39項目 きみが涙を流した日



 後夜祭が終わった。



 その際、先に伝えられていた各クラスでの投票制のランキングが発表された。



 ……無論、我がクラスは"圏外"だった。



 理由は、明らか。



 そう、それは紛れもなく、例の"ビンタ事件"の結果だ。



 忍冬朱夏による。



 しかし、あまりにも残念な結果を前にして、クラスメイト達は、逆に彼女を擁護した。



「……実は、こっそり池谷くんの"恋"を応援していたけど、流石にあの場面で公私混同をして本当に"キッス"をしようとするなんて思わなかった」



 教室に戻ると同時に、長谷川さんが代表してそう述べる。



 すると、池谷は功を焦った自分を反省したのか、朱夏に謝罪をした。



 「本当に、すまん」と。



 だが、彼女は彼の詫びや好意など気にする様子もなく、まるで代表する様に、舞台を台無しにしてしまった事について謝っていた。


「わ、私こそ、最低な"終幕"しちゃって、本当に申し訳なく思っているの。これまで準備を頑張ってくれたのに、みんな、本当にごめんなさい……」



 そんな風に、心からの声で。



 しかし、そんな重い雰囲気はすぐにかき消される。



 ……何故なら、教室はやり切った事への充実感に盛り上がったのだから。



「いやいや! "2回目"の公演は確実に上手く行ったし、楽しかったよ! 」

「そうそう! だから、忍冬さんは全然気にする必要がないよ! 」

「きっと、池谷くんも役に入り過ぎただけだしね」



 そう励ますと、朱夏はニコッと笑った。



 ……しかし、俺は知っている。



 彼女は今、きっと、自責の念に押しつぶされているに違いないのだと。



 朱夏は、肝心な所で気持ちを隠す"クセ"がある。



 それは、マイナスな感情のみに発動するのだ。



 だからこそ、こうして"作り笑顔"でクラスの輪の中に溶け込む彼女を見て、俺は人知れず心を痛めていたのだ。



 ……いま、お前はどんな気持ちでいるんだよ。



 すると、そう思う最中、俺は、池谷に教室の外へ連れ出された。



 ……そこで、こんな話をされる。



「さっきのおれは、どうかしていた。だから、告白は先送りにさせてもらう。……でも、いつか忍冬は"貰う"からな」



 彼の一旦の"撤退宣言"を聞くと、俺は少しだけホッとした。



 ……とりあえず、今は。



 同時に、すぐ先に訪れるかもしれない"新たな展開"が近づいている事に危機感を覚えつつ、勇気を振り絞ってこう告げておいたのであった。



「俺も、アイツを諦めるつもりはない」



 正直、住む世界が違う学園カーストのトップに君臨する池谷に喧嘩を売るのは、恐怖しかなかった。



 ……だけど、どうしても朱夏を取られたくない。



 その気持ちだけが、そう言わせたのだ。



 そう覚悟を決めて睨みつけると、彼は一瞬だけ「ハッ」とした顔をする。



「……まあ、これからは"正々堂々"と戦うつもりだ。だから、覚悟しておけよ」



 池谷はそう言い残すと、俺の元から去って行く。


 ……そして、後日、打ち上げをする予定を駆流がクラスメイト達にアナウンスした所で、2年B組は解散したのであった。



*********




 帰宅の最中、珍しく少し先で朱夏は俺を待っていた。



 この世で、最も不幸せそうな顔で。



「お、おう。珍しいじゃないか」



 何故、朱夏が待ち構えていたか理解出来たが、敢えて、気にしない素振りを見せた。



 ……それから、暫くの間、無言で歩く。



 すると、その空気感を壊すように、彼女は小さな声で、こう本音を漏らした。



「……私のせいで、最低な劇にしちゃった……」



 俯きながら、今にも泣きそうな顔でボソッとそんな言葉を呟く。



 その声からは打ちひしがれる程の悲壮感が伝わってきて、そこにいつもの元気な彼女の姿はなかったのだ。



 ……俺は、気持ちを共感しながら、心を痛める事しかできない。



 結局、なにも喋れない。



 今、朱夏が感じている感情の全てを理解しているからこそ……。



 瞬間、先程までのエゴイズムな思考は、夜空に舞って行くのが分かった。



 それよりも、この"ヒロイン"を笑顔にしてあげたい。


 

 そう思ったんだ。



 だからこそ、重い足取りで歩く彼女に、俺はこんな言葉を投げかけた。



「……いや、気にしなくて良いんだよ。それに、後ろから見たお前は、間違いなく"輝いていた"」



 そう告げると、朱夏は首を振った。



 ……続けて、俺の制服の袖を摘んだ。



「……バカっ。アンタは楽観的過ぎるのよ。みんなで作り上げてきた結晶を、台無しにしたのよ……? 」



 その手は、震えていた。



 ……あと、泣いていたんだ。



 俺は、この世界に来て、初めて彼女の悲しみの涙を見た。



 それは、後悔を産む。



 もし、あの時、朱夏が池谷にビンタをする直前で、"ピエロ"になれたなら。



 そうすれば、全ては俺の"責任"に切り替わって、彼女にこんな悲しい"結末"を迎えさせなくて済んだのではないかと。



 ……だが、全ては結果論。



 結局、俺はまた朱夏を守れなかったんだ。



 そう思うと、俺は小さな声で、「……ごめん」と呟く事しか出来なかったのである。



 ――――だが、同時に、こんな気持ちが生じた。



 ……本当に、このままで良いのか?



 『今回は守れなかったけど、次はちゃんとしなきゃ』とか考えてはいないか?



 心の何処かで、時間が解決してくれるなんて思っちゃいないか?



 そんな思考が頭を駆け巡って行く内に、心の中でこんな"結論"を出した。



 ……いや、それで良いわけがない。



 今は、俺の気持ちなんてどうでも良い。



 それよりも、彼女を元気づけたい。



 また、呑気に笑い合いたい。



 ……ならば、悩んでる暇なんか、ないじゃないか。



 そう思うと、俺は、夜間の商店街を歩く中、人目も気にせずに、思いっきり、こう叫んだのであった。



「とにかく、今日のお前は、最高だったんだよ!!!! 」



 もちろん、心の底からの声だった。



 ……すると、突然の奇行にも似た励ましを聞いた朱夏は、瞼を濡らしたままポカンとした顔で俺を見つめた。



「……えっ? 」



 だが、そんなことなど気にせず、俺はこう続けた。



「良いか? お前の演劇は、本当に素晴らしかったんだよ!! だから、そんな顔見せんな!! それよりも、『楽しかった』そう思って胸を張れ!! 」



 息を荒げながらそう告げる。



 ……笑ってくれ。だって、お前は……。



 そんな気持ちの中で。



 ――――すると、俺の"粗末な願い"が届いたのか、彼女は瞼を擦りながら微笑んだのであった。



「……なによ、それ。"木の役"のクセに……」



 朱夏の笑顔は、夜の街灯に照らされ、より一層、美しく見えた。



 その表情を見て、こう確信した。



 俺の博打とも取れる行動は、彼女に安堵をもたらしたのだと。



「う、うるせえ」



 ホッとする反面、極力いつも通りに振る舞おうと、慌てて悪態付く。



 ……その瞬間、朱夏は、切り替える様に俺の袖から手を離したのであった。



「……そう、そうよ。舞台の上で、全てを出した。それに、池谷くんったら、酷いわよ。流れに乗じて私の"ファーストキッス"を奪おうとしたんだもの。ほんっと、最低よ!! 」



 すっかり元気を取り戻したのか、"あの時の暴挙"について、怒り心頭で愚痴をこぼしていた。



 その姿を前に、俺は"2つの意味"でホッとした。



 やっぱり、彼女は、多分、いや、絶対に……。



 そう思った所で、俺は朱夏にこんな提案をした。



「……じゃあ、ストレス発散も込めて、明日は二人で焼肉パーティーでもするか! 本当なら食べれるはずだった訳だし! 」



 その提案を聞いた朱夏は、期待感に目を輝かせる。



「良いわね! それなら、A5のヒレ肉でも買いましょう! 私はめちゃくちゃ頑張ったんだもん。それくらいの"ご褒美"があっても良いでしょ? 」



 ……家計を脅かす"悪魔の様な声"を聞いて、ゾッとする。



「さ、流石にそんなモノを食ったら、明日からカップラーメン生活に……」


「良いじゃないのっ! たまには羽を伸ばすのも大事なのっ! 決まりねっ!! 」



 そんなやり取りをしている間に、朱夏はいつも通りに戻っていた。



 ……本当に、本当に、良かった。



 俺は、少しでも彼女を"絶望"から救えたのではないかと思い、心の底から安心した。



 同時に、胸の鼓動は速くなって行く。



 しかし、その事実を否定しようなどという感情は、一切ない。



 何故ならば、もう忍冬朱夏から目を背けるつもりがないからだ。



 ……すっかり寒くなった帰路の最中で、俺はそんな想いを巡らせると、小走りをする彼女の背中を、そっと追いかけるのであった。



 

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