40項目 父さまは原作者
僕の名前は、
普通に結婚して、普通に生活をする、至って平凡な"社会人"だ。
今日は、日曜日という事もあって、愛する妻と可愛い娘に囲まれ、家族団欒で朝食を摂っている。
そんな、ささやかな瞬間にこそ、幸せを感じるのであった。
だからこそ、12月の寒気など感じる事もなく、こうしてダイニングテーブルを囲みながら優雅な気持ちでコーヒーに舌鼓を打つ。
……すると、そんな中、愛しの娘はトーストをかじった後で、僕にこんな事を言ってきたのである。
「パパ。今日はね、お友達と"お出かけ"をしてくるね。門限には帰るからっ! 」
空は、あどけない笑顔で今日の予定を口にする。
……その姿は、父として、実に感慨深い瞬間であるのだ。
これまで、彼女は人見知りな一面もあって、なかなか学校という名の"社会"に馴染めていない事を心配に思っていた。
しかし、高校に進学後は、まるで決め込んだ様に"文芸部"に所属すると、途端に彼女の性格は明るくなった。
『これ、文芸部の証なんだよ』と、プレゼントされたというマリンタワー"のストラップを僕に嬉々として見せて来た辺りが、その事実を象徴している。
どうやら、先輩部員の二人は、大層、空の事を可愛がってくれているらしいと分かった。
更に、文化祭では自作の詩集まで展示したと聞いて驚いたものだった。
……僕は、その日、どうしても外せない仕事の"打ち合わせ"があったせいで、彼女の成長を目の当たりにする事ができなかった訳だが。
一生、悔やまれるだろう。
結局、その詩集も読めていないままだし。
まあ、なんにせよ、妻曰く、『とても好評だった』との辺り、空が"父親譲り"の文才を持っているのだな、と、少しだけ誇らしく思えたのであった。
……実は、娘には隠しているのだが、僕の仕事は、"ライトノベルの作家"なのだ。
どうやら、その類に興味がなさそうな彼女に嫌われたくない。
だからこそ、敢えて、その事実は伝えていない。
これまで、何作もの"小説"を世に出してきた。
たまたま、奇跡的にヒットした作品があったが故、こうして仕事を楽しみながらも、家族の大黒柱でいられるのだ。
僕はそう自分を誇ると、父親らしくにこやかな顔で彼女に返事をする。
「気をつけて行ってきなさい」
……ただ、そうは告げたものの、少しだけ寂しい気持ちはある。
実は、この前、約10年にも及んで執筆を続けてきた"ある作品"が完結した事で、今は珍しく束の間の休暇を取れている。
もし空に時間があるのならば、久々に家族でお出掛けをしようなんて計画をしていたのだが……。
まあ、親として娘の成長を見守らねば。
昨晩、妻にその計画を嬉々として話していた所だったが故、若干のショックを受けるのは仕方がない事であろう。
そう思いつつも、『次作までには、必ず空とお出かけするんだ! 』と、明確な目標を掲げた所で、彼女は食事を摂り終えて食器を片付け始めたのであった。
……すると、そのタイミングで。
「トゥルルルルル〜」
空の電話が鳴った。
僕は、それに気がつくと、彼女に向けてこう伝えた。
「お〜い、スマホ鳴ってるぞ〜」
その言葉に、彼女は「はぁ〜い。今行くね〜」と嬉しそうに返事をする。
……ワクワクとした表情を見ると、僕の中で一つの"疑惑"が浮上した。
……空が今日遊ぶ相手って、本当に、友達なのか?
もしかしたら、男だったりしないよな?
考えてもみれば、最近の彼女は、ちょくちょく"女の顔"をする瞬間がある気がする。
なんだか、誰か、遠くに"憧れ"を見ているような……。
徐々に、僕の頭の中には強烈な"焦り"の感情が芽生えたのだ。
こんなにも、可愛くて、優しい、我が"自慢の娘"に、彼氏が……?
そこで、僕はいけない事だと分かってはいるものの、彼女のスマートフォンを覗き込むことを決意。
今はまだ、二人ともキッチンにいる。
つまり、チャンスだ。
……もし、男の名前が表示されていたら、許さないぞ……。
怨念にも似た気持ちの中で……。
______そして、すっかり携帯を覗き込んだ所で、画面とご対面したのであった。
そこに記されていた名前は……。
『忍冬朱夏さん』
なんだ、女の子か。
……だが、そう思ってホッとするのも束の間、僕の頭の中にクエスチョンマークが浮かび上がった。
……んっ? というか、なんで、この"余りにも見慣れた名前"が?
僕がそう思って首を傾げるや否や、空は僕を押し除けて、電話を取った。
「おはようございます、朱夏さん。今日は楽しみにしてます…」
当たり前のように、彼女との会話を楽しむ愛しの娘。
……で、でも。い、いや、あり得ない。
僕はその事実に、途端に焦る。
だって……。
……そこで、すっかり電話を切って今日の行事を楽しみにしている空に、こんな質問をしたのだ。
「ず、随分と仲良さそうにしていたが、もしかして、"例の部活の先輩"かい? 」
そう問うと、彼女はニコッと笑いながらこう返答したのである。
「うんっ! 忍冬朱夏さんっていう、とっても優しい"先輩"だよっ!! 」
……空が純粋無垢に頷いた時、僕は衝撃から動けなくなった。
……何故ならば、その名は、僕が10年にも及んで描き続けた【才色兼備ガールは、レールから外れたい】の正ヒロインと同姓同名だったからだ。
いやいや、で、でも、もしかしたら、単に同じフルネームなだけかもしれないし……。
しかし、そう思うのも束の間、空は嬉々として、"ある画像"を見せてきたのであった。
「それでね、これはこの前、文化祭で"文芸部"の展示をした時の写真で、左にいるのが小原先輩って人で、こっちが、朱夏さんなんだよ〜」
見せつけられた写真。
そこには、何処か頼りなさそうな青年が一人、中心には、思わず抱きしめたくなる大正の女学生風な衣装を身に纏った空。
……そして。
金髪のツインテールに、"桜の髪飾り"を付けた、とてつもない美少女が写っていたのである。
僕は、そこで先程まで否定をし続けた"疑惑"が"事実"である事と受け入れざるを得なくなったのである。
……ど、どうして、この世界に僕の産み出した"キャラクター"がいるんだ……?
考えれば考える程、脂汗は止まらなくなってゆく。
だって、こんな事って……。
しかし、そんな僕の動揺とは裏腹に、娘はすっかり自慢を終えると、「じゃあ、そろそろ準備しなきゃだから」と、その場から離れて行ったのであった。
……あり得ない。
なんで、この世界に、"さいけんガール"の忍冬朱夏が……?
僕は呆然とする。
すると、そんな異変に気がついた妻は、「……あなた、どうしたの? 」と、問いかけてくる。
だが、そんな声は、全く耳に入って来なかった。
どんな理由があって、この様な"非現実的な出来事"が起きているのかは分からない。
しかし、どちらにしても、この件に関しては"リサーチ"が必要だと判断したのであった。
いきなり、"忍冬朱夏"に聞き込むのは、流石にまずい。
もし、憶測が誤っていて、本当にただの"偶然"だったとするならば、不審者として通報されかねないから。
……ならば、先程、写真に写っていた"小原先輩"とやらに聞き込むのがベターなのかもしれない。
そう思うと、僕は彼との接触が最優先だと判断した。
もしかしたら、小原くんだったら、何かを知っているかもしれないと思って。
……そして、僕はそう決めると、明日、玉響学園に張り込んで、彼と話しをする事を決意したのであった。
もし、彼女が本物の"忍冬朱夏"だったら、大変な事だ。
そんな気持ちと共に。
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