"を食い止めようとした。



 ____しかし、その瞬間だった。



 もう目前まで控えた唇が重なり掛けたその時、体育館にはこんな音が響き渡ったのである。



「パンっ!!!! 」



 そんな物語のクライマックスには似つかない悲惨な音色が耳を掠めると、俺はその事実を呆然と見つめたのであった。



 そこで、なにが起きたのか。



 ……朱夏は、危機を察知したのか、彼の頬を思いっきりビンタしていたのだ。



 同時に、すっかりと目を開いた彼女は、寝転がったままの状態で、頬を抑えながらきょとんとする池谷をこう怒鳴りつけたのであった。



「アンタ、なにをしようとしているのっ!! 最低っ!!!! 」



 胸元に付けていたピンマイクは、ノイズ音を立てる。



 ……その瞬間、なにが起きたのか分からなくなるクラスメイトと、観客。



 ……そこから、暫く、静寂の時間が続いた。




 彼女は、ゆっくりと起き上がると、狐に摘まれた様な顔をする皆を見る。



 すると、やっと状況を把握したのか、すっかり冷静さを取り戻した。



 ……そして、今、自分がしてしまった"行動"の意味を理解した様に、間抜けな口調でこう呟いたのであった。



「……あっ」

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